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2015年4月

2015年4月29日 (水)

タマリンドの研究

 近所のイオンで,今年もイオンワールドフェスタ「タイフェア」が開催されていました。

 店内にはタイの音楽が流れ,モニター映像では,ガイヤーン(タイ風鶏の照焼き)やグリーンカレーなどが紹介され,「これはもう ぜっタイ 食べタイはずです」と思わず笑ってしまうコメントまでありました。

 どんな食材や惣菜があるのか見て回ると,果物のコーナーでタマリンドが売られていました。

 これこそ,私が「食べてみタイ」食材です。

(スイートタマリンド(箱))
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 輸入食品店やタイ料理店で,タマリンドペーストが売られているのを見かけることはありますが,タマリンドがそのまま売られているのは初めてでしたので,嬉しくてタマリンません。

 タマリンドは長さが10cm前後で,巨大化したピーナッツのようです。外側の皮(殻)は乾燥して固いのですが,薄いので,わずかな力で割ることができ,簡単に中身を取り出すことができます。

(タマリンド外観)
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 ポップ広告に食べ方が説明されており,

 「円筒形のさやの中にある果肉をお召し上がりください。太い繊維は取り除いて下さい。果肉は柔らかく酸味があり,濃い甘さとかすかな酸味のあるねっとりとした食感です。アジア料理に入れると,酸味や甘み,コクを与えてくれる調味料でもあります。干し柿に似たコクと甘味があります。」

 とのことでした。そこで,まずは殻を水で洗い,殻を取り外して,中の様子を観察することにしました。

(タマリンドの中身)
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 画像の上が殻を半分切った様子,左が中身を取り出した果肉の様子,下側中央が中の果肉の上半分を切り取った果肉の中と種の様子,右が果肉を取り囲む太い繊維の様子です。
 中の果肉は,確かに干し柿のようにねっとりしているので,分解するのに苦労しました。

 こうしてみるとわかるのですが,タマリンドの果肉は種の周りを覆ったわずかな部分で,大半はつるつるの小石のように固い種とその種を覆う薄い皮,そして繊維で構成されています。

 果肉のねっとりとした食感や凝縮された甘味は,確かに干し柿やドライフルーツのレーズンやプルーンに近いと感じました。
 フィリピン料理のシニガン(「フィリピン料理の特徴と主な料理3 -フィリピン料理に豚肉が多い理由-」参照)をいただいた際,かなり酸っぱかったため,タマリンドは酸味が強いものだという印象がありました。
 しかし,今回いただいたタマリンドは,「スイートタマリンド」と呼ばれる甘い品種だからだと思いますが,酸味はそれほど強くなく,おやつ感覚でいただける果物となっています。

 タマリンドは,その酸味と甘味,褐色の色の特徴を生かして,パッタイ(タイ風焼きそば)やマッサマンカレーなどの各種カレー,チャツネ(カレーや揚げ物用の薬味),シニガン,タマリンドジュースなどに用いられています。

 小石のようなタマリンドの種(シード)は当初何の気なしに捨てていましたが,この種の胚乳部分から得られる多糖類は,「タマリンド(シード)ガム」と呼ばれる食品添加物(増粘安定剤)となることを知り,この種を割ってみることにしました。

 ※増粘安定剤:液体にねばりやとろみをもたせる,食品の分離を防ぐ,水分を保たせるなどの効果がある。

(タマリンドの種)
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 タマリンドの種は,本当に小石のように固く,包丁,カッターナイフ,料理ばさみでは割れそうになく,コンクリートの上に置いてハンマーで何度か叩いてやっと割れました。

 種を覆う茶色の皮がとても固く,中の乳白色の胚乳は生の大豆のような青臭さがあります。

 試しにしばらく水に浸けてみました。すると,約30分で,あんなに固かった茶色の皮がやわらかくなり,種の周りの水がゼリーのように固まって(ゲル化して)きました。透明な粘膜に覆われたジュンサイのイメージです。

(水に浸したタマリンドの種)
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 少し食べてみたところ,とても渋く,決して美味しいものではありませんでした。タマリンドガムの働きによるものだと思います。

 タマリンドガムを取り出すためには,タマリンドの殻を割って,種の周りのねばねばした果肉や薄皮を取り除き,石のように固い種の皮を取り除いて,やっと胚乳にたどりつくわけですが,そこまで苦労してでも,食品産業にとって十分価値のある成分だと言うことができます。

 タマリンドを今回のようにそのまま売れば,種は当然捨てられてしまいます。

 そこで,果肉と種に分け,果肉はタマリンドペーストに,種はタマリンドガムにそれぞれ加工する方が,消費者は食べやすくなり,食品業者はタマリンドガムが得られ,さらには資源の有効活用にもつながるというメリットが生じます。
 ただ,私のように「素材そのものの味を味わってみたい」という消費者のニーズも少なからずあるようにも思います。

 購入したタマリンドを使って,いろいろ勉強になりました。

 現在はデパートやスーパーマーケット,輸入食品店等で世界の様々な食品や調味料を入手することができますが,流通上の制約や,保存の関係から,加工品や調味料,飲料が中心となっています。
 それは仕方のないことですが,今回のワールドフェスタのように,イベントとして普段では入手できない世界の食品を紹介し,消費者に提供する機会が増えれば,消費者にとって世界の食文化に対する関心が高まるのは当然のこととして,販売者にとっても,対象食品のみならず,関連した食品(タイ料理で言えば,鶏肉や海老など)や一般商品も含めた消費者の需要喚起が見込め,メリットが高いように思います。

2015年4月23日 (木)

しょうゆの研究5 -日本料理における醤と醤油の役割(平安時代と室町時代の献立の比較検証)-

平安時代の宴の献立と醤

 醤(ひしお)のルーツとされる中国では,紀元前3世紀の『周礼』に,王の食用として120種類の醤が記録されていたり,孔子が『論語』の中で「料理にふさわしい醤がなければ食べない」と述べていたりと,醤は食事の中で重要な位置を占めていたようです。

 日本においても,現代と比べるとごく限られた料理・調味法しかなかった時代には,醤は,より美味しく塩を摂取するための調味料であったとともに,素材をより豊かな味にしてくれる万能調味料として重宝されたことでしょう。

 平安時代の宴の献立から,醤の役割を考えてみたいと思います。

(平安時代の宴の献立)

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(北岡正三郎『物語 食の文化』(熊倉功夫『日本料理の歴史』)から引用。一部加工)

 この画像は,平安時代に内大臣藤原忠通が催した宴に出された膳の献立ですが,唐菓子や木の実,干物と並んで,生の魚介類と鳥肉が並べられているのがわかります。内陸にあった都で,これだけ生の食材を出せること自体が当時では贅沢の極みだったわけですが,それにしても手の込んだ料理というよりは,「素材と品数で勝負」という印象を持ちます。

 そうしたあまり手の加えられていない料理に味をつけ,美味しく食べるために用意されているのが,手前に飯と一緒に並べられている,「塩,酢,酒,醤」という四種器に盛られた調味料です。
 これらの調味料は,味を決める重要な役割を担っています。塩以外は発酵食品だということも興味深いことです。古代から発酵がもたらす旨味をうまく利用していたとも言えるでしょう。

 また,「醤酢」(
「しょうゆの研究4 -鯛と醤酢(ひしおす)・ひしお飯-」参照)のように,これらの調味料を何種類か混ぜ合わせ,自分の好みのオリジナル調味料を作って,より豊かな旨味をもたせて食べられていたのではないかと考えられます。


限りない発展の可能性を持った醤


 塩,酢,酒はそれ単体で完成形ですが,醤は,数々の食品を塩漬けにし,発酵させて作られることから,食材によって様々な味や旨味をもたせることができる,限りない発展の可能性をもった調味料だったと言えるでしょう。

 その醤は様々な味に変化し,発展しながら,日本の醤油が生まれ,今日に至っているのだと思います。



日本料理が確立した室町時代


 室町時代は,現在に続く日本料理の体系や,日本型食生活の基本が確立された時代と言えます。

 その要因として,

・禅僧により精進料理,懐石料理(点心)の体系がもたらされ,それらの料理に用いられる,茶,豆腐,麩,饅頭,羊羹など中国伝来の食品が普及したこと
・日元・日明貿易により新しい食材,食品,加工法,食の考え方が幅広く取り入れられたこと
・京都にあっては,宮廷貴族の食文化と武士の食文化が影響し合ったこと
・地方にあっては,守護大名が領地の開発を進め,多くの食材が出回るようになったこと
・応仁の乱の影響を受けて「わび(侘び)」,「さび(寂)」という美意識が生まれ,その影響を受けて禅文化,茶の湯,懐石料理も発展したこと
・農業技術が進歩し,米など食糧の生産量が増加したこと
・造船技術が進歩し,漁獲量が増加したこと

 などが挙げられます。

 そして今回特筆すべき要因が「醤油の普及」です。

 醤油は,室町時代以降,西日本各地で製造されるようになり,日常生活に浸透していきました。このころから「刺身」という言葉が使われるようになり,醤油を用いた煮物や汁物の料理も増えて,日本料理に革命的変化を起こすこととなりました。



室町時代の本膳料理と醤油


 室町時代に,平安時代の饗宴料理を受け継ぎ,武家社会の礼法を取り入れた饗宴料理として「本膳料理」が確立しました。以降,この本膳料理が日本料理の正式な膳立てとなり,今日に至っています。

(室町時代の本膳料理の配膳図)

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(北岡正三郎『物語 食の文化』(熊倉功夫『日本料理の歴史』)から引用。)

  平(ひら):煮物用の平らな蓋付きの器
  坪:本膳につけられる煮物用の深めの蓋付きの椀
  猪口(ちょく):酢の物や和え物を盛る小鉢
  台引:口取と呼ばれる甘味類(羊羹,寒天,蒲鉾,伊達巻など)が盛られる。

 平安時代の膳の献立との違いは,銘々膳(一人一人に用意された膳)の寄せ集めで構成されていることと,醤油を用いた汁と煮物料理の占める割合が大きくなっていることです。

 本膳料理の配膳図に,醤油が使われた可能性の高い料理に色を付けてみました。汁を赤色,煮物を青色,刺身を黄色で示すと次のようになります。

(室町時代の本膳料理の配膳図[汁と煮物の構成])

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(北岡正三郎『物語 食の文化』(熊倉功夫『日本料理の歴史』)から引用。一部加工)

 この図を見ると,色をつけた料理の割合が多いことがわかります。これらの汁や煮物料理の全てに必ず醤油が使われたとは言い切れませんが,逆に猪口などにも醤油が用いられた可能性もあるでしょう。
 いずれにせよ,醤油が料理の基本となり,日本料理の体系が確立したと言うことができます。

 素材そのものに重点を置く日本料理においては,その素材の持ち味を生かし,旨味を増すことのできる発酵調味料にかける情熱は並大抵ではなかったと思います。

 醤はそうした環境の中で育まれ,様々な味に変化し,発展しながら,やがて世界に誇る万能調味料「醤油」の誕生につながったと言えそうです。

2015年4月18日 (土)

長崎くんちの龍の耳かき -長崎県長崎市-

長崎を代表する祭り「長崎くんち」で登場する龍の耳かきです。
「くんち」という名は,旧暦の9月9日(重陽の節句)の9日(くんち)に由来するとされています。
この龍を用いた演じ物は「龍踊り(じゃおどり)」と呼ばれています。
確かに,この耳かきで耳掃除をする姿を横から見ると,龍踊りに見えると思います。
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2015年4月12日 (日)

ソース昆布 -お好みソース入り昆布の佃煮-

 広島市内のスーパーで「ソース昆布」という食品が販売されていました。
 「こもち昆布」など昆布の佃煮で有名な広島のメーカー「ヒロツク」が,広島のお好みソース「オタフクソース」を使って作られた新しい昆布の佃煮です。

(ソース昆布パッケージ)
Photo

 佃煮の味付けと言えば,醤油と砂糖が中心となりますが,その醤油の代わりにお好みソースを使ったら,いったいどんな味になるのだろうかと興味を持ち,購入しました。

 「のりのりそば -広島の生海苔と新潟の布海苔(ふのり)-」の記事で,広島では天ぷらやフライにお好みソースをかけて食べる人も多いことに触れましたが,ほかにも,カレーやおでんの隠し味に利用されたりと,お好みソースは様々な料理に活躍しています。

 ですが…今回の「ソース昆布」は,いかに広島の人間がお好みソース好きとは言え,正直な話,少し先を行き過ぎなのではないだろうかという気持ちもありました。

 茹でた昆布にお好みソースをかけた味を想像しながら,いただきました。

(ソース昆布)
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 驚いたことに,見た目・香り・味いずれも,一般的な昆布の佃煮とほぼ一緒でした。強いて言えば,フルーティーな香りや甘味が少し強いかなと思う程度です。

 確かによく考えてみると,普通,昆布の佃煮の味付けは,醤油,砂糖,みりん,酒,酢などの調味料で行いますが,オタフクソースの原材料にも,醤油,砂糖,酢,昆布が入ってます。
 さらに,ソースの要の原材料である野菜や果実(トマト,デーツ,玉ねぎ,りんごなど)は,濃厚な甘味やとろみを持っていますが,これらがみりんに代わって甘味やとろみを持たせ,佃煮をより豊かな味にする役割を果たしているのでしょう。

 
 また,ソース昆布とは言え,お好みソースだけではなく,醤油も使われているので,一般的な昆布の佃煮にお好みソースを加えて,より豊かな味の佃煮に仕上げられているという説明が適切なのかも知れません。

 この考えを進めれば,家庭で昆布の佃煮を作る際にも,お好みソースを隠し味として加えてみるのもよいのではと思いました。

 ヒロツクのCMソング「ヒロツクの~こもち昆布」は,地元広島ではとても有名なフレーズですが,「ソース昆布」でも口ずさめそうです。

2015年4月 9日 (木)

フラダンス(セミヌード)の耳かき -アメリカ・ハワイ州ホノルル市-

ホノルル市内のABCストアで購入しました。
ほとんど裸に近いセミヌードの女性のフラダンサーですが,ここまで開放的だとあまりエロチックなイメージもなく,むしろ自然な感じがします。
日本人観光客向けに,日系人(日本人)のアイデアで作られた耳かきなのかもしれません。
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1ドル99セントで売られていました。(日本円でも買えると思います。)
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2015年4月 4日 (土)

しょうゆの研究4 -鯛と醤酢(ひしおす)・ひしお飯-

 奈良の「古代ひしお」で料理を作り,古代の食事を味わってみることにしました。

 「古代ひしお」に添付されている文書には,「鶏肉のステーキひしお添え」,「ひしお飯」,「カッテージチーズとアボカドのひしお生ハム巻き」,「鯛と醤酢(ひしおす),「オイキムチ」,「豆腐の醤漬」,「わらびのひしお和え」が紹介されていました。

 現在の食材で美味しく食べるための料理を味わうのではなく,古代に食べられていたかも知れない料理を味わうことが主な目的なので,万葉集に詠まれている「鯛と醤酢」と,米とひしおで作るシンプルな「ひしお飯」を作ってみることとしました。


鯛と醤酢

 古代ひしおに添付されていた説明文に万葉集の歌が掲載されています。長意吉麻呂(ながのおきまろ)という人物の歌です。

(「古代ひしお」説明)
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※画像をクリックすると拡大します。

「醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿所見 水ク乃煮物」
(ひしほすに ひるつきかてて たいねかふ われになみせそ なぎのあつもの)

 日本独自のひらがなやカタカナが生まれる前の,外国語(中国の漢字)を用いた万葉仮名なので,読むのが難しいですね。

 大まかな訳は,「醤(ひしお)と酢に,蒜(にんにくなどねぎ類)を搗いたタレで鯛を食べたい。水葱(「なぎ」,ミズアオイのこと)の羹(「あつもの」,熱い汁物のこと)など見たくもない。」と言ったところでしょうか。

 グルメで少しわがままな作者ですね。でも鯛と醤酢の料理が,思い焦がれるほど美味しい食べ物だったことは間違いなさそうです。

 ということで,私の作った「鯛と醤酢」です。

(鯛と醤酢)
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 醤酢の材料は,古代ひしお,米酢,にんにく,青ねぎです。にんにくは,みじん切りとすりおろし両方を入れました。この醤酢を青じその上に乗せ,鯛の刺身に添えました。

 現在は,万葉集の時代とは逆に,ひしおの入手が難しく,鯛(の刺身)は容易に入手することが出来ます。スーパーのおつとめ品で買った刺身には見えない出来栄えです(笑)。

 ひしおに酢やにんにくなどを混ぜることで,よりまろやかで食べやすい味になりました。にんにくの効いた酢味噌のようです。この醤酢が淡泊な鯛の白身の味を引き立て,後の時代に登場する醤油の役割を果たしており,確かに美味でした。

 一方,まずいと酷評された水葱(ミズアオイ)にも興味があり,できれば味わってみたいと,広島市植物公園を訪問した際,事務室で問い合わせてみました。ガイドボランティアの方が4~5人集まって,資料室から植物図鑑まで持ってきていただきました。そこで教えていただいたことは,「野草なので広島市植物公園では展示していないが,近くでは岡山県倉敷市『重井薬用植物園』に行けば見られるであろう」ということでした。

 「重井薬用植物園」のウェブページを拝読したところ,環境省レッドリストの準絶滅危惧,岡山県レッドデータブックの絶滅危惧Ⅰ類と朱書きで書かれており,それを食べたいと言おうものなら怒られそうです。ミズアオイについて詳細に記載されており,有用なデータなので,リンクを掲載させていただきます。
リンク:重井薬用植物園 園内花アルバム ミズアオイ(ミズアオイ科)


ひしお飯

 ひしおは,塩や酢などと一緒に卓上調味料として用いられたようですので,古代の食事で,米にひしおを入れて炊いて食べられていたかどうかは定かではありませんが,当時の食材としてひしお,米,酒,塩,生姜はあったと思われるので,その組み合わせの料理ということで,作ってみました。

 といだ米の中に,古代ひしお(1合あたり大さじ1の割合。適量の酒に溶かす),塩,刻んだ生姜を加え,適量の水を入れて炊きました。

(ひしお飯)
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 ひしお自体が市販の味噌ほどは塩辛くないので,このひしお飯も見た目ほど塩辛くありません。醤油の炊き込みご飯と同じ感覚です。現代の日本の醤油ほどは豊かな旨味を持っていないため,醤油の炊き込みご飯と比べると,単調な味にはなりますが,ひしお本来の味を味わうには最適な食べ物だと思います。
 山菜や鶏肉などの具材を入れれば,一層深みのある炊き込みご飯となるでしょう。

 古代ひしおと現在の日本の醤油を比べると,旨味が強いのはやはり醤油です。しかし,古代の食を再現しようとした場合は,やはりこの古代ひしおの方が近い味となることは間違いありません。

 古代の食文化や生活に思いを馳せ,醤油の原点を見つめ直す。

 今回の『なら食』研究会,奈良県醤油工業協同組合,奈良県工業技術センターによる「古代ひしお」の再現は,そのきっかけを提供し,食文化史の研究にも多大な貢献をされていると思いました。

2015年4月 1日 (水)

クワスの研究 -ライ麦パンからクワスを作る(後編)-

 「クワスの研究 -ライ麦パンからクワスを作る(前編)-」では,クワスの材料の仕込みから,約12時間後までの様子をまとめました。後編では,約20時間経過した段階の様子からをまとめてみます。

(20時間後の容器内の様子)
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(20時間後の液体の様子)
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 これぐらい経てば,もう少し褐色になるかと期待していましたが,途中で少し水を加えたこともあってか,むしろ澄んだ黄色になりました。口あたりが更によくなり,炭酸も液体に溶け込んで馴染んでおり,クワスらしくなってきました。

(1日後の容器内の様子)
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(1日後の液体の様子)
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 褐色になる様子もなく,むしろ濁ってきて,これ以上発酵させると,アルコール分が強くなるばかりではないかと思い,ここで終了としました。

 パンをすくい上げてみると,ふにゃふにゃ,ぼろぼろになっています。このクワスの「もろみ」を金ざるで漉して,液体を絞り出しました。

(金ざるでもろみを漉す様子)
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完成した絞りたてのクワスです。

(自家製クワス[絞りたて])
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 クワスの状態で容器に入れ,冷蔵庫で寝かせると,液体の中の澱(おり,クワスを絞った白色の残りかす)が底に溜まり,透明度が増してきました。

(36時間後のクワスと沈殿して底に溜まった澱)
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 絞ってから1日寝かせ,透明度の高いクワスが完成しました。

(自家製クワス[冷蔵庫で1日寝かせた後])
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 日本ユーラシア協会広島支部で売られていたクワスが褐色だったので,今回もトーストしたライ麦パンの色のような褐色の液体になることを予想していたのですが,若干のとろみと炭酸のある黄色っぽい液体に仕上がりました。
 果たしてこれが本場のクワスに近いのかどうか,よくわかりませんが,クワスが作られる大まかな流れは理解出来たように思います。

 ロシアの人々は,今回のレーズンを加えた「パンクワス」のほかにも,柑橘類を加えた「酸味クワス」,紅茶を加えた「紅茶クワス」など,様々なクワスを作って楽しんでいるようです。


ビールは「飲むパン」


 小麦や大麦をパンに加工する技術は,古代エジプトで発達しました。大麦の麦芽で作られたパンがビールの発酵のために利用され,そのビールの酵母がパン種として利用されたのです。このことから,ビールが「飲むパン」と呼ばれるようになりました。
 実際,中世の頃のビールは,今のビールよりもずっと濃い,ドロドロとした麦の発酵汁のようなものだったようで,栄養価も高く,あたかもパンを食べるかのようにビールが飲まれたということです。


クワスこそ「飲むパン」

 現在のビールは,主に麦芽の煎じ汁に,ホップやビール酵母を加えて発酵させて作られており,わざわざパンを作ってビールを発酵させることは行われていないようです。
 それに対し,今回のクワスは,ライ麦パンを用いて発酵させて作りましたので,この飲料こそ,「飲むパン」と言えるのではないでしょうか。


再びパンに…

 魚柄仁之助氏のアイデア料理に,「パン粉パン」というのがあります。パンの耳を乾燥させてパン粉にし,そのパン粉にスキムミルクを加えて平たく固めたものをフライパンで焼くとクッキー風のパンになるという料理ですが,今回,もろみを金ざるで濾してクワスを絞り出した後の「クワス粕」を焼けば,「パン粉パン」のように再びパンのような食べ物になるのではないかと妙なことを思いつきました。

 クワス粕は,ライ麦パン,レーズン,りんごが原料なので,発酵してどろどろになっているとは言え,焼けばフルーツパンらしく再生するのではないかと期待しながらフライパンで焼いてみました。

(クワス粕を焼いたもの)
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 形にはなったものの,半生のガレットのような仕上がりになりました。
 見た目はそんなに悪くはないのですが,イーストや果物による発酵臭や酸味が強くなっており,味もそのままで食べるより随分痛んだ味になっていました。中まで十分焼けば,それでも食べられないことはありませんでしたが,半生だとさすがの私もギブアップしてしまいました。
 

 ましてや…これを人に「クワス」勇気などありません。

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