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2016年3月

2016年3月24日 (木)

日本刀の笄(こうがい)の耳かき -山口県山口市-

歴食JAPANサミットで紹介された日本刀の笄(こうがい)です。
笄は主に髪を手入れするために使われましたが,付け根が耳かきの形になっていることからもわかるとおり,これで本当に耳掃除もされていたようです。
刀の鐔(つば)の穴(笄櫃孔,こうがいひつこう)に差せるようになっています。
この笄は,もちろん私のコレクションではありませんが,耳かきであると知り,珍しいので掲載しました。
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2016年3月21日 (月)

瀬戸内しまなみ海道のうまいもの -マハタ料理・レモンケーキ-

 広島県尾道市と愛媛県今治市を島と橋で結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」に行きました。

 そこで出会った料理・お菓子を御紹介します。


マハタ料理

 愛媛県今治市,大三島にある「道の駅 多々羅しまなみ公園」へ行くと,道路のあちこちにマハタ料理ののぼりが立っています。

 幻の高級魚とのコピーに魅かれ,同施設内のレストランへ行き,マハタ料理をいただくこととしました。

(マハタ)
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 店内には,マハタのポスターや説明書きがありました。

 説明書きには,
 「マハタは,漁獲量が少なく,市場にはほとんど出回らないため,知名度は低いものの,そのお味は極めて美味しく,美食家の間では「幻の高級魚」と呼ばれております。」
 とありました。

 これは期待が高まります。

 メニューを見ると,マハタ握り御膳,マハタ薄造り御膳,マハタ丼,マハタラーメンなどが用意されていました。

 そんな中,私の目にパッと飛び込んできたのが1日限定5食のマハタ兜煮御膳でした。
 魚のアラ炊き,特に兜煮が大好きな私は,迷わずこれに決めました。

(マハタ兜煮御膳)
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 マハタの兜煮,マハタの吸い物,マハタの肝をマハタの皮で巻いて煮た小鉢,ご飯,茶碗蒸し,漬物です。

 マハタの兜煮をいただきました。
 身は鯛の身のように引きしまって弾力のある白身で,噛みしめるほどに深い味わいがあります。
 皮もコラーゲンが多く含まれており,ねばりのある濃厚な食感を楽しむことができました。
 目玉を含め,骨以外はすべて美味しくいただきました。

 マハタの吸い物も,白身から濃厚ないい出汁が出ていました。

 小鉢に盛られたマハタの肝も,その濃厚な肝の味と,コラーゲンの厚い層に覆われた皮の食感が調和し,さっぱりとしたポン酢とよく合いました。

 愛媛のブランド魚に認定されているマハタ。
 ゼリーのような食感をもつ愛媛の高級柑橘「紅まどんな」とともに,一押しの食材です。


レモンケーキ

 ところ変わって,広島県尾道市の因島に寄りました。

 高台の見晴らしのいいレストランがあり,そこでのんびり海と行き交う船を眺めながら食事をするのが私のお気に入りです。

 今回は土生港に車を止め,商店街を散策してみました。

 そこで見つけたのが,このレモンケーキです。

(レモンケーキ)
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 広島は,レモンの生産日本一ということもあり,洋菓子店やスーパーなどでこのレモンケーキがよく売られています。

 レモンの形をしたスポンジケーキの上にホワイトチョコをコーティングした,昔からある広島の洋菓子です。

(レモンケーキを切った様子)
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 レモンの果汁で作られたスポンジケーキの中に,細かく刻まれたレモンピール(レモンミンチ)が入っており,レモンの風味豊かなお菓子となっています。

 このほかにも,因島は八朔発祥の地なので,「はっさくゼリー」や,「はっさく大福」と呼ばれる餅の中に白あんとはっさくの実が入った大福などのお菓子も有名です。

 今回は車で移動しましたが,レンタサイクルで自転車でのんびりとしまなみ海道を渡るのも楽しいと思います。

2016年3月15日 (火)

歴食JAPANサミット -長州鐔チョコレートづくり体験-

 山口で開催される「歴食JAPANサミット第1回大会」に参加してみようと思った時,歴食JAPANの公式サイトで唯一事前申し込みが可能だったのが,今回の「長州鐔(ちょうしゅうつば)チョコレートづくり体験」でした。

 広島から意気込んで行く以上,何か1つでも確実に参加できるイベントがあればと思っていたので,早速インターネットの申込みフォームから申し込みました。

 後日,歴食JAPAN事務局から受付完了のメールをいただき,これで少なくとも1つはイベントに参加できると安心して,山口を訪問しました。

 当日,「長州鐔チョコレートづくり体験」午後の部に参加しました。


チョコレートで長州鐔をつくる

 講師は,山口県立大学看護栄養学部の園田純子先生(食生活・食文化論)です。

 園田先生は,地域の食文化などを研究されており,同大学で「弁当の日」を実践されています。

 「弁当の日」と言えば,私は,漫画『玄米せんせいの弁当箱』(魚戸おさむ/北原雅紀)の話が頭に浮かびますが,自分で弁当を作ってみることで,食についてたくさん学ぶことが出来る素晴らしい取り組みだと思います。
 私自身もその影響を受けて,弁当を持参しています。

 話が少し脱線しましたが,園田先生と山口市のヘルスメイト(食生活改善推進員)の皆さんからの説明・指導を受けながら,実習に取り組みました。

(長州鐔チョコレート材料・調理器具)
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 長州鐔チョコレートの材料・調理器具です。

 板チョコレート(1人1枚),長州鐔の型枠(シリコン),チョコレートの温度調整(テンパリング)のための温度計,湯せんのためのお湯とボウル,キッチンペーパー,皿となっています。

 最初に,板チョコレートを手で細かく折って片手鍋の中に入れ,一回り大きな鍋のお湯の中にその片手鍋を入れて,徐々にチョコレートを溶かしていきます。

(チョコレートを溶かす様子)
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 途中,チョコレートの温度を温度計で測り,適温になっているか確かめながら作業を進めます。

 十分に溶け,つやが出たら,溶かしたチョコレートをシリコンの型枠に流し込みます。

(チョコレートを流し込む様子)
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 厚さ約5mmの型枠なので,チョコレートをゆっくりと静かに流し込まないと,すぐあふれてしまいます。

 私は欲を張ってチョコレートを多めに流し込みました。(これが後に面倒な結果となるのですが…。)

 チョコレートを流し込んだら,型枠の微細な模様や文字がはっきり出るよう,型枠を台の上で軽くゆさぶります。

 ここまでできたら,型枠ごとチョコレートを冷やし,時間をおいて固めます。

 チョコレートが固まるまでの間,山口大学教育学部の吉村誠先生(国文学,国語教育)から,長州鐔についてのお話がありました。


長州鐔を知る

 「長州鐔」は,かつての長州藩(山口)で作られた日本刀の鐔(つば)のことです。

 今回のワークショップのために,古武具のコレクションで有名な「岩国美術館」の展示品などが会場内に展示されていました。

(日本刀と刀装具)
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 間近で見るのは初めてですが,厳粛な空気,緊張感を感じました。

 鐔は,刀から自分の拳を守るために付けられる仕切りの役目をするとともに,刀のバランスを整える(重心を手元にする)役割もあるそうです。

(「蓑亀図大小鐔(みのがめのずだいしょうつば)」)
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 長州鐔は,山口市や萩市に鐔工(つばこう)が多くおられたことや,安価だったことなどから,全国に流通し,長州藩の一大産業となったようです。

 今回のチョコレートのモデルとなった長州鐔は,「長州萩住清久作(ちょうしゅうはぎじゅうきよひささく)」と呼ばれるもので,宝暦年間(徳川家重の時代)に萩に住んでいた松井清久という人がつくった鐔だそうです。

 お話を伺って,長州鐔が盛んに生産され,全国に広まった理由の1つとして,隣の島根が,「たたら製鉄」にみられるように,全国屈指の鉄の生産地だったことも関係しているのではないかと思いました。


長州鐔とお菓子のきんつばの関係


 吉村先生から日本刀や長州鐔について教えていただいた時,ふと思いついたことがありました。

 それは,「和菓子の「きんつば」のモデルとなった「つば」は,長州鐔だったのではないか」ということです。(きんつばについては,「関東の和菓子と関西の和菓子 -和菓子の比較検証-」参照)

 江戸時代,刀の「つば」が庶民にも広く知れ渡っていたからこそ,「つばの形に似ているお菓子」として「きんつば(金鍔)」・「ぎんつば(銀鍔)」という名称が受け入れられ,現在に至っているのではないでしょうか。

 その際,モデルとなった鐔(鍔)は,全国的に広く流通していた長州鐔だった可能性もあると思います。

 そうであれば,長州鐔をきんつばの材料で作ってみるというのも面白そうだと思いました。
 チョコレートのような美しい形までは再現できないとは思いますが…。


長州鐔チョコレートの完成

 吉村先生の講義の後,チョコレートが冷えて固まったことを確認し,長州鐔チョコレートづくりの再開です。

 型枠から固まったチョコレートを取り出します。

 これが意外と難しかったです。

 チョコレートがやわらかいシリコンの型枠に密着した状態で固まっているため,密着した端の部分をゆっくりはがしていく必要があるのです。

 急いではがそうとすると,チョコレートの厚みが薄いので,割れてしまいます。

 更に,今回の長州鐔には,中央に刀をはめ込むための穴や,四隅にハート型のような「猪目(いのめ)」と呼ばれる飾りの穴があるのですが,この穴の部分をきれいに型枠から外すことも難しかったです。

(型枠とチョコレート)
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 写真を見ると,穴となる部分が,突起となっていることがわかるかと思います。

 これをそのままきれいに外すのが大変でした。

 私は型枠にチョコレートを多めに流し込んでおけば大丈夫だろうと思っていましたが,実際は逆で,多めに流し込んだことにより,接着部分が多くなり,取り外すのに苦労しました。

 時間をかけて何とか取り外し,長州鐔チョコレートが完成しました。

(長州鐔チョコレート)
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 皆様の期待どおり(笑),縦に割れてしまいました。

 しかしながら,中央に「長州萩住 清久作」という文字も出ており,私としては十分な出来です。

(販売用の包装紙と長州鐔チョコレート)
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 当日会場で販売されていた長州鐔チョコレートの包装紙と一緒に記念撮影しました。

 包装紙の左側に,「もののふは さすが肥後づか 長門つば 九曜の星と一に三星」と書かれています。

 これは,ペリー来航の頃の俗謡で,『外国人に立ち向かう勇敢な「もののふ(武士)」は,「肥後づか」(柄,刀を握る部分),「長門つば」(長州鐔),「九曜の星」(肥後細川氏の家紋),「一に三星」(毛利氏の家紋)を装備している』といった意味になります。

 この話は,開場セレモニーの際,歴食JAPANサミット実行委員長の御挨拶でも取り上げられたのですが,山口から「歴食」を日本全国,世界へ発信するきっかけの1つとなった話なのではないかと思います。


歴食JAPANサミットを通じた人との出会い

 ワークショップ終了後,吉村先生に万葉集の長意吉麻呂(ながのおきまろ)の歌に登場する,まずいと酷評された水葱(ミズアオイ)を私が探し求めた話(「しょうゆの研究4 -鯛と醤酢(ひしおす)・ひしお飯-」参照)などをお話しし,盛り上がりました。

 また,同席されていた山口大学教育学部の五島淑子先生(食生活・食文化論)にもお会いでき,食文化についてお話を伺う機会がありました。

 そのほかにも,私と一緒のテーブルで,とてもきれいに長州鐔チョコレートをつくったにもかかわらず,スマートフォンのバッテリー切れで写真が撮れなかった男性や,はるばる佐賀から来られた心優しい「歴女」の女性,歴食JAPAN事務局の皆さんなど,数多くの方との楽しい出会いがあり,とても有意義な1日を過ごすことが出来ました。

 お世話になった方々に,この場をお借りして深くお礼申し上げます。

2016年3月10日 (木)

かぐや姫の耳かき -広島県竹原市-

広島県竹原市は,「安芸の小京都」と呼ばれる歴史情緒あふれる街です。
竹や,その竹から連想される「かぐや姫」が竹原市のシンボルとなっています。
町並み保存地区などで竹細工も多く売られているので,耳かきもあるのではと探したところ,この「かぐや姫」を発見しました。
お坊さんの耳かきばかり沢山持っているので,坊主めくりで姫を当てた気持ちになりました。
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2016年3月 7日 (月)

歴食JAPANサミット -発掘土器クッキー修復体験-

 歴食JAPANサミットで開場セレモニーの後,「発掘土器クッキー修復体験」を申し込み,参加しました。

 「大内氏の宴」などで使われた食器は,使い捨ての土師器だったというお話をしました( 「歴食JAPANサミット -山口に誕生した「歴食」という新たな食の世界-」参照)。

 発掘調査で出土した土師器などは,整理された後,元の形に戻す修復作業が行われるのですが,この作業を土師器に見立てたクッキーで体験してみようというのが今回のワークショップです。

 山口市歴史民俗資料館の学芸員さんから指導・説明を受けながら,順番に体験させていただきました。


土師器クッキー

(配付された土師器クッキー)
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 御用意いただいた土師器クッキーは,卵黄,砂糖,ココア,片栗粉,油を混ぜ合わせ,学校給食で使われたアルマイト食器で型をとって,オーブンで焼かれたお菓子だと説明書きにありました。

 大きさは大小様々でしたが,私は欲張って大きい皿で挑戦することにしました。
(これが後に面倒な結果となるのですが…。)


土器を割る


 はじめに,「ビニール袋の中で4分割ぐらいに割ってください」とお話だったので,土師器クッキーを割りました。

 土師器クッキーをわざわざ一旦壊して,それを修復する体験なのです。

 子供たちは正直に縦横十字に4分割していましたが,素直でない大人の私は,もう少し壊してもよかろうと,更に割りました。(これが後に面倒な結果となるのですが…。)

(クッキーを割った様子)
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土器を元の形に置き直す

 割ったクッキーの破片を紙の上に並べ,元通りの皿の形に直すこととなりました。

 子供たちは数分で原形に直していましたが,細かく割った私は直すのにとても苦労しました。

 「これはもう直らないかも」とも思いましたが,学芸員さんから「ビニール袋の中で壊したものだから,必ず元の形になるはずです。」と励まされ,頑張りました。

 更には,「本当は数枚の皿を混ぜた上で,割って修復した方が現実に近いのですが。」とも…。

 私が「ああでもない,こうでもない」と皿を修復する様子を,テレビカメラマンもアップで撮影していましたが,あまりに遅いので,そのうち別の場所へ移動されました(笑)。

 冬場に汗をかきながら,何とか元通りの形に直せました。

(元の形に置き直した様子)
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 改めて割った様子を眺めると,単純な割り方なのに,なぜ時間がかかったのだろうと思うのですが,逆に修復がとても大変な作業であることが身に染みてよく理解できました。
 私にセンスがなかっただけかも知れませんが…。


資料情報のマーキング

 次に発掘した場所などの資料情報を土器に記入する作業を体験しました。

 「皿の裏側の目立たない箇所にチョコペンで「out94-11 BN039-04」(outは大内(遺跡),BNは発掘場所)とマーキングしましょう」とお話がありました。

 周りのよい子は皆,正直に教えられたネーミングをマーキングしていましたが,私はせっかくだからと,「kojikin」(コウジ菌)とマーキングしてみました。

(資料情報のマーキング)
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 チョコペンをお湯の中で温めては使うという作業を繰り返したため,チョコが水状になり,少しシミになりました。


土器の接着

 次に,形を固定させるための接着です。

 通常はセメダインが使われます。

 これは,間違えて接着しても,アセトンという溶剤で接着剤を落とすことができるからで,やり直しがきくことも重要なことなのだそうです。

 今回は食べ物なので,セメダインの代わりに砂糖で作った液体の飴を使ってクッキーを接着しました。

(土器の接着)
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 写真のように,接合部分に接着剤(飴)を付けて接着させるのですが,私は大きくて厚みのある皿を選んだので,なかなか接着しづらく,苦労することになりました。

 「それなら皿の表面にも接着剤(飴)をつけて補強すればいいじゃないか」と思い,先の尖った金属串で表面に飴を塗っていると,講師の方から「待った」がかかりました。

(土器の接着と飴)
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 講師の方から,「実際の修復作業では,接着剤をつけていることが表面から見てわかるようなやり方はしないので。」と教えていただきました。

 体験中のこうしたお話はとてもよく理解できます。


土器の破片を補う

 最後に石膏で不足している破片を補うのですが,今回は石膏の代わりにアイシング(砂糖がけ)を塗りました。

 価値のある萩焼を修復するかのように,見た目をリアルに仕上げようと思いました。

(土器の補強)
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 写真右上はアイシングの液体です。
 実際,この土師器クッキーは厚みがあるので,これぐらい補強しなければ固定しませんでした。

 これで無事体験終了です。


土師器クッキーの実食

 土師器クッキーを御用意いただいた袋に詰め,お土産としていただきました。

(土師器クッキー)
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 自宅に戻り,土師器クッキーをいただいてみました。

 近くに寄って見れば見るほど,本当に土から作った土器のようですが,実際に割ってみても,土と同じようにパラパラと崩れます。

 食感もバターなどの油脂がほとんど入ってない分,口の中でさらっと溶けていくような感じです。

 砂糖と玉子が中心のシンプルな味で,食感も含め,たまごボーロに似ていると思いました。

 小麦粉の代わりに片栗粉が使われていることもその理由の1つだと思います。

 ココアの色付けも含め,土器としてのリアリティーを出すために,色々と工夫された様子が伺えました。


まとめ

 今回のワークショップにより,歴史や考古学の世界を身近に感じ,興味を持つようになりました。

 終了後,お世話になった講師の方々に,「私も子供のころにこんな体験をしていれば,もっと歴史や考古学に興味を持ったと思います。今回のような歴史の体験型学習は大切ですね。」とお話しました。

 準備が大変だったようで,開催前日も夜遅くまで土師器クッキーなどを用意されていたとのこと。そのおかげで楽しく学べたことを思うと,頭の下がる思いでした。

 お礼を言って会場を後にしましたが,最後につい「今回の修復体験,土器だけにドキドキしました。」と言ってしまいました。

 ゴメンナサイ。どうしても言いたかったのです(笑)。

(土器片形クッキー「ドッキー」)
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 土器とクッキーを合わせたマスコット「ドッキー」です。

 私の「ドキドキ」と同じ発想だと思うのですが…。

2016年3月 1日 (火)

歴食JAPANサミット -山口に誕生した「歴食」という新たな食の世界-

「歴食」という新たな食の世界

 2018年に明治維新から150年を迎える山口。
 山口市の街中に維新150年を記念する紅白の旗が掲げられ,近代日本の「幕開け」が,まさにこの地を中心に展開されたことを感じさせてくれます。

(「明治維新策源地・山口市」の旗とロゴ)
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 このロゴは「幕開け」を象徴する朝日をベースに,一・五・〇を落款印風に意匠化したものです。

 そして,この度,維新150年を迎える山口市において,食の世界で「維新」が起きました。

 「歴食」という新たな食の世界が誕生したのです。

 「歴食」を最初に提唱した山口商工会議所山口名物料理創出推進会議によると,「歴食」とは,「歴史的なストーリーを有した,価値ある食」と定義付けされています。

 同会議は,「歴食」を通じて,各地域が連携し,食のルーツを知り,地域の歴史を知る機会を創出することを主な目的として活動されています。


歴食JAPANサミット・第1回大会 in 山口市

 今回私は,2016年2月20,21日に開催された「歴食JAPANサミット・第1回大会」の「歴市(21日開催)」に参加しました。

(「歴食JAPANサミット」パンフレット)
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 会場は,山口市湯田温泉にある「カリエンテ山口」です。

 開場前から既に大勢の人で賑わっていました。

 開場セレモニーでは,「歴市」出展者から,出展された「歴食」が紹介されました。

(開場セレモニー)
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 歴食アドバイザーに就任されている辰巳琢郎さんも来場され,会場は盛り上がりました。

 メイン会場では,様々な歴食の展示,試食・販売コーナーが設置されていました。

 そのいくつかを御紹介します。


大内氏の宴と「平成大内御膳」

(大内氏の宴)
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 1500(明応9)年,室町幕府の将軍 足利義稙(よしたね)が山口の大内義興(よしおき)を訪問した際に供されたとされるもてなし料理です。

 中世最大級の宴が催され,料理は32献110品以上あったというから驚きです。

 その食材も,鯛,伊勢海老,ウニ,アワビ,数の子,果てはイルカやツルまで出されたようなので,まさに贅の限りを尽くした宴です。

(『明応九年三月五日将軍御成雑掌注文』にみる食材)
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(山口市教育委員会「大内氏の宴 -出土品にみる中世山口の食文化-」から引用)

 
こうしたふるまいは,食が単に食欲を満たし,栄養を摂取するための手段だけではなく,交渉や情報交換の場の提供や,社会的地位や権威を誇示するための手段でもあったことを如実に示しています。

 また,宴に使われた食器も,ある意味贅沢品です。

 と言うのも,食器には素焼きの土器である「土師器(はじき)」が使われたのですが,これが1回限りの使い捨てだったようなのです。

 1回限りの食器とすることで,宴の価値を高める意味があったのだと思います。

 ただ,個人的には,せっかく苦労して作った器なのにもったいないという感想を持ちました。

 ここまで書いてふと思ったのですが,現在私達は外などで食事する際,紙やプラスチック製の食器を使い捨てにしていますが,このことを未来の人間が知ると,「彼らは何てもったいないことをしていたんだ」と思われることになるかもしれませんね(笑)。

 冗談はさておき,逆にこうした使い方がされたおかげで,土師器が捨てられた現場(廃棄土坑)の出土品や残留物を調査することにより,どれくらいの規模で,どんな食べ物が食べられていたのかを解明することができ,当時の書類と照合することで,大内氏の宴の様子を知ることが可能となりました。

(廃棄土坑の調査風景)
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(山口市教育委員会「大内氏の宴 -出土品にみる中世山口の食文化-」から引用。一部加工)

 出土した食器だけでなく,土まで持って帰って調べるのですから,相当根気のいる大変な作業です。

 この一大御膳を,山口名物料理創出推進会議が,関係者の協力を得て現代に甦らせたのが「平成大内御膳」で,湯田温泉の各施設で味わうことができます。

(「平成大内御膳」)
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(「歴食JAPANサミット」パンフレットから引用)

 当時の味を忠実に再現するために,砂糖,みりん,醤油などは一切使わず,塩や煎り酒,たれ味噌といった当時の調味料が使われているのが魅力です。

 まさに殿様気分を味わえる料理なので,その雰囲気も含め,一度味わってみたいです。


弥生の食器

 愛知県の安城市埋蔵文化財センターから出展された弥生時代の食器です。

(弥生の食器)
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 写真左から,煮炊きをする器(台付甕),液体などをためる器(広口壺),料理を盛り付ける器(高坏)です。

 これらの食器は今回「歴食器」と表現されていました。


益田氏の饗応料理

 島根県の益田「中世の食」再現プロジェクトにより再現された,益田氏の饗応料理です。

(益田氏の饗応料理)
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 現存する益田家文書の解読や専門家の協力により再現されました。

 調味料においても,砂糖や醤油が普及してない時代を考慮し,中世の甘い酒で甘味を出したり,その酒を梅などと一緒に煮詰めた「炒り酒」でうま味を足したりする工夫がなされています。


三角縁神獣鏡チョコ

 福井市立郷土歴史資料館からの展示品です。

(三角縁神獣鏡チョコ)
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 同資料館では,古墳時代の鏡「三角縁神獣鏡」のシリコン製鋳型にチョコレートを流し込んで,原寸大のチョコレプリカをつくるワークショップが行われており,楽しみながら歴史を学べる工夫がされています。

 今回の「歴食JAPANサミット」でも,食の体験型ワークショップとして,土器にみたてたクッキーを一度割って,砂糖を煮詰めた接着剤等で復元させる「発掘土器クッキー復元体験」や,刀の長州鐔(つば)でつくられたシリコン型にチョコレートを流し込んで鐔のレプリカをつくる「長州鐔チョコレート造り体験」の2つのイベントが開催され,好評を得ていました。

 このほかにも,縄文・弥生時代の土器クッキー「ドッキー」・縄文どんぐりクッキー・古墳型ケーキ・歴史意匠グッズ,奈良時代の宮廷料理「天平の宴」,奈良~平安時代の万葉食「貴族の御膳」,室町時代の「香物」・「橘焼」,戦国時代の「戦国三好御膳」,江戸時代の「熊本城本丸御膳」,幕末の「和宮御膳」・「新撰組御膳」・山口の久坂玄瑞や大村益次郎にちなんだ料理,明治時代以降の「日本のワインの歴史」・「名古屋めし」など,各時代の「歴食」をバランスよく展示・販売されていました。

 内容がとても充実していたので,開場から閉場セレモニーまでの時間があっという間でした。

 歴史や食に興味・関心を持つ人たちが一同に会した今回のサミット。

 「歴食」が新たな歴史・食の分野として,もっと多くの人に認識され,食から歴史に興味・関心を持ち,歴史から食に興味・関心を持つという,相互の有機的なつながりを持った発展につながってほしいものです。

 新たな食の世界の「幕開け」を,維新150年を迎える山口で実感しました。

(関連サイト)
 歴食JAPAN公式サイト http://reki-shoku.jp/

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