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2023年11月12日 (日)

徳島県鳴門市・第九の里なると(板東俘虜収容所跡地・ドイツ館・道の駅第九の里)を訪ねて -第九の里ジェラート-

徳島駅から板東駅へ

 徳島県を訪問しました。

 今回は徳島県鳴門市の「第九の里なると」(板東俘虜収容所跡地・ドイツ館・道の駅第九の里)を御紹介します。

 JR徳島駅からJR高徳線を利用し、板東(ばんどう)駅を目指しました。

(徳島駅2番ホーム・特急うずしお・高松行)
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 徳島駅2番ホームに停車する高松行きの「特急うずしお」です。

(徳島駅2番ホーム・特急うずしお・普通列車)
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 私が乗る列車は、この特急うずしお…の奥に待機している後続列車です。

(徳島駅2番ホーム・普通列車・板野行)
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 JR高徳線・板野(いたの)行きの普通列車(気動車・ワンマン)です。

 快調なディーゼルエンジンの音を聞きながら、徳島駅を出発しました。

(徳島駅・出発進行)
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 童心に帰り、運転席の横でワクワクしながら景色を楽しみました。

(先頭車両から見た吉野川・吉野川橋梁)
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 吉野川橋梁からは吉野川が見えました。

 利根川の「坂東太郎」、筑後川の「筑後次郎」に続く「四国三郎」です。

 車窓からの景色をしばらく楽しんでいるうちに、列車は板東駅に到着しました。

(板東駅に到着した普通列車)
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 運転手さんに改札してもらうところが、ほのぼのして良かったです。


板東駅から徒歩で「第九の里なると」へ

 板東駅に「第九の里なるとマップ」がありました。

(第九の里なるとマップ)
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 板東駅から「第九の里なると」の各施設までは、少し距離があるのですが、私は徒歩で向かいました。

 駅前の古い街並みの残る「ばんどう門前通り」を歩き、橋を渡り、大きな県道に出て、「この道で合っているのだろうか」と不安になっていると、目の前に案内標識が見えました。

(鳴門市ドイツ館・賀川豊彦記念館・大麻比古神社・霊山寺案内標識)
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 ホッと一安心し、板東俘虜収容所跡地を目指しました。


板東俘虜収容所跡地

 1914年8月、第一次世界大戦の影響を受けて、中国・青島(チンタオ)で日本とドイツの間で戦争(日独戦争)が起きました。

 この戦争の影響で、日本はドイツ兵捕虜(俘虜)を日本各地の収容所(習志野(千葉)、名古屋(愛知)、青野原(兵庫)、板東(徳島)、似島(広島)、久留米(福岡))へ移送しました。

 「板東俘虜収容所(ばんどうふりょしゅうようしょ)」は、その収容所の1つです。

(四国各地の俘虜収容所と板東俘虜収容所)
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 (鳴門市「「板東俘虜収容所」の世界」から一部引用)

 四国には板東のほかに、徳島・丸亀・松山にも収容所がありましたが、板東に集約され、ピーク時には1,000人を超える捕虜(俘虜)が収容されました。

(板東俘虜収容所要図)
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 (鳴門市「国指定史跡 板東俘虜収容所跡 -語り継がれてきた約100年前の歴史に学ぶ-」から一部引用)

 板東俘虜収容所の敷地面積は約57,000㎡で、管理棟、兵舎(バラッケ)、給水施設、調理場、製パン所、浴室、食堂、酒保(売店)などがありました。

 敷地内を散策してみました。

(ドイツ兵の慰霊碑)
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 こちらは収容所で亡くなったドイツ兵の慰霊碑です。

 写真手前の慰霊碑は、昭和23(1948)年に地元住民によって再発見され、のちに鳴門市とドイツ・リューネブルク市とで国際交流が始まるきっかけとなりました。

 写真右上の慰霊碑は、全国の収容所で亡くなった捕虜を弔うために建てられたドイツ兵合同慰霊碑です。

(製パン所跡)
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 こちらは製パン所跡です。

 当初、日本人が「かまど」を作りましたが、よく故障し、ドイツ人が好むパンが焼けなかったことから、ドイツ人捕虜が作り直しを願い出ました。

 それが認められ、かまどが作り直されてようやく美味しいパンが焼けるようになったようです。

(製パン所内部(当時)の写真)
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 (鳴門市「国指定史跡 板東俘虜収容所跡 -語り継がれてきた約100年前の歴史に学ぶ-」から一部引用)

 「パンのことなら俺たちに任せろ」と言っているように見えます(笑)

 パンのほかに、ソーセージやドイツ菓子も作られたようです。


鳴門市ドイツ館

 板東俘虜収容所跡地を見学した後、高松自動車道をくぐって道の駅「第九の里」・鳴門市ドイツ館を訪問しました。

(道の駅「第九の里」と鳴門市ドイツ館)
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 写真手前が道の駅「第九の里」、奥が鳴門市ドイツ館です。

 道の駅「第九の里」は、兵舎(バラッケ)を利用した建物となっています。

(鳴門市ドイツ館)
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 「鳴門市ドイツ館」は、板東俘虜収容所で生活していたドイツ人捕虜と地元民の交流を後世に伝えるために建てられた施設で、元捕虜から寄贈された資料など、当時の貴重な資料が展示されています。

 このドイツ館の敷地に「第九」の作曲者・ベートーヴェンの銅像が設置されています。

(ベートーヴェン像)
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 ゴミを後ろへ放り投げている姿…ではなく、音楽の指揮を執っている姿です(笑)

(ベートーヴェン像の説明)
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 ベートーヴェン像の石台には「ベートーヴェン「第九」交響曲は、1918年6月1日、ここ板東において日本で初めて演奏された」との説明文があります。

 なんだ年末じゃないのか…(笑)

 続いてドイツ館の館内を見学しました。

 受付でチケットを購入し、写真撮影の承諾申請書も提出しました。

(仲間との食卓)
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 (ドイツ館・館内展示)

 兵舎(バラッケ)での仲間との食事の様子です。

(ドイツ兵が使っていたヴァイオリン)
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 (ドイツ館・館内展示)

 こちらはドイツ兵が使っていたヴァイオリンです。

 館内で音楽活動の紹介映像も鑑賞したのですが、その中で「ドイツ人捕虜は男性ばかりだったので、第九合唱の際、高音のソプラノやアルトのパート配分で苦労した」というお話が印象的でした。

 1階のミュージアムショップへ行くと、ドイツや音楽関係のグッズが販売されていたので、私はドイツのプレッツェルスナックやピアノの鍵盤がデザインされた定規などを購入しました。

(フーバープレッツェル)
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第九の里カフェの「第九の里ジェラート」

 ドイツ館の見学を終え、道の駅「第九の里」に併設する「第九の里カフェ」へ向かいました。

(第九の里カフェ)
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 このお店で、鳴門ご当地料理「鳴ちゅるうどん」や第九・ドイツにちなんだ「第九ホットドッグ」、「カリーヴルスト」をいただく予定でした。
 (この写真はそのつもりで到着してすぐに撮影したものです。)

 これが今回の訪問のハイライトであり、一番の楽しみでした。

 が…ドイツ館を見学している間に15時30分を過ぎ、お店はすでにオーダーストップを迎えていたのです。

 「ジャジャジャジャーン」

 私の心の中でベートーヴェン交響曲第5番「運命」が流れたのは言うまでもありません。

 気を取り直し、道の駅「第九の里」物産館を見て回ると、「第九の里ジェラート」が販売されていました。

(「第九の里ジェラート」案内看板)
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 なると金時、すだち、和三盆、れんこん、鳴門わかめといったご当地食材が使われたジェラートも提供されています。

 数多くのジェラートの中から、私は「和三盆とつぶつぶれんこん」のジェラートをいただきました。

(第九の里ジェラート(和三盆とつぶつぶれんこん))
Photo_20231112150102

 和三盆はやさしい甘みとくちどけが特長の高級砂糖で、徳島県(阿波和三盆)と香川県(讃岐和三盆)のものが有名です。

 そしてレンコンですが、徳島県のレンコン生産量は、茨城県に次いで全国第2位を誇っています。

 ジェラートには、この和三盆と細かく刻まれたレンコンが加えられていました。

 和三盆のやさしい甘みと、レンコンのシャクシャクとした食感を楽しめるジェラートでした。


まとめ

 捕虜(俘虜)収容所と聞けば、暗くて非人道的な扱いを受ける施設とイメージしがちですが、板東俘虜収容所は松江豊寿(まつえ とよひさ)所長のもと、ハーグ陸戦条約に基づき、人道的に対応され、自主性も尊重されたようです。

 ドイツ兵による地元住民との交流、音楽活動、演劇活動、スポーツ活動、食品(パン・ソーセージ・ドイツ菓子など)製造、作品展覧会といった文化的活動は、ある程度の自由と余裕がなければ成し得ません。

 広島市南区の似島(似島捕虜収容所跡)でも同様の文化的活動がなされたようです。

 その結果として、板東俘虜収容所では日本で初めてベートーヴェンの「第九」が紹介され、似島俘虜収容所ではカール・ユーハイムにより日本初のバウムクーヘンが誕生したのです。

 こうした事実は、敵・味方や国の枠を超えた、人と人としての素晴らしいつながりがあったことを物語っています。


<関連サイト>
 「板東俘虜収容所跡」(鳴門市)
 「鳴門市ドイツ館」(徳島県鳴門市大麻町桧字東山田55-2)
 「道の駅「第九の里」」(徳島県鳴門市大麻町桧字東山田53)

<関連記事>
 「日本のバウムクーヘン発祥の地・似島 -似島とカール・ユーハイム,似島バウムクーヘン-

<参考文献>
 「国指定史跡 板東俘虜収容所跡 -語り継がれてきた約100年前の歴史に学ぶ-」鳴門市
 「「板東俘虜収容所」の世界」鳴門市

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宗教・食文化史」カテゴリの記事

コメント

せっかく行ったのに、うどんやソーセージやホットドッグが食べられなくて残念でしたね!
カリーヴルストは、何で知ったか忘れたけど、私も食べてみたいやつです。
ジェラートは「鳴門わかめ」がすっごく気になりました。
バニラ(ミルク)ジェラートに刻んだワカメが入っているのでしょうか…甘じょっぱい系?

徳島県は全国で唯一電車が走ってない県だそうですが・・・
気動車には独特の旅情を感じます(^_^)
外から見てもスッキリしているし!
年末に第九が演奏されるのは、楽団員に年末ボーナスを配る為らしいですが、夏のボーナスはどうしているのでしょうね(^_^;)
あれ?今日は鉄道と近代史の記事か?
と思っていたら、オーダーストップとは!
ベートーベンのピアノソナタ第8番の日本名は「悲壮」ですが・・・
最後は第九の里ジェラートで〆るとは、さすが\(^^)/

chibiaya 様

chibiayaさん、こんばんは。
いつもコメントいただき,ありがとうございます。

第九の里カフェ、道の駅だし、夕方までは開いているだろうと思い、油断していました(>_<)
カリーヴルスト、本場ドイツも、ソーセージにカレー粉とケチャップをかけた料理のようですね。
パンと一緒に第九の里で味わってみたかったです…。
鳴門わかめのジェラート、言われてみると確かに珍しく、どんなものか食べてみたくなりました(笑)
刻んだ鳴門わかめが混ぜられているようですね。ちょっとしょっぱいなら、なお面白い!
当時はどれか1つだけと思っていましたが、今回記事を作る際、改めてジェラートの看板の写真を見てみると、シングルのほかにダブルやミニトリプルもあり、このミニトリプルで珍しいご当地ジェラートを3種類いただけばよかったと思いました。
chibiayaさん、機会があればリベンジの取材お願いします(笑)

なーまん 様

なーまんさん、こんばんは。
いつもコメントいただき,ありがとうございます。

そうですね。確かに徳島駅発の普通列車だけでなく、特急列車も気動車でした。
見知らぬ場所で、旅情を感じさせてくれる気動車に乗車したので、列車の旅がとてもワクワクしました。
このワクワク感は、都市部での電車や地下鉄ではなかなか味わえませんよね。

年末に第九が演奏される理由、そんな現金なお話だったのですか。さすがよく御存知ですね!
板東において日本で初めて演奏された6月1日頃にも第九を演奏すれば夏のボーナス問題もクリアできそうですが(笑)

今回の記事、食べ物の話題が少なくてすみません。
俘虜収容所の話は、似島のバウムクーヘンの話とも一致するため、どうしてもまとめておきたかったのです。
ベートーヴェンの「悲愴」を感じていただけたなら、本望です(笑)
鳴ちゅるうどんや第九ホットドッグ、カリーヴルストは味わえませんでしたが、最後の最後に第九の里ジェラートが味わえて良かったです!

俘虜収容所の歴史は語り継がれるべきものですね、
その形が軟であれ硬であれ、それがあることで
人の記憶に刻まれるはずですから。
収容所の製パン所に、そこでのかまどに作り直しの話、
日本人もドイツ人の求めるものを作ったところに感慨です。
もちろん日本人もそのパンを賞味したと思うんですけど、
そのときにどう感じたんでしょうね。

鉄道の写真いいですね、なごみます^^

サウスジャンプ 様

サウスジャンプさん、こんばんは。
いつもコメントいただき,ありがとうございます。

俘虜収容所と言うと、負のイメージや暗いイメージの方が大きいですが、第一次世界大戦時の日本の捕虜の扱いについては割とおおらかな面もあったようで、音楽会やバウムクーヘン発表会など地元住民との交流もなされたことも理解しておく必要があると思います。
サウスさんのおっしゃるように、こうした歴史も語り継がれ、両国の交流につながればいいなと思います。

日本人の作ったパンのかまどに作り直しを求めるドイツ兵。寛容で風通しの良い収容所だったのでしょうね(笑)
日本側の監視員なし、ドイツ兵だけで山や瀬戸内海へ遠足に行かれたことも多々あったようで、びっくりです!
ドイツ兵が作り直したかまどで焼いたパンを食べた日本兵が「うん、うまい!本場ドイツのパンは違う」とか言ったのでしょうか。
作り直しを認めた日本兵は相当なグルメだったりして(笑)

鉄道の写真も御覧いただきありがとうございます。行ったような気分になっていただければと作ってみたので、嬉しいです。

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