宗教・食文化史

2021年2月13日 (土)

ゲーテの小説「若きウェルテルの悩み」とシャルロッテ -ロッテの「CHARLOTTE 生チョコレート」-

 ドイツの小説家・ゲーテの「若きウェルテルの悩み」。

 ファンの方も多いと思います。

 また内容までは知らなくても,その名前は御存知の方も多いでしょう。

 かのナポレオンも愛読し,陣中で7回読んだと言われるほど,今も昔も人気の高い恋愛物語です。

 今回は,そんな「若きウェルテルの悩み」の魅力と,その小説にまつわる会社やチョコレートの話に触れてみたいと思います。


ウェルテルとシャルロッテの出会い

 作者であるゲーテ自身の恋愛体験をもとに書かれた小説「若きウェルテルの悩み」。

 世界的な名作として,日本でも様々な本が出版されています。

(ゲーテ「若きウェルテルの悩み」)
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 この作品は,主人公の青年・ウェルテルがその親友・ウィルヘルムへ宛てた手紙(日記)を,ウェルテルの死後,ウィルヘルムが読者に紹介することで展開します。

 失恋をしたウェルテルがウィルヘルムと一緒に住んでいた街を離れ,感傷旅行をすることから物語が始まります。

 旅先のワールハイムと呼ばれる村で様々な人とふれあい,次第にその村で前向きに人生を送るようになったウェルテルにある転機が訪れます。

 知り合いから「舞踏会をしたいので,参加してほしい」とお願いされたウェルテルは,踊り相手となる女性を誘ってその舞踏会に参加することにしました。

 舞踏会当日,ウェルテルは踊り相手の女性やその従妹と一緒に馬車に乗り,会場を目指します。

 途中,同伴の女性からある提案がありました。

 「舞踏会にシャルロッテも誘いましょう。美しい方ですよ」

 ウェルテルは訳も分からないまま,これに同意します。

 すると同伴の女性の従妹から,

 「恋をなさらないように御用心を」と釘を刺されてしまいます。

 ウェルテルがその理由を尋ねると,

 「あの方はもうお決まりになっていますの」との返事。

 ウェルテルはこの話をさして気にも留めず,馬車でウェルテルの住む屋敷へと向かいます。

 しかしながら,シャルロッテの住む屋敷へ到着し,シャルロッテに出会った瞬間からウェルテルの気持ちは一転してしまいます。

(シャルロッテとの出会い)
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(ゲーテ「まんがで読破 若きウェルテルの悩み」イースト・プレスから一部引用)

 ウェルテルは亡くなった母親代わりとして幼い弟や妹たちの面倒を見ているシャルロッテに出会い,その姿,声,しぐさにすっかり心を奪われてしまいます。

 幼い子供たちもすぐにウェルテルに慣れ親しみ,寄り添ってきました。

 やがて誘いを受けたシャルロッテは身支度を整え,ウェルテルらと共に舞踏会に参加します。

 会場でウェルテルは最初に舞踏会へ誘った女性とダンスを踊るのですが,お互い相性が合わずギクシャクしてしまいます。

 そこでウェルテルはダンスを上手に踊っていたシャルロッテに「一緒に踊ってほしい」と申し入れます。

 それを受け入れたシャルロッテとワルツを踊ってみると,息がピッタリ合いました。

(ウェルテルとシャルロッテのダンス)
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(ゲーテ「まんがで読破 若きウェルテルの悩み」イースト・プレスから一部引用)

 ウェルテルはウィルヘルムに手紙でその時の様子をこう伝えています。

 「ロッテ(シャルロッテの愛称)の身ごなしの,なんと軽く,なんと人を魅了するものだろう」
 「これほどにも愛らしい娘を腕に抱いて…」
 「ほかの男とは踊らせない。たとえわが身はそのために滅びようとも…」
 「私はもう人間ではなくなった」

 最後のセリフはちょっとヤバイですね。

 こうしてウェルテルは完全に恋愛のスイッチが入ってしまい,ドロドロの恋愛劇が始まることとなります。


アルベルトの登場とウェルテルの絶望

 シャルロッテに恋心を抱いたウェルテルは,シャルロッテの弟妹(ていまい)にも気に入られたこともあり,シャルロッテの住む屋敷に足繁く通うようになります。

 ウェルテルは,シャルロッテにはアルベルトという婚約者がいることを知っていながら,旅に出ている彼の事は考えないようにして,シャルロッテやその弟妹たちと楽しく人生を謳歌していたのです。

 しかし,そんな生活も長くは続きませんでした。

 シャルロッテの婚約者アルベルトが旅から帰ってきたのです。

(アルベルトの登場)
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(ゲーテ「まんがで読破 若きウェルテルの悩み」イースト・プレスから一部引用)

 ウェルテルにとって,身分に恵まれ,才能があり,容姿端麗で,包容力があるアルベルトは到底手の届かない,ライバルにすらなれないような存在でした。

 「人間に喜悦を与えるまさにそのものが,かえってその悲惨のもととなる」

 ウェルテルは悩んだ末,シャルロッテとの付合いに終止符を打ち,ワールハイムを離れることとします。

 しかしながらシャルロッテのことが忘れられないウェルテルは,その離れた地での生活に馴染めず,結局再びシャルロッテの住むワールハイムに戻ってくるのです。

 シャルロッテに再会した時,彼女はすでにアルベルトと結婚していました。


ウェルテルの決意

 思い詰めたウェルテルは,使いの少年を通じてアルベルトへ手紙を送り,1つのお願いをします。

 その内容は「旅行がしたいので,護身用にピストルを貸してほしい」というものです。

 アルベルトは何も怪しまずに妻(シャルロッテ)に「ピストルを渡してあげなさい」と言い,使いの少年には「旅行中お大事に,と申し上げておくれ」と言付けます。

 この時シャルロッテはウェルテルの行動を悟ったのですが,夫にウェルテルとの関係を言い出せないため,震える手で使いの少年へピストルを渡します。

 やがてウェルテルのもとにピストルが届き,ウェルテルはピストル自殺を決意します。

(ピストル自殺の決意)
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(ゲーテ「まんがで読破 若きウェルテルの悩み」イースト・プレスから一部引用)

 「こいつで,すべての僕の悲惨な運命ともお別れだ」
 「僕らは永遠にひとつになれる」

 友人のウィルヘルム宛ての最後の手紙(遺書)をしたためます。

 「決まりました,ロッテ,私は死にます」

 「これは絶望ではありません。確信です。自分はたえぬいてきた,そしてあなたのために犠牲になる,その安心です」

 「われわれ3人のうち1人が去らなくてはならないのです。私がその1人になろうと思うのです」

 「弾はこめてあります。12時が鳴っています。では,ロッテ,ロッテ。さようなら,さようなら」

 そしてウェルテルの部屋に銃声が鳴り響いたのでした。

 ウェルテルの自殺の知らせに,アルベルトは驚愕し,シャルロッテは悲嘆し,ウィルヘルムは親友の苦悩に無力だった自分を責めます。

 翌日の正午12時,ウェルテルは亡くなりました。

 こうしてこの物語は静かに幕を閉じるのです。


永遠の恋人「シャルロッテ」からお口の恋人「ロッテ」へ

 お菓子メーカーの「ロッテ」の社名は,これまで御紹介した「若きウェルテルの悩み」に登場するヒロイン・シャルロッテの愛称に由来しています。

 「永遠の恋人」として知られるシャルロッテのように,世界中の人々から愛される会社でありたいという願いが込められているのです。

(ロッテ・ブフ(シャルロッテ))
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(ゲーテ(竹山道雄訳)「若きウェルテルの悩み」岩波文庫から一部引用)


ロッテの「CHARLOTTE 生チョコレート」シリーズ

 お菓子メーカーの「ロッテ」から,秋冬限定で,ずばり「CHARLOTTE(シャルロッテ)」という名称の生チョコレートが販売されています。

 「会名や店名を冠し,なおかつ少し高価な商品・メニューは,かなり気合いが入っていて,得することが多い(ハズレが少ない)」というのが私の経験談です。

 今季(2020年~2021年 秋冬)の「CHARLOTTE 生チョコレート」を購入しました。

(「CHARLOTTE 生チョコレート」(箱・2020-2021 キャラメル・カカオ))
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(「CHARLOTTE 生チョコレート」(箱・2020-2021 カカオ))
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 包装は紙製で,1枚ずつ個包装されています。

(「CHARLOTTE 生チョコレート」(2020-2021 カカオ))
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 チョコレートの表面には,シャルロッテの頭文字にちなんだ「C」と「L」のマークが施されています。

 ロッテの「CHARLOTTE(シャルロッテ)」シリーズは,平たいチョコレートの中に生チョコレート(ガナッシュ)が入っているもので,それらが口の中で溶け合い,豊かで深い味わいが楽しめるチョコレートとなっています。

 まさに「お口の恋人」と呼ぶにふさわしい,ロッテを代表するチョコレートです。

 今季のラインアップは,アクセントにヘーゼルナッツを加えた「カカオ」,ソルトを加えた「キャラメル」,そしてカシスを加えた「ストロベリー」の3種類となっています。

(「CHARLOTTE 生チョコレート」(箱・2020-2021 ストロベリー))
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 社名そのものが商品名だけに,チョコレートはもちろん,パッケージのデザインなどにもかなり力を入れておられます。


 「若きウェルテルの悩み」のウェルテルやシャルロッテに思いを馳せながら,ロッテの「CHARLOTTE 生チョコレート」を味わってみるのもいいかも知れませんね。


<関連サイト>
 「ロッテ(LOTTE)」(東京都新宿区西新宿3-20-1)

<関連記事>
 「千葉ロッテマリーンズ スティッチの耳かき -千葉県千葉市-

<参考文献>
 ゲーテ「まんがで読破 若きウェルテルの悩み」イースト・プレス
 ゲーテ(竹山道雄訳)「若きウェルテルの悩み」岩波文庫

2020年5月15日 (金)

黄檗山萬福寺の普茶料理(後編) -普茶料理の紹介(笋羹・麻腐・浸菜・油じ・雲片・飯子・寿免・醃菜・水果)-

 黄檗山萬福寺の普茶料理(前編)で普茶料理の概要を御紹介しましたが,後編では実際の普茶料理について御紹介したいと思います。

 今回は,私も煎茶道のメンバーとして,3人がまとまって料理をいただけるよう予約していただいたため,これから御紹介する料理は全て3人前であることを前提に御覧いただけたらと思います。

(普茶料理案内板(黄龍閣入口))
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 食事会場の黄檗山萬福寺「黄龍閣」入口です。

 普茶料理を目当てに広島からやってきただけに,期待が膨らみました。

 会場を案内していただき,いよいよ食事の開始です。

 普茶料理は,大皿に盛られた料理を個人の皿に取り分け,お茶を飲みながらいただくのが基本なので,それぞれの席には,箸,湯呑み,取り分け皿が用意されていました。

(個人用食器)
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 お茶を注いで飲みながら歓談していると,大皿に盛られた料理が運ばれてきました。


笋羹(シュンカン)

 「普茶料理の華」と称される「笋羹(シュンカン)」です。

(笋羹(シュンカン))
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 旬の野菜や乾物類の煮物などが大皿に盛られた料理です。

 萬福寺での行事や法要の際,来客のために修行僧が作ったのが始まりとされています。

 それでは個々の料理をみていきましょう。

(巻き湯葉の含め煮)
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(よもぎ麩の揚げ煮)
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(大徳寺麩のレモン添え)
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(かまぼこ擬き)
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 「擬き(もどき)」は本物そっくりという意味で,「擬き料理」は,見た目や味・食感までも本物そっくりに仕上げた料理を言います。

 精進料理には肉や魚が使えないことから擬き料理が発展しました。

 写真の「かまぼこ擬き」は,だしで長いもを煮て,周りに梅肉や食紅で色付けした後,油で揚げた料理です。


(黄檗豆腐)
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 醤油を含ませた押し豆腐です。「豆腐羹(とうふかん)」とも呼ばれます。

(しいたけの含め煮)
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(ナスの田楽)
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(飛竜頭)
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 いわゆる「がんもどき」です。

(けんちん信田巻き)
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(もみじ麩)
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麻腐(マフ)

 麻腐(マフ)はごま豆腐のことです。

(麻腐(マフ))
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 胡麻豆腐の略なのでしょうが,私は麻婆豆腐を想像してしまいます(笑)


浸菜(シンツァイ)

 「浸菜(シンツァイ)」は「浸し物・浸し料理」という意味で,季節感のあるさわやかな味と色彩によって「淡味(たんみ)」の役割を果たす料理です。

(浸菜(シンツァイ))
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 写真上側の褐色の料理が「いんげんのきんぴら」,下側の白っぽい料理が「じゃがいもなます」です。


油じ

 「油じ」は食材ところもに下味をつけて油で揚げ,そのままいただく味付天ぷらのことです。

 「油じ」の「じ」は,食偏に「茲」と書きます。

(油じ)
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(大根)
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(高野豆腐アーモンド包み)
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(紅しょうが)
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(りんご)
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 なぜりんごまで天ぷらにするのか…私はまだまだ修行が足りません(笑)

(こんにゃく)
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(ごぼう)
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(里芋)
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(巴饅頭)
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 おかずと言うよりお菓子ですが,色どりのよさも重要なのだと思います。


雲片(ウンペン)

「雲片(ウンペン)」は野菜の葛あん煮のことです。

(雲片(ウンペン))
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 調理の際に出た野菜くずを雲のかけらのように細切りにし,さっと炒めて葛あんをかけた料理です。

 野菜は人参,レンコン,タケノコ,もやし,きくらげ,干しシイタケ,ゆり根,ぎんなん,グリーンピース,生姜などでした。

 揚げ素麺の上に野菜の葛あん煮がのせられていたので,あんかけかた焼きそばに似ていると思いました。

 無駄なく食材をいただくという仏教の教えに基づいており,普茶料理の代表的な料理の1つとなっています。


飯子(ハンツウ)・寿免(スメ)・醃菜(エンツァイ)

 「飯子(ハンツウ)」はご飯もののことで,ご飯は「行堂(ヒンタン)」と呼ばれる木の桶で用意されます。

 普茶料理では野菜や木の実を入れて炊き込むことが多く,銘茶の産地・宇治にある萬福寺では,お茶の葉が入れられることもあるようです。

 「寿免(スメ)」は汁もののことです。主に昆布だしが使われます。

 「醃菜(エンツァイ)」は香の物のことです。

(飯子(ハンツウ)・寿免(スメ)・醃菜(エンツァイ))
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 今回は「飯子」が豆ご飯,「寿免」がお吸い物(梅干しの天ぷらとゴマ入りすり豆腐),そして「醃菜」が昆布の佃煮,しば漬け,ひょうたん漬けでした。


水果(スイゴ)

 
普茶料理では,お菓子と果物を総称して「水果(スイゴ)」と呼びます。

 普茶料理は油を使った料理も多いので,甘味はその口直しという意味でも重要な役割を担っています。

(水果(スイゴ))
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 オレンジ,きなこ羊羹,抹茶団子をいただきました。


まとめ

 普茶料理がなんとなく中国料理っぽい雰囲気があることが御理解いただけたでしょうか。

 また,中国の陰陽五行説にも通じる「五味五色」(五味…甘・酸・鹹・苦・辛,五色…青・黄・赤・白・黒)の考えを重んじ,色も味もそのすべてがバランスよく盛り込まれているのも特徴です。
 ※鹹(カン)は塩味

 黄檗山萬福寺の境内の建物も,中国風の建物様式(中国・明の時代(末期)の建物様式)となっています。

(売茶堂・有声軒入口)
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 この門をくぐると,煎茶道の祖・賣茶翁をまつるお堂(賣茶堂)とお茶室(有声軒)があります。

 全国煎茶道連盟の本部も設置されています。

(文華殿)
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 宝物館です。黄檗文化研究所も設置されています。


 京都・萬福寺でいただいた普茶料理。
 おなかも心も満腹になりました。


<参考文献>
 黄檗山萬福寺監修『萬福寺の普茶料理』学習研究社

<関連リンク>
 「普茶料理」(黄檗山萬福寺)

<関連記事>
 「黄檗山萬福寺の普茶料理(前編) -中国から伝えられた精進料理「普茶料理」の概要-
 「黄檗山萬福寺の全国煎茶道大会 -隠元と煎茶道-

2020年5月 9日 (土)

黄檗山萬福寺の普茶料理(前編) -中国から伝えられた精進料理「普茶料理」の概要-

煎茶道との出会い

 「お時間があれば,お茶を体験して行かれませんか。」

 広島県江田島市の歴史文化施設「学びの館」を散策していた時,職員の方から声をかけていただいた,この一言が煎茶道に出会うきっかけでした。

 作法どころか,茶道と煎茶道の違いも知らない私でしたが,面白そうなので,このお茶会に参加してみました。

 抹茶ではなく,お茶の葉に湯を注ぎ,中国の飲茶のような作法でいただくお茶の世界。

 固苦しさはなく,お茶の先生や同席した皆さんと会話を楽しみながら,休日の午後のひとときを過ごしました。


普茶料理が味わえる黄檗山萬福寺へ

 煎茶道は初めての世界でしたので,私はお茶の先生にいろんなことを質問し,教えていただきました。

 その際,普茶料理の話も出たので,以前から普茶料理に興味を持ち,いつか食べてみたいと思っていた私は,お茶の先生に「普茶料理にとても興味を持っている」ことを話しました。

 お茶の先生も,「私もいつか京都の黄檗山萬福寺で食べてみたいと思っています。ただ,この料理は3人以上じゃないと予約できないという制約があるため,今まで実現できませんでした。今回よかったら御一緒にいかがですか。」と誘っていただきました。

 初対面でありながら,すっかり皆さんと仲良くなり,これはよい経験をしたと思いつつ帰ろうとした時,お茶の先生から,「また何かあれば,この連絡先に連絡してください。」と連絡先を書いたメモをいただきました。

 帰宅後,一晩悩みました。

 食文化を学ぶ上で,特徴のある普茶料理はよく登場します。

 また,この料理は人数による制約があり,1人で行って食べられる訳ではないのです。

 けれど,わずか数時間お話ししただけの方のお誘い話を本気にし,お願いするのもどうかという気持ちがあり,揺れ動いたのです。

 悩んだ末,「ここで逃したら,もう普茶料理を食べる機会はないかも知れない」と思う気持ちが強かったため,悔いのないよう,先生に連絡をとってみることとしました。

 タイミングも大事だと思いました。

 先生にお電話すると,快く応じてくださり,お弟子さんにも声をかけてみるとのお返事をいただきました。

 こうして京都府宇治市にある黄檗山萬福寺で開催される「全国煎茶道大会」に参加し,普茶料理を食べに行くことが決まりました。

(萬福寺総門)
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(萬福寺法堂)
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普茶料理とは

 中国(明)から来日し,黄檗山萬福寺を開山した隠元禅師によってもたらされた中国風の精進料理です。

 「普茶」とは,「普(あまね)く大衆に茶を施す」という意味の禅の言葉に由来しています。

 法要や行事を終えた後,僧侶や携わった人々が一堂に会し,茶を飲みながら協議や談合をすることを「茶礼(されい)」と言いますが,この茶礼の後で,ねぎらいの意味を込めてふるまわれた食事が普茶料理なのです。

 大皿に盛られた料理を4人で取り分けて食べるのが基本で,この食作法は,「平等」という考え方に基づいています。

(普茶料理の図)
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(武光 誠『食の進化から日本の歴史を読む方法』(『普茶料理抄』)から引用)

 みんなで同じ料理を分け合って食べる,これこそが普茶料理の最大の特徴であり,教えとするところでもあるのです。

 また,「大味必淡(たいみひったん)」という言葉もあります。

 これは,「すぐれたよい味わいは必ず淡白なものである」という意味で,禅門では五味(甘・酸・鹹(塩味)・苦・辛)に加えて淡味(たんみ)が重視されています。


中国料理に近い普茶料理

 普茶料理は,中国語の表現や調理技術,食事作法を大きく受け入れている料理だと言えます。

 献立・メニューのことを「菜単(ツァイタン)」と呼びますが,これはまさに中国語の表現と同じなのです。

(普茶料理パンフレット(黄檗山萬福寺))
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※画像をクリックすると拡大します。

 料理の種類は,「笋羹(シュンカン)」,「巻繊(ケンチャン)」,「雲片(ウンペン)」,「油じ(「じ」は食偏に「茲」,ユジ)」,「浸菜(シンツァイ)」,「飯子(ハンツウ)」,「寿免(スメ)」,「水果(スイゴ)」などと分類されますが,その呼び方は中国語またはそれに近いものとなっています。

 また,黄檗山萬福寺の修行僧の日常の食事も,昼食(「斎座」(さいざ))や夕食(「薬石」(やくせき))で出されるおかずのことを「点菜」(中国語では「注文」の意味)と呼んだり,ご飯や汁物を盛る木の桶のことを「行堂」(ヒンタン)と呼ぶなど,お寺の関係者以外には聞き慣れない表現が多く登場します。

(行堂)
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(黄檗山萬福寺監修『萬福寺の普茶料理』から引用。一部加工)

 行堂(ヒンタン)です。
 「雲水」(うんすい)と書かれているものは,修行僧用です。

 また,中国料理は調理の際,油脂が多く用いられますが,普茶料理においても,ゴマ油を用いた揚げ物や炒め物が多く,こうした料理が日本料理の油脂利用に貢献したと言われています。

 食事作法で言えば,普茶料理は,長方形の座卓を数人で囲み,一品ずつ大皿の料理を取り合って食べるのですが,この方法は,中国式食事作法の基本だと言えます。


<参考文献>
 黄檗山萬福寺監修『萬福寺の普茶料理』学習研究社
 武光 誠『食の進化から日本の歴史を読む方法』河出書房新社

<関連記事>
 「黄檗山萬福寺の全国煎茶道大会 -隠元と煎茶道-
 「黄檗山萬福寺の普茶料理(後編) -普茶料理の紹介(笋羹・麻腐・浸菜・油じ・雲片・飯子・寿免・醃菜・水果)-

2019年7月25日 (木)

イエズス会士書簡集とマリーアントワネット -東洋文庫 オリエント・カフェの文庫ランチ-

東洋文庫ミュージアムとモリソン書庫

 
東京・駒込に,東洋学専門の図書館「東洋文庫」所蔵の書物や資料を展示する日本最古・最大の研究図書館「東洋文庫ミュージアム」があります。

 東洋学の世界に興味を持ち,このミュージアムを訪問しました。

(モリソン書庫)
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 写真は東洋文庫のコレクションの中で最も有名なモリソン書庫です。

 東洋文庫の創始者・岩崎久彌がモリソン博士から購入した蔵書が展示されています。

 このほか,「トルコの一休さん」と呼ばれる「ナスレッディン・ホジャ」,玉手箱を開けて白髪の老人になった浦島太郎が鶴に化身し,乙姫も亀に化身してハッピーエンドを迎える絵巻「浦島太郎物語」,司馬遷の「史記」,「ターヘル・アナトミア」と「解体新書」,中国の「科挙」の答案「殿試策」,シルクロードの旅など東洋学の世界を楽しく学ぶことができました。


イエズス会士書簡集

 東洋文庫には,国宝や重要文化財を含む約100万冊の蔵書がありますが,その1つに「イエズス会士書簡集」という蔵書があります。

 17世紀末から18世紀後半にかけて,世界中で布教活動をしたイエズス会士の書簡報告をまとめた本です。

 この本は,当時のヨーロッパに「シノワズリ(中国趣味)」の流行やヴォルテールなど啓蒙思想家の活動にも影響を与えました。

 東洋文庫が所蔵する26巻セットの「イエズス会士書簡集」は,全巻革張りの豪華な装丁がほどこされていて,マリー・アントワネットが所有していたものとされています。

 マリー・アントワネットと言えば,オーストリア・ハプスブルク家の皇女として生まれ,フランス王家(ブルボン家)に嫁いでルイ16世のフランス王妃となり,豪華絢爛な生活を送った後,フランス革命により処刑されるという波乱万丈な人生を送った女性です。

 フランスにいたマリー・アントワネットも,この書簡集を読んではるかかなた東洋の国々に憧れを抱いていたのかも知れませんね。


オリエント・カフェの文庫ランチ「マリーアントワネット」

 東洋文庫ミュージアムにはカフェ・レストランが併設されています。

 「オリエント・カフェ」という名のカフェ・レストランで,小岩井農場が運営されています。

 こちらのレストランで「マリーアントワネット」と呼ばれる1日10食限定のランチをいただきました。

(サラダとスープ)
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 最初にフレンチドレッシングがかかったサラダとオニオンスープが提供されました。

 気分はすでにマリー・アントワネット(笑)

 そしていよいよメイン料理が提供されました。

(文庫ランチ「マリーアントワネット」(重箱))
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 この文庫ランチ「マリーアントワネット」は重箱に詰められているですが,この重箱のデザインは,先程御紹介した「イエズス会士書簡集」がお手本となっています。

 蓋にはブルボン家の紋章が描かれています。

 期待が高まる中,蓋を開けました。

(文庫ランチ「マリーアントワネット」)
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 この日の料理は,写真上段左がローストビーフとスモークサーモン,上段右が茶碗蒸し,中段左がビーフコロッケ,中段右がビーフシチュー,下段が針生姜をちらした生姜ご飯でした。

 お弁当として一斉に詰められていますが,冷製オードブルは冷たく,茶碗蒸しやビーフコロッケ,ビーフシチューなど温かいものは1品づつきちんと温かい状態になっていて,1つ1つ丁寧に作られていました。

 お店の看板メニューを少しずつ一度にいただくことができました。

 重箱(弁当)スタイルで,箸を使っていただくところが東洋的だと思いました。

 どの料理も美味しかったですが,特に小岩井農場産牛をやわらかく煮込まれたビーフシチューが絶品でした。

 日本にいる私は,この書簡集の文庫ランチ「マリーアントワネット」をいただきながら,はるかかなたフランス・パリに思いを馳せたのでした。


<関連サイト>
 「東洋文庫ミュージアム・オリエント・カフェ」(東京都文京区本駒込2-28-21)

<参考文献>
 「時空をこえる本の旅50選」東洋文庫
 安達正勝「マリー・アントワネット」中公新書

2019年1月29日 (火)

近代日本における西洋料理の受容と和洋折衷料理の誕生 -ハントンライス(石川県金沢市)とボルガライス(福井県越前市)-

 石川や福井にはボリュームたっぷりのユニークな洋食があります。

 オムライスにカツをのせた金沢の「ハントンライス」と武生(たけふ)の「ボルガライス」です。

 長崎の「トルコライス」(1つの皿にナポリタンスパゲティー,トンカツ,ピラフなどが盛られた洋食)とも趣向がよく似たご当地グルメです。

 「ハントンライス」と「ボルガライス」,これらの料理には何か共通点があるのではないかと思い,石川県金沢市と福井県越前市を訪問しました。


石川県金沢市 ハントンライス

 石川県金沢市を訪問しました。

 北陸新幹線も開通し,金沢駅はとても賑わっていました。

(金沢駅・北陸新幹線「はくたか」)
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 金沢の食と言えば,新鮮な魚介類や加賀野菜などを使った加賀料理,日本三大菓子処としての和菓子などが有名ですが,今回御紹介するハントンライスも,知る人ぞ知るご当地グルメとして人気・知名度が上がってきています。

 私は金沢市片町二丁目にある「グリルオーツカ」でハントンライスを味わいました。

 同店のメニュー表にハントンライスの名前の由来が説明されていました。

 「ハントン」の「ハン」が「ハンガリー」を,「トン」がフランス語で「マグロ」を表しているようです。

 ではハンガリーの料理かと言われれば,そうではないようで,長崎のトルコライスと同様,イメージが先行したネーミングの料理のようです。

(ハントンライス)
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 これがハントンライスです。

 ケチャップライスを玉子で包んだ,いわゆるオムライスに,マグロのフライと海老フライがのせられ,その上からケチャップと自家製タルタルソースがかけられた料理です。

(ハントンライス(拡大))
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 マグロのフライを中心にした,ハントンライスの拡大写真です。

 一般的なオムライスのようにケチャップだけでなく,タルタルソースもかかっているのがポイントで,このあっさりと酸味の効いたタルタルソースがフライとよく合いました。

 こちらのお店には,このハントンライスのほかにも,タンバル(皿)で調理された「ドリア風タンバルライス」や,ピラフにホワイトソースがかけられた「ギリシャ風エビピラフ」など,興味を引くネーミングの料理が用意されています。


福井県越前市 ボルガライス

 金沢駅から特急しらさぎ号に乗って,福井県越前市の武生(たけふ)を訪問しました。

(金沢駅・特急「しらさぎ」)
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 ボルガライスは,地元武生の人々に愛され続けているご当地料理で,近年はボルガライスによる町おこしイベントも行われています。

 私は武生駅から歩いて,越前市新保にある「カフェド伊万里」を訪問しました。

 お店の入口で,漫画家の池上遼一さんが描かれたボルガライスのポスターを見つけました。

(ボルガライスポスター)
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 「武生に来たらボルガライス」。カッコイイですね。

 こちらのお店は池上遼一さんの妹さんが経営されており,ポスターのほかにも,池上遼一さんをはじめとするいろんな漫画家の絵がたくさん飾られていました。

 注文を終え,店内の絵などを鑑賞していると,熱々のボルガライスが運ばれてきました。

(ボルガライス)
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 オムライスの上にトンカツがのせられ,デミグラスソースがたっぷりかけられています。

 ボリューム満点ですね。

(ボルガライス(拡大))
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 中のケチャップライスには,玉ねぎ,ピーマン,ベーコン,マッシュルームなどの具が入っています。

 オムライスとトンカツを同時に味わう幸せを感じました。

 金沢のハントンライスと同様,なぜボルガライスと呼ばれるのか気になるところですが,店内にボルガライスの説明書きが掲示されていました。

(ボルガライス説明文)
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 日本ボルガラー協会のボルガチョフ会長(笑)が説明されています。

 ボルガライスの名前の由来には,

 【ロシア説】ロシアにある「ボルガ」というたまご料理から
 【イタリア説】イタリアにあるボルガーナ地方の料理に似ているから
 【ボルガ川説】ロシアのボルガ川流域でよく似た料理を見た
 【車名説】旧ソ連の車「ボルガ」から名前をとった
 【店名説】昔,「ボルガ」という名前の店があり,その店が開発した

 と諸説あり,その真相はわからないようです。

 ボルガライスの名前の由来ははっきりしませんが,今では広島とのつながりがあることは確かです。

 お好みソースで有名な広島の食品会社「オタフクソース」が,日本ボルガラー協会公認の「ボルガライスソース」を製造されているのです。

 トンカツやフライ単品にもよく合うソースだと思います。


近代日本における西洋料理の受容と和洋折衷料理の誕生

 金沢のハントンライスや武生のボルガライスは,いずれもオムライスの上にフライやトンカツがのせられ,洋風のソースがかけられた料理です。

 このほかにも,石川には「金沢カレー」(トンカツと千切キャベツがのせられたカレー),福井には「ソースカツ丼」(洋風ソース・ウスターソースに浸したトンカツがのせられた丼)といったご当地洋食もあります。

(金沢カレー(ゴーゴーカレー・レトルト))
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 こうした料理が誕生した理由について,近代日本の西洋料理・洋食の歴史から考えてみたいと思います。

 明治以降,それまで馴染みのなかった西洋料理を広く庶民に普及させるため,西洋料理を日本人の味覚に合う和食に近づける努力・工夫がなされました。

 その際,日本人は「米(ごはん)」を主食としていることを前提に,西洋料理を米飯の味に合わせることが絶対条件となりました。

 この絶対条件をクリアするため,米飯とトンカツ・コロッケ・エビフライなどのフライ(揚げ物)の組み合わせや,洋風の米飯料理(カレーライス・ハヤシライス・チキンライス・オムライスなど)が考案されたのです。

 具体的には,
(1)トンカツなどのフライ(揚げ物)に,ごはん,みそ汁(豚汁),漬物,キャベツの千切りなどを組み合わせ,従来の定食スタイルに仕上げる
(2)フライや洋風のソース・ルーをごはんにのせて従来の丼スタイルに仕上げる
(3)米飯にソースやケチャップなどの洋風調味料をかけたり混ぜたりすることで,従来の混ぜごはん・炊き込みごはんスタイルに仕上げる
といった試みがなされました。

 さらに,フライをあらかじめ適当な大きさに切っておき,ナイフやフォークを使わなくても箸やスプーンで容易に食べることができるような工夫もなされました。

 こうして西洋料理は徐々に「洋食」として日本人に受け入れられるようになったのです。

 前置きが少し長くなりましたが,こうした話を踏まえた上で今回御紹介したハントンライス,ボルガライス,金沢カレー,ソースカツ丼などの料理を振り返ると,これらの料理も日本人に洋食として受け入れられる過程で生まれたご当地オリジナル洋食であることが理解できます。

 明治以降の日本の西洋料理・洋食の歴史は,試行錯誤の連続でした。

 昔の婦人雑誌・料理雑誌などには,「味噌・鰹節サンドイッチ」,「西洋ずし(トマトケチャップで色付けした寿司飯)」,「マカロニーライス(ケチャップライスの上にマカロニの入ったトマトシチューもどきのソースをかけた洋風ご飯)」など,実に様々な和洋折衷料理が紹介されており,西洋料理の受け入れに力が注がれていた様子が伺えます。

 現代人からみると,ちょっと変わった料理もあると思いますが,こうした様々な和洋折衷料理の中で大勢の人から支持を得た料理が,今回御紹介したようなご当地オリジナル洋食となり,地元の人々に愛され続けていると言えるのです。


<関連リンク>
 「武生に来たらボルガライス」(日本ボルガラー協会)

<関連記事>
 「福井のソースカツ丼と越前おろしそば」(福井のソースカツ丼)
 「「アパ社長カレーショップ」1号店が広島にオープンした理由 -テストマーケティングからの考察-」(金沢カレー)

<参考文献>
 石毛直道監修・杉田浩一責任編集「講座 食の文化 第三巻 調理と食べもの」味の素 食の文化センター
 岡田 哲「明治洋食事始め とんかつの誕生」講談社学術文庫
 魚柄仁之助「台所に終戦はなかった 戦前・戦後をつなぐ日本食」青弓社

2018年11月15日 (木)

聖マルティンの日とドイツのヴェックマン(パイプマン)

 毎年11月11日は聖マルティンの日です。

 ヨーロッパを中心に聖マルティンにちなんだ様々な行事が行われます。

 聖マルティンはキリスト教の聖人で,「凍てつく寒い夜,聖マルティンが着ていたマントを剣で2つに切り裂き,裸同然で寒さに震えていた乞食に分け与えた」という話で有名です。

 聖マルティンの日は食文化関連の本でもたびたび登場します。

 こうした本には,たいてい「(聖マルティンの日は,)収穫祭と一致し,迫り来る厳しい冬に備えて豚を大量に処理(屠殺)し,生肉を食べ,ハム・ソーセージ・ベーコンなどの保存食が作られてきた日」だと説明されています。

 私もその話しか知らなかったのですが,広島のカフェ「Cafe Igel あかいはりねずみ」で,聖マルティンの日にちなんだ面白いパンが販売されているのを見つけました。

(パンマン)
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 人の形をしたパンです。

 ドイツでは「ヴェックマン(Weckmann)」とか,「パイプマン(司教の杖を意味するパイプを持った姿のパンであることから)」などと呼ばれています。

 ただ,このパンは(パイプが日本で売られておらず,)パイプを持っていないため,「パイプマン」ではなく「パンマン」と呼ぶのだそうです(笑)。

 毎年11月11日に行われるドイツの聖マルティン祭には欠かせない食べ物のようです。

 さらに店主さんから,「ドイツではガチョウ料理やガチョウの玉子を食べる日でもある」というお話も伺いました。

 さかのぼれば,パンがキリストの肉であるという思想に基づいたパンなのでしょう。

 実際にこのパンをいただきましたが,あまりにもリアルなので,手や足,頭をちぎりながら食べるのことに少し抵抗を感じてしまいました(笑)。


<関連リンク>
 「Cafe Igel あかいはりねずみ」(広島市南区的場町1-7-2)

<参考文献>
 宮崎正勝「知っておきたい「食」の世界史」角川ソフィア文庫

2018年2月11日 (日)

ロシア革命と日本のバレンタインチョコレート -神戸・御影のバレンタイン広場訪問-

日本のバレンタインデーとチョコレート

 2月14日はバレンタインデーです。

 日本でも年中行事の1つとなり,チョコレートをはじめとする様々な商品が店に並びます。

 日本でバレンタインデーと言えば,「女性から男性へチョコレートを贈る」というイメージが強いですが,欧米では男女双方向で,プレゼントもチョコレートに限らず食事,花,カード,衣服などバラエティに富んでいることから,このイメージは日本独自の風習と言えそうです。

 では「日本のバレンタインデー=チョコレート」という図式が,いつどういう経緯で確立されたのでしょうか。

 このことについて,まとめてみたいと思います。


第一次世界大戦とロシア革命

 20世紀前半,経済成長を遂げるヨーロッパは,国同士で勢力争いをするようになります。

 それが顕著だったのが,海軍力増強に乗り出したドイツと,制海権を堅持したいイギリスとの対立です。

 ドイツはオーストリア,イタリアと手を組み(三国同盟),イギリスはフランス,ロシアと手を組み(三国協商),両陣営が対立することとなります。

 この対立は,やがて多民族が暮らすバルカン半島でのスラブ人(ロシアが支援)とゲルマン人(ドイツが支援)の民族運動にまで影響を及ぼしました。(「パン・スラブ主義」と「パン・ゲルマン主義」の対立)

 こうした状況下で,1914年,ボスニア・サラエボでオーストリアの皇太子がスラブ系のセルビア人に狙撃される「サラエボ事件」が起こります。

 そしてこの事件をきっかけに,全世界を巻き込んだ第一次世界大戦が勃発したのです。

 三国協商側の国とのつながりが強かった日本も参戦することとなった第一次世界大戦ですが,戦争が長期化するにつれ,当時経済基盤の弱かったロシアは危機的な状況に陥りました。

 ロシアではこの状況を打破すべく,「ソヴィエト(労働協議会)」が結成されて革命運動が広がり,1917年には社会主義を掲げるロシア革命が勃発しました。


ロシア革命とモロゾフ・ゴンチャロフ

 このロシア革命の混乱を避け,他国に亡命したロシア人も数多くいました。

 亡命の道を選んだロシア人の中には,日本の貿易港神戸に居住した人も多かったようです。

 そうしたロシア人の1人が,フョードル・D・モロゾフです。

 モロゾフは1931年,神戸に「モロゾフ製菓株式会社」を設立しました。

 「モロゾフ」のサイトによると,「翌1932年,モロゾフは日本で初めて”バレンタインデーにチョコレートを贈る”というスタイルを紹介」したと説明されています。

 日本でバレンタインデーにチョコレートを贈るという風習が定着した経緯については諸説ありますが,「モロゾフ」の販売が一大契機となったことは間違いありません。

 一方,同じ神戸の「ゴンチャロフ」を創業したマカロフ・ゴンチャロフも,フョードル・D・モロゾフと同様にロシア革命の影響でロシアを亡命し,来日したロシア人の1人でした。

 ロマノフ王朝の宮廷菓子職人であったマカロフ・ゴンチャロフは,1923年に神戸でチョコレート工房を開業しました。

 「ゴンチャロフ」のサイトによると,「ウィスキーボンボンはゴンチャロフが日本ではじめて作ったと言われています。」と紹介されています。

 ロシア革命の勃発が,めぐりめぐって日本にチョコレート文化が浸透するきっかけとなったとは,とても興味深い話です。


神戸・阪神御影駅前のバレンタイン広場

 こうした歴史的背景もあり,神戸市は日本のバレンタインの発祥の地(聖地)とされています。

 1986年からは,神戸市とイタリアのテルニ市(聖バレンタインの出身地)との交流も始まり,2013年5月には「モロゾフ」と関わりの深い御影に「バレンタイン広場」が完成しました。

 日本のバレンタインの聖地を求め,神戸市東灘区御影を訪問しました。

(阪神・御影駅と5700系電車)
5700

 バレンタイン広場は,阪神電車・御影駅前にあります。

(阪神・御影駅とバレンタイン広場)
Photo

 円形のバレンタイン広場中央には,陶板で作られたイタリア・テルニ市の地図があります。

(イタリア・テルニ市の地図)
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 テルニ市はイタリアの首都ローマの北側に位置することがわかります。

 また,バレンタイン広場の一角には,聖バレンチノ教会のモニュメントも設置されています。

(聖バレンチノ教会のモニュメント)
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 写真中央の2つの石碑が聖バレンチノ教会のモニュメントです。

 近づいて見てみましょう。

 モニュメントの御影駅側にはイタリア・テルニ市の紹介文があります。

(テルニ市の紹介文)
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 「テルニ市は『愛の守護神』と呼ばれる『聖バレンチノ』の聖地でもあり,この街からバレンタインデーが世界に広まったと言われています。一方,神戸は日本におけるバレンタインデー発祥の地です。バレンタインデーが結びつけた両市の交流は1986年にスタートし,現在も続いています。」と紹介されています。

 一方,モニュメントのバレンタイン広場側には,テルニ市長メッセージと聖バレンチノ教会・ステンドグラスが紹介されています。

(テルニ市長メッセージ・聖バレンチノ教会・ステンドグラス)
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 テルニ市長のメッセージには,「スイーツの街である神戸・御影にあるこの広場を訪問された方々がバレンタインデーの意義やテルニ市を想い,テルニ市と神戸市の友好交流がますます盛んになるよう期待しています。」とあります。

 写真左下が聖バレンチノ教会,写真右下が聖バレンチノ教会のステンドグラスです。

 次にバレンタイン広場に併設するバス停を見てみましょう。

(阪神御影南口(バレンタイン広場前)バス停)
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 板チョコのデザインのバス停です。

 写真中央にある広告は,左側が聖バレンチノ教会のステンドグラス,右側はモロゾフのチョコレートの広告となっています。

(阪神御影南口(バレンタイン広場前)バス停標識)
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 愛をイメージさせるかわいいハート形のバス停標識もあります。

 屋根部分にはテルニ市の紹介もあります。

 このように,阪神・御影駅前はバレンタインムード一色となっています。

 また阪神・御影駅から少し南に歩くと,灘の酒蔵めぐりを楽しむことができます。

 御影を訪問し,バレンタインと日本酒の世界を楽しむというのも,ハイセンスな神戸の楽しみ方だと思います。


 では,最後にゴンチャロフとモロゾフのお菓子を御紹介したいと思います。

ゴンチャロフのチーズスフレとコーヒー

 神戸・三宮にあるゴンチャロフの喫茶「ゴンチャロフ・さんプラザ店」へ行きました。

(ゴンチャロフ・さんプラザ店)
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 メニューにイートイン限定のチーズスフレがあったので,コーヒーとともに注文しました。

(ゴンチャロフのチーズスフレとコーヒー)
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 ハロウィンバージョンのチーズスフレでした。

 ふわふわのチーズスフレに生クリームやベリーソースを添えて,アイスクリームやコーヒーとともにゴンチャロフ自慢の味を楽しみました。


モロゾフのデザートプレートとコーヒー

 続いて,神戸から阪神電車に乗って,大阪・梅田にあるモロゾフの喫茶「カフェモロゾフ阪神百貨店梅田本店」へ行きました。

 メニュー表を見るなり,注文するメニューは一発で決まりました。

 こちらです。

(モロゾフのデザートプレートとコーヒー)
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 モロゾフのプリン,デンマーククリームチーズケーキそしてモンブランが一度に味わえるデザートプレートとコーヒーです。

 私以外,周りは全て女性でしたが,私はスイーツ男子だからと自分に言い聞かせ,美味しくいただきました。

 今回御紹介したゴンチャロフとモロゾフのお菓子は,よく考えるといずれも本題のチョコレートがないというオチがあるのですが(笑),義理でお許しください。


<参考文献>
 浜本隆志「バレンタインデーの秘密 愛の宗教文化史」平凡社新書
 宮崎正勝「早わかり世界史」日本実業出版社

<参考サイト>
 「バレンタインとモロゾフについて」(モロゾフ株式会社)
 「ゴンチャロフのこだわり」(ゴンチャロフ製菓株式会社)

2017年12月24日 (日)

クリスマスディナー -日本でクリスマスが年中行事となった理由-

クリスマスディナー

 今年も海辺のレストランで生演奏を聴きながらクリスマスディナーをいただくことが出来ました。

 音楽はフルートとキーボードを使っての生演奏でした。

 曲目は,「神の御子は今宵しも」,「さやかに星はきらめき」,「アヴェマリア」,「そりすべり」,スコットランド民謡の「The water is wide」など有名なクリスマスソングを中心とした構成でした。

 毎年,このレストランで生演奏を聴きながら食事すると,1年頑張った御褒美をいただいてるような気がし,この日を迎えられて良かったとしみじみ思ってしまいます。

 生演奏を聴きながらいただいた料理とデザートを御紹介します。

(前菜)
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 前菜は写真右上から時計回りに,殻付牡蠣のアヒージョ,鴨のスモーク,牛肉のブルスケッタ,スモークサーモンの野菜マリネ,海老のフリット,キッシュ,そしてエスカベッシュです。

(漁師風魚介のスープ)
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 「漁師風」という名称は,イタリア料理やフランス料理でよく登場しますが,要するに魚介が中心の料理という意味です。

 このスープも魚や海老,イカなど魚介がたっぷり入った濃厚なスープに仕上げられていました。

(牡蠣のトマトパスタ)
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 大粒の牡蠣がのせられたトマトパスタです。

 牡蠣の火の通し加減が絶妙で,トマトソースとの相性も良いことがわかりました。

(真鯛のソテー)
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 皮はパリッと香ばしく,身はジューシーな真鯛のソテーです。
 焼いたズワイガニやゴボウのチップスも添えられています。

 真鯛のソテーはホタテのムースがはさまれ,ミルフィーユ仕立てとなっていました。
 雲丹とズワイガニのソースでいただきました。

(ローストビーフと豚ヒレパイ包み)
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 厚めにカットされたローストビーフと豚ヒレ肉のパイ包みです。
 赤ワインソースでいただきました。
 いずれも焼き加減が丁度良く,ボリュームも満点でした。

(クリスマスデザート)
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 グラスに入ったティラミスとイチゴがのせられたロールケーキ,そしてコーヒーのデザートです。

 クリスマスらしい豪華な料理を堪能しました。

(生演奏の様子)
2017

 そのうちに演奏もラストとなり,大きな拍手とともに終了しました。

 その瞬間,私は「言っていいのかな」と思いつつ,勇気を振り絞って大勢のお客さんがおられる前で声を出しました。

 「アンコール!!」

 周りのお客さんもそれに気付いてくださり,「アンコール!アンコール!」と次第に声と手拍子が大きくなりました。

 すると演奏者から「嬉しい~!」とお返事をいただき,アンコールの曲が演奏されました。

 「蛍の光」でした。

 この曲で今回のディナー,そして今年1年の締めくくりとすることが出来ました。

 今年も美味しい料理と楽しい音楽で幸せな時間を過ごすことが出来ました。


日本でクリスマスが年中行事として定着した理由

 音楽はクリスマスの曲が中心だったのですが,演奏者から「日本でキリスト教の行事であるクリスマスがここまで受け入れられているのはスゴイことですよね。」とお話がありました。

 確かによく考えてみると,神道や仏教が中心の日本にあって,ここまで定番の年中行事として受け入れられているのはスゴイことだと思います。

 いろんな理由があってのことと思いますが,私はクリスマスが日本人の思想や,ほかの日本の年中行事とうまく融合出来ていることが1つの大きな理由だと思います。

 日本人には,神道の「お祓い(おはらい)」にみられるように,これまでのことは一度リセットし,新たな気持ちで次の段階を迎えたいという思いがあります。

 季節的にみれば寒く,ややもすれば気持ちまで沈みがちですが,日本人には何かしら1年の積り積もったものを発散・清算して,改めて清々しい新年を迎えたいと思う気持ちが高まるシーズンでもあります。

 年末に忘年会をするのも,1つの区切りをつけ,新たな気持ちで新年を迎えたいという思いがあるからです。

 そもそもキリスト教が,寒さが厳しく,1年を通じて最も日の短い冬至に近い日をイエス・キリストの誕生日に設定したことは,その後に人々に夢や希望を与えるという意味でも大きなメリットがあったからでしょう。

 その欧米の宗教行事を宗教色を薄め,日本の年中行事として組み入れることで,日本人にとっても,明るく楽しい時期に変化させることが出来ます。

 消費から考えても,サラリーマンの場合はボーナスなどの臨時収入もある時期で,クリスマスを行事に取り込むことで,食品業界だけでなく幅広い業界の需要を喚起させることが期待出来ます。

 こうして年末に,社会的な行事としての忘年会と個人的な行事としてのクリスマスが日本人の共通認識と合致する行事として,お歳暮などと同様に年末の一大イベントに成長したのだと思います。
 (もちろん,社会的な行事としてのクリスマス,個人的な行事としての忘年会という形態もありますが。)

 日本人は外国の文化を日本人に合うように工夫し,自分達のものとすることにとても長けています。

 クリスマスもそのような感じで受け入れられ,日本の年中行事の1つとして定着しているのでしょう。


<関連記事>
 「クリスマスディナー -フルート・ピアノ・チューバの生演奏とアメイジング・グレイスの意味-

2017年6月 7日 (水)

アーミッシュの特徴と食文化6 -ステラおばさんのクッキー-

アーミッシュ・カントリーのクッキースタンド

 ANAグループ機内誌「翼の王国」2017年3月号に「アメリカン・ビューティー アーミッシュ・カントリーで見た美しいアメリカ」という題名で,アーミッシュの特集記事が掲載されていました。

 その記事の中で,ペンシルべニア州ランカスターにあるアーミッシュ・カントリーのクッキースタンドが紹介されていました。

 アーミッシュの女の子が自分でクッキーを焼き,家の軒先で手書きの看板を用意してクッキーを販売し,周りの住民もそれを楽しみにしている様子が描かれていました。

 クッキーのほかにも,瓶詰のジャムやピクルス,大小のパイ,パン,ケーキそして手作りパスタなど様々な商品が並べられた販売スタンドが用意され,住民同士でやりとりされているようです。

 こうしたやりとりからは,単なる利益最優先の商売にはない,あたたかい心の交流を重視し,大切にしておられるアーミッシュの方々の価値観が伺えます。


アーミッシュを象徴する女性「ステラおばさん」

 こうしたお話は日本から遠く離れたアーミッシュ・カントリーだけの話ではなく,実は日本でも,クッキーなど焼菓子を中心に食を通じてアーミッシュの伝統や精神を伝えておられる有名な会社があります。

 「ステラおばさんのクッキー」(株式会社アントステラ)です。

 アーミッシュはあまり聞き慣れない言葉でも,「ステラおばさんのクッキー」は御存知の方も多いと思います。

 実はそのステラおばさんこそ,ペンシルベニア・ダッチカントリーに実在したアーミッシュの女性なのです。

(ステラおばさんとダッチカントリー)
Photo
(ステラおばさんのクッキー『クッキーガイド』株式会社アントステラから引用)

 ステラおばさんのクッキーのロゴとアーミッシュの暮らすアメリカ・ペンシルベニアのダッチカントリーの風景が描かれたアントステラのクッキーガイドです。

 このクッキーガイドやアントステラのウェブページによると,ステラおばさんは1908年生まれで,本名がステラ・ダンクル。ペンシルベニア・ダッチカントリーで幼稚園の先生をされていたと紹介されています。

(ステラおばさんの紹介)
Photo_2
(ステラおばさんのクッキー『クッキーガイド』株式会社アントステラから引用)

 この紹介の中で,私が面白いなと思ったのは,

 「ステラおばさんは,ときどき子どもたちのお尻を叩きながら,でも叩いた回数と同じだけ,子どもたちのためにクッキーやケーキを焼く,そんな先生でした。」

 という話です。

 ステラおばさんがクッキーやケーキを沢山作った日は,その分だけ子供達のお尻を叩いたということで,さらにそのあと小麦粉の生地までバンバン叩いて…(笑)。
 いえいえ,子供達への思いやりがあればこその行動と理解すべきですね。

 私はアーミッシュについて勉強していく中で,ステラおばさんとのつながりを知ったのですが,そのつながりを知ってから,俄然,ステラおばさんのクッキーに興味を持つようになりました。

 興味を持つとやはりステラおばさんのクッキーが食べたくなり,広島市内の「ステラカフェ」を訪問しました。


ステラカフェ

 ステラカフェ店頭の販売コーナーの様子です。

(ステラカフェ店頭)
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 ショーケースの中だけでも16種類のクッキーが用意され,量り売りも可能となっています。

 前述のアーミッシュ・カントリーのクッキースタンドの光景が目に浮かぶようです。

 店内のカフェに入ると,女性店員さんの制服もステラおばさんの服装,すなわちアーミッシュの女性の服装とよく似たかわいいデザインに工夫されていることがわかります。

 席に案内され,メニュー表をいただきました。

 メニュー表に「コーヒーマシュマロ」という飲み物があったので,マシュマロに興味を持ち,このコーヒーを注文しました。

(コーヒーマシュマロとクッキー)
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 「コーヒーマシュマロ」は,コーヒーの上に細かいマシュマロがのせられた飲み物です。

 このマシュマロが熱いコーヒーに溶けてミルクと砂糖の役割を果たし,甘くクリーミーなコーヒーへと変化します。

 私は普段コーヒーはブラックしか飲まないのですが,マシュマロを浮かべて飲むコーヒーも格別で,こんな美味しい飲み方もあったのかと驚きました。

 アーミッシュの有名なお菓子「ウーピーパイ」にもマシュマロがはさまれていますが,アメリカでは甘い生クリームの感覚でマシュマロがよく用いられています。

 クッキーはキャラメルカスタードとぐるぐるメロンです。

 私はオーブンでクッキーを作ったこともあるのですが,あの手作りクッキーを食べた時と同じような感動がありました。

 帰りに量り売りのクッキーも買いました。

(各種クッキー(ステラおばさん))
Photo_5

 手前からキャラメルカスタード,コーンフレーク,バタースカッチ,オールドファッションシュガー,ダブルチョコナッツ,チョコレートチップです。

 目の前にたくさんのクッキーがあるだけで幸せな気分になります。


アーミッシュの人々の生活から学ぶ

 ステラおばさんの故郷ペンシルベニア・ダッチカントリーでは,今日もクッキーが焼かれ,家の軒先のクッキースタンドに並べられて,心の通った人々の交流が行われていることでしょう。

 現代日本と比べると,生活様式から時間の流れに至るまで,かなりのギャップがあることは確かです。

 人間,一度便利さや楽を覚えたら,それ以前の不便な生活に戻りたいとは思わなくなるのが常ですので,日本人がアーミッシュの生活から学ぶことはたくさんあっても,その生活そのものに回帰しようとまでは思わないでしょう。

 それに,アーミッシュの人びとが現代においてもなお,昔からの生活をかたくなに守っておられるのは,宗教的教義に支えられている部分が大きいからでもあります。

 そうした前提を踏まえた上で,私たちはアーミッシュの人々から何を学び,生活に生かすことがでしょうか。

 私は,1つには,「常日頃からの人と人とのつながり・コミュニケーションを大切にされていること」が挙げられると思います。

 産業革命にはじまる科学技術の発展により,人間はより楽な,より快適な,よりスピーディーな生活を求め,それを可能にしてきました。

 しかし,そんな生活ばかり追い求めるあまり,人間同士のつながりやコミュニケーションといった,より人間らしい生活を送る上で欠かせないことを後回しにし,犠牲にし,過去に置き忘れてはいないでしょうか。

 アーミッシュの人々の生活を理解することは,私達自身の生活の現状を理解することでもあるのです。

 皆様も今後「ステラおばさんのクッキー」などを召し上がる機会があれば,これまで御紹介してきたようなアーミッシュのお話を思い出し,何かを感じ取っていただければ幸いです。


<関連リンク>
 「ステラおばさんのクッキー」(株式会社アントステラ)
 当ブログで御紹介したようなアーミッシュのお話もたくさん掲載されています。

<関連記事>
 「アーミッシュの特徴と食文化1 -アーミッシュについて理解を深める-

 「アーミッシュの特徴と食文化2 -アーミッシュの食文化-

 「アーミッシュの特徴と食文化3 -アーミッシュとクエーカー(前編)-

 「アーミッシュの特徴と食文化4 -アーミッシュとクエーカー(後編)-

 「アーミッシュの特徴と食文化5 -広島にある「アーミッシュ」,流通の原点「顔の見える生産・販売・消費」-

 「アメリカ料理の特徴と主な料理 -ウーピーパイ-

<参考文献>
 『翼の王国 573(2017年3月1日)』ANA「翼の王国」編集部

2017年5月29日 (月)

アーミッシュの特徴と食文化5 -広島にある「アーミッシュ」,流通の原点「顔の見える生産・販売・消費」-

広島にある「アーミッシュ」

 中国山地の自然豊かな広島県庄原市口和町。

 その町に「アーミッシュ」という名称のお菓子工房があることを知りました。

 アメリカ・ペンシルベニアのアーミッシュの名が,広島県内のお店で用いられているのは珍しいと思います。

 この名称に興味を持った私は,真相を解明すべく,庄原市にある「アーミッシュ」を訪ねてみることとしました。


手作り工房「アーミッシュ」

 松江自動車道と並行する県道39号線を車で北上し,庄原市口和町竹地谷にある「アーミッシュ」を目指しました。

 しばらく走ると,「アーミッシュ」の看板を見つけたので,車を止めました。

(手作り工房「アーミッシュ」)
Photo

 「アーミッシュ」の方から直接お話を伺ったり,このお店で商品を買ったりしたかったのですが,人がおられる様子がなく,残念ながら実現できませんでした。

 販売店舗ではなく,加工所だけなのかも知れません。

 建物周辺の山林には,たくさんのしいたけが栽培されており,しいたけの販売にも力を入れておられる様子でした。

 庄原市口和町やアーミッシュの場所等については,こちらを御覧ください。
 「まるごと口和ガイド」(庄原市観光協会口和支部)


アメリカ・ペンシルベニアのアーミッシュとの共通点

 「アーミッシュ」を後にし,「アーミッシュ」の菓子を求めて,庄原市高野町の「道の駅たかの」へ行ってみました。

 施設内の農産物等直売所「わいわい高原市場」では,「アーミッシュ」の各種シフォンケーキ(紅茶,モカマーブル,メープル,ブルーベリーなど)が販売されていました。

 そしてよく周りを見渡すと,庄原市高野町はりんごが有名なので,アップルパイ,りんごタルト,りんごジャムなどりんごの食品が充実していました。
 ルバーブジャムも含め,ペンシルベニアのアーミッシュとよく似た食べ物が売られていることに驚きました。

 このほかにも,高野大根をはじめとする採れたての野菜や果物,比婆牛,漬物などたくさんの種類の農畜産物・加工品が売られており,中には都会のスーパーマーケットでは見かけない珍しい食材もあって,とても楽しいひとときを過ごすことができました。


手作り工房「アーミッシュ」のシフォンケーキ

 手作り工房「アーミッシュ」の紅茶のシフォンケーキです。

(「アーミッシュ」のシフォンケーキ(商品名))
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「amish」(アーミッシュ)と名称が表記されています。

(「アーミッシュ」のシフォンケーキ)
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 ボリュームのある大きさですが,ふわふわで甘さ控えめな生地なので,いくらでも食べられそうです。
 素朴でやさしい味に仕上がっており,まさにカントリーケーキという名前がぴったりのシフォンケーキでした。


流通の原点は「顔の見える生産・販売・消費」

 産直市や特産品加工販売施設には,生産者や加工(業)者が地元で採れた農畜産物やそれらの食材で作った加工食品を提供し,その土地の味を求めて消費者が集まります。

 生産者・加工(業)者と消費者の距離が近い分,安くて,素朴で,嘘偽りのない食材や加工食品が提供され,それを購入することができることは,産直市や特産品加工販売施設を利用する上での大きなメリットだと思います。

 そして,こうした顔の見える生産・販売・消費の形態こそ,アメリカ・ペンシルベニアのアーミッシュの考えとも共通する,昔ながらの本来あるべき流通形態ではないでしょうか。

 都市部のデパートや大型スーパーマーケットなどで「ミニ産直市」のコーナーが設けられているのも,消費者ニーズが多様化し,現代日本に求められる流通形態の1つとなっていることを示す現象だととらえることができるでしょう。

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