宗教・食文化史

2017年1月22日 (日)

黄檗山萬福寺の全国煎茶道大会 -隠元と煎茶道-

 京都府宇治市の黄檗山萬福寺で開催された煎茶道のお茶会に参加しました。


黄檗山萬福寺の概要

 萬福寺は,JR奈良線または京阪宇治線の「黄檗駅」から歩いて約10分の所にあります。

(萬福寺総門)
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 萬福寺の総門(入口)です。

 中国風の門に「葵の御紋」が飾られていますが,これは中国(明)から来日した隠元(黄檗宗の宗祖)が,江戸幕府からこの宇治の地に土地を与えられ,萬福寺が創建されたことに由来します。


(三門)
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 総門をしばらく歩くと三門があります。

 「萬福寺」と書かれています。

 門の左右には漢字が書かれていますが,これもどこか中国風です。

 この三門に全国煎茶道大会の総受付もありました。


(法堂の卍くずし)
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 欄干が卍(まんじ)の形をしています。

 「匂欄(こうらん)」と呼ばれる中国風の欄干で,日本のお寺では珍しい意匠となっています。


(木魚)
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 「開梛(かいぱん)」と呼ばれる木魚です。

 この木魚をたたくことで,時を知らせます。

 口からあぶく(煩悩)が出ています。

 同じ所ばかり叩かれるので,叩かれた所がへこんでいます。


(釈迦如来坐像と売茶翁)
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 本堂の中におられる本尊(釈迦,ブッダ)です。

 両脇には,「迦葉尊者(かしょうそんじゃ)」(摩訶迦葉,マハーカッサパ)と「阿難尊者(あなんそんじゃ)」(阿難陀,アーナンダ)がおられます。

 また,大会期間中だけ特別に,宇治煎茶を全国に広めた「売茶翁(ばいさおう)」の掛け軸がかけられています。

 この売茶翁が煎茶を売り歩き,煎茶を世に広めました。

 日本画家の伊藤若冲も売茶翁の生き方に憧れた人物の1人です。


(隠元禅師)
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 萬福寺を開山された隠元禅師です。

 隠元は日本にインゲンマメ,スイカ,レンコン,孟宗竹などの食材をもたらしました。

 寒天も隠元が名付け親となっています。

 ちなみに,隠元禅師が左手に持っているものですが,私が近くにおられた僧侶の方に「これはインゲンマメですか」と尋ねたところ,「そう言われたのは初めてです」と笑われました。

 これは虫などを払うための道具のようです。


献茶式

 本堂前にて,お茶を捧げる献茶式が行われました。

(献茶を点てる様子)
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 息がかからないよう,マスクをされています。

 その様子を,私も息を呑む思いで見守りました。


(献茶の様子)
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 できたお茶を本堂に運ぶ様子です。


(読経の様子)
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 本尊前にお茶が供えられ,読経が行われました。

 献茶式をひととおり拝見し,一杯のお茶に込められた思いが相当なものであることを実感しました。


お茶会の様子

 私は今回,煎茶道の流派の1つ「三癸亭賣茶流(さんきていばいさりゅう)」の先生と一緒に訪問したことから,数あるお茶席の中から,この三癸亭賣茶流のお茶席に参加させていただきました。

 本堂前での「野点(のだて,屋外のお茶会)」でした。

(野点の様子)
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 作法もろくに知らない私を,いきなり家元の隣の席に案内していただいたので,野点とは言え,少し緊張しながらお茶を楽しみました。


(煎茶道の作法)
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 煎茶道の興味深いところは,中国の飲茶のように,一口サイズの茶碗を円状に並べ,その上から急須のお茶を回し入れることです。

 また,茶碗が一口で飲める大きさなので,一杯ではなく,何杯かお茶をいただくのですが,1杯目と2杯目,2杯目と3杯目ではお茶の濃度が変わってきます。

 最初はうま味が強く,後になるほどすっきりとした味になるのですが,こうした変化が楽しめるのも,煎茶道の特徴の1つだと思います。

 また,ふくさや敷物にはインド更紗(さらさ)が用いられていることも注目に値します。

 インド更紗は隠元禅師が中国(明)から来日した頃,日明(勘合)貿易により日本にもたらされた紋様染めで,この頃から茶道具の一種としても用いられてきたようです。


(お茶とお菓子)
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 茶銘は「滴清」,菓銘は「揺翆」です。

 お茶の本場,宇治で新茶を味わうことができたのは,幸せなことだと思いました。

 お菓子は,今回のお茶会のために作られたもので,5月下旬の緑茶をはじめとする新緑の時期に合わせ,緑があざやかな仕上がりとなっていました。

 柑橘が使われており,さわやかな味わいのお菓子でした。


(飾り)
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 蓮や菊などが中国風の入れ物の中に飾られています。

 手前に蟹が2匹いますが,これも季節を表現する置物のようです。

 後日,地元広島で開催されたお茶会でも同じものを見かけたので,煎茶道ではよく用いられる置物なのだと思います。


 お茶会を終え,中国臨済宗黄檗法派歴代祖師の特別展を見学したり,境内のお土産店でゴマ豆腐などのお土産を買って帰りました。

 全国煎茶道大会に参加した記念品として,隠元禅師にはじまる黄檗山萬福寺の歴代住持が記載されたミニ扇子をいただきました。

(記念品の扇子)
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 中央には「煎茶道」と記載されています。

 この日は日差しが強く,暑かったため,帰りに早速広げて使われている方を多く見かけました。


まとめ

 煎茶道に出会ってわずか数か月後に地元の先生と一緒に煎茶道の全国大会に参加させていただくこととなり,不思議な御縁を感じました。

 今回の訪問で,煎茶道や黄檗宗のことを学ぶことができ,よき思い出となりました。

 わずか1回,それも数時間お茶会に参加しただけの私を,京都・宇治の全国大会にまで快くお誘いくださった先生をはじめ,お世話になった地元広島の三癸亭賣茶流の皆様に,この場をお借りして,深くお礼申し上げます。

2016年10月29日 (土)

ハロウィン -ペポかぼちゃのジャック・オー・ランタン-

ハロウィンの由来

 
毎年10月31日はハロウィンです。

 ハロウィンは,キリスト教がヨーロッパに伝播していく中で,土着のケルト人の祭りを取り込むことで誕生した年中行事です。

 10月31日は,かつてケルトの暦でこの日が大晦日(1年の終わりの日)とされていたことに起因しています。

 この日は,様々な衣装で仮装したり,かぼちゃのお化けなどが飾られる風習がありますが,これは,年の終わりに,収穫物を狙うなどの目的で,先祖の霊と一緒に悪霊や悪魔がやってくるという言い伝えによるものです。

 私は以前,ハロウィンにちなんで,坊ちゃんかぼちゃでジャック・オー・ランタンを作ったことがありますが(「ハロウィン -坊ちゃんかぼちゃのジャック・オー・ランタン-」参照),今回は,坊ちゃんかぼちゃと同じ,手のひらサイズの黄色いペポかぼちゃでジャック・オー・ランタンを作ってみました。


ペポかぼちゃのジャック・オー・ランタン

 黄色いペポかぼちゃの頂点を円形にくり抜き,そこから中の種やワタをスプーンで取り除きます。

 次にかぼちゃの表面に油性マジックで顔の絵を書き,その絵にそって包丁やカッターナイフで切り込みを入れ,表面を彫っていきます。

 仕事から帰り,時間の合間を縫ってちょっとづつ彫って仕上げていきました。

 やっとの思いで仕上がり,1日乾燥させたものがこちらです。

(ジャック・オー・ランタン)
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 坊ちゃんかぼちゃに比べ,ペポかぼちゃは肉厚で表面の皮が若干固い分,穴が貫通するまでに少し時間がかかりますが,その分,力が入り過ぎて切り過ぎるというリスクも少ないように思いました。

 また,小さなサイズなので,万能包丁やカッターナイフだけで彫るのは大変でした。

 結局,穴を貫通・整形させるために,金串や大きめのマイナスドライバーも使ったのですが,ミニサイズのかぼちゃでは細かい作業が要求されることとなるため,より細かい彫刻が可能となる彫刻刀を使ったり,大きめのかぼちゃを選択する方が作りやすいと思います。

 今回は更にグレードアップさせるため,市販されていた魔女の帽子をかぶせてみました。

(ジャック・オー・ランタン(魔女の帽子))
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 ジャック・オー・ランタンに魔女の帽子をかぶせ,園芸用の小さな椅子の上に乗せた様子です。

 恐ろしいというよりは,よりかわいらしく,市販品っぽくなった感があります。

 さらに,せっかくここまで作ったからには,中を明かりで照らした様子も見てみたくなりました。

 丸くくり抜いている頭頂部から,自宅にあった電池式のキャンドルライトを入れ,部屋の照明を消してみました。

(ジャック・オー・ランタン(キャンドルライト))
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 やはりこれが一番迫力がある,一般的なイメージに近いジャック・オー・ランタンのように思いました。


ジャック・オー・ランタンを飾る

 ハロウィン当日に備え,魔女の帽子をかぶせ,ワイヤーで園芸用の椅子に縛り付けたジャック・オー・ランタンを自宅の玄関のドアに引っかけて飾ることにしました。

 が,日を追うごとに,ジャック・オー・ランタンの水分が失われてしわだらけになり,併せて顔色も悪くなり,歯には虫歯のようにかびまで生えてきています。

 ハロウィン当日,彼がどんな顔に変化しているか,こちらの方がよほど怖いです。


(関連サイト)
TOKYO FM「ピートのふしぎなガレージ」
古くて新しい「ハロウィン」を愉しむ」(2016.10.29 第186話 ハロウィン)

2016年9月12日 (月)

歴食の世界 -天平の蘇・縄文どんぐりクッキー・古代妄想-

 「歴食JAPANサミット第1回大会 in 山口市」(「歴食JAPANサミット -山口に誕生した「歴食」という新たな食の世界-」参照)で展示・販売された歴食を御紹介します。


天平の蘇

 「蘇(そ)」は,唐から遣唐使によりもたらされた「酥(そ)」に由来する乳製品で,一種の薬として,また,仏教の伝来により禁じられた肉食に代わる貴重なタンパク源として,貴族を中心に重宝されました。

 蘇は牛乳を10分の1になるまで煮詰め,固めたものです。

 今回御紹介する蘇は,奈良市の奈良パークホテルが再現し,「天平の蘇」という名で販売されていたものです。

(天平の蘇と外箱)
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 金色の箱の中に蘇が2本入っています。

 それでは中身を見てみることにしましょう。


(天平の蘇)
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 長さ7cm,幅2.5cm,高さ2cmの細長い褐色の塊です。

 牛乳を10分の1まで煮詰めているので,固くシャリシャリしたチーズのような食べ物です。

 風味は褐変していることから,キャラメルに似ていますが,当然ながら砂糖は入ってないので,キャラメルのような甘さはありません。ただ,牛乳の持つほのかな甘味は感じられました。

 チーズとキャラメルの中間のような風味・味わいの乳製品だと言えるでしょう。

 説明書を読んでみると,蘇の特徴として,

 「乳の全固形分が濃縮したものなので,乳糖が多く,口あたりはざらつきが大きい。しかし甘味料をもたなかった当時では,乳を濃縮した自然の甘味とうま味を有する蘇は貴重な食品で,上流階層では正月の大饗のデザートとして珍重されていた」(抜粋,一部加工)

 とあり,さらに蘇の薬効として,

 「日本最古の医術書である「医心方」には,「五臓」の気を補給し,大腸を良くし,口中の「潰瘍」(かいよう)を治療する主治食と記載されており,更に「陰萎縮」(いんいしゅく,男性の性的不能)を直す」(抜粋,一部加工)

 と説明されています。

 貴重で様々な薬効も期待された食べ物だったことが伺えます。

 奈良パークホテルでは,1984年から社内に天平料理復元のプロジェクトチームを結成し,今日に至るまで,「天平の蘇」をはじめとする天平の食文化の継承に力を入れておられます。

(「天平の宴」のメニュー例)
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 天平時代を偲ばせる,魅力的なメニューが用意されています。


縄文どんぐりクッキー

 縄文時代には,どんぐりを粉に挽いてクッキー状に焼いたものが食べられていたようです。

 今回御紹介する「縄文どんぐりクッキー」は,鹿児島県霧島市の琴鳴堂が再現し,ミニサイズの素焼きの縄文式土器に入れて販売されていたものです。

(ミニ縄文式土器のパッケージ)
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 もともと製陶業を営んでおられる琴鳴堂さんだけあって,土器の緻密な紋様まで再現されています。

 また,この縄文どんぐりクッキーが,どんぐり粉,小麦粉,片栗粉,豆乳,サラダ油,砂糖,塩で作られていることも表示されています。

(縄文どんぐりクッキー)
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 とても素朴で,シンプルな味のクッキーです。

 わずかに木の実の風味が感じられますが,これがどんぐりの風味なのでしょう。

 当時は小麦粉や砂糖などなかったはずですから,メインはどんぐり(粉)で,それに塩などで味を調えた程度のクッキーだったと思われます。

 灰汁抜きなど,手間暇かかる食べ物だったでしょうが,保存食品の1つとして作られ,大事に食べられていたことでしょう。


古代妄想

 奈良市のケーキ・焼菓子店「ならまち菓子工房プティマルシェ」が出店し,販売されていた焼菓子の詰合せです。

(古代妄想 外箱)
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 いきなりこのネーミングの菓子箱を渡されると,いったい何が入っているのだろうかと誇大な妄想をしてしまいます。


(古代妄想 中身)
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 箱の中は,木簡グリッシーニ,古墳クッキー,3色勾玉クッキー,それにスコップ型のスプーン(発掘スコップスプーン)の詰め合わせとなっていました。


(古代妄想の焼菓子)
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 写真右側の細長い菓子が木簡グリッシーニ,左上が古墳クッキー,左下が3色勾玉クッキーです。

 木簡グリッシーニは,奈良の老舗麹屋さんの塩麹が使用されたグリッシーニで,固めにしっかりと焼き上げられ,ほんのり塩気がある焼菓子です。

 古墳クッキーは,古墳型のプレーンクッキーと抹茶・紫芋クッキーを重ね合わせたバタークッキーです。

 3色勾玉クッキーは,抹茶・紫芋・玄米を使い,勾玉の形に仕上げたバタークッキーで,それぞれの素材の味をよく味わうことができるクッキーです。


 ならまち菓子工房プティマルシェでは,このほかにも古墳の構造とケーキの構造が似ていることに着目した「古墳型ケーキ」なども販売されています。


まとめ

 今回御紹介した歴食は,いずれも歴史好きな方にプレゼントすると大変喜ばれるでしょうし,歴史に興味がない方にも,こうした食べ物を通じて歴史に興味を持つきっかけになる可能性は十分あると思います。

 歴史という観点からその地域の食を見つめ直し,当時の食を再現してみる試みは,地域活性化の1つの手掛かりになるのではないでしょうか。

2016年6月28日 (火)

夏越の祓と京都の和菓子 水無月 -神道と道教,道教の特徴と日本の行事・文化-

夏越の祓

 1年の折り返しにあたる6月30日。

 神道では「大祓(おおはらえ)」の日とされ,罪や穢れ,災厄を祓うための神事が行われます。

 この神事は「夏越の祓(なごしのはらえ)」と呼ばれ,神社では茅の輪をくぐることで穢れを清める「茅の輪くぐり(ちのわくぐり)」や,紙を人の形に切った「人形(ひとがた)」を水に流したり,火で焚いたりする「人形流し」,この人形流しと同様に乗り物やペットなどの形に切った「形代(かたしろ)」でお祓いを受ける「形代流し」といった神事が行われます。


「茅の輪くぐり」・「人形」・「形代」にみる神道と道教の融合

 茅の輪くぐりは,神社の境内に設けられた茅で作られた大きな輪を人が8の字にくぐることで,穢れを払う神事です。

(茅の輪くぐり)
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(武光 誠『知っておきたい世界七大宗教』から引用)

 茅の輪くぐりについては,「備後国風土記」にある,スサノオノミコトとされる神が旅の途中で温かくもてなしてくれた蘇民将来(そみんしょうらい)に,「茅で輪を作って腰に巻けば病気にかからない」と教え,蘇民将来がその教えを守ったところ,疫病を逃れることができたという伝説が由来となっています。

 この「輪の中を8の字にくぐることで災厄を逃れる」という方法は,実は中国の道教の呪術にも共通してみられるものです。

 つまり茅の輪くぐりは,日本の神道が道教風の呪術をとり入れて生まれた神事であると説明することもできるのです。

 また,「人形」に息を吹きかけたり,「形代」に対象となる乗り物やペットを当てることで人や物の身代わりとし,穢れ(けがれ)を祓うという神事は,陰陽道の呪術やその元となる中国の道教思想によるところが大きいのです。

 近所の神社の「夏越祭(輪くぐり祭)」案内に,「人形」と「形代(型代)」,そしてその説明文がありましたので,御紹介します。

(「人形」)
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 白が男性,ピンクが女性で,名前と年齢を記入するようになっています。


(「形代(型代)」)
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 バイク,自転車,自動車,ペットは一般的なのでしょうが,小型船舶まで用意されています。
 広島湾に面した,この地域ならではの「形代(型代)」と言えます。


(「人形」「乗り物・ペット型代」の説明)
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 人形・形代を切り,初穂料と一緒に封筒の中に入れ,奉納するよう説明されています。


道教の特徴とその影響を受けた日本の行事・文化

 ここで,道教について少し触れておきたいと思います。

 道教の特徴を示すキーワードとしては,「道」,「不老長生」,「陰陽」,「風水」,「呪術」などが挙げられます。

 かつて日本でもキョンシーが一大ブームとなりましたが,その作品『霊幻道士』や『幽幻道士』などの「道士」とは,道教の僧侶のことです。

 中国の道教から影響を受けた日本の行事・文化として,干支(十干,十二支),三元(上元(1月15日),中元(7月15日),下元(10月15日)),陰陽道,風水,恵方参り,恵方巻き,本草(学),庚申信仰,鍼灸,山岳信仰,修験道,茶道などが挙げられます。

 このように,道教は日本では馴染みが薄いと思われがちな宗教ですが,意外と日本の行事・文化に深く根を下ろしていることがわかります。


和菓子 水無月に込められた意味や願い

 夏越の祓にあたる時期に,京都を中心に食べられている和菓子が「水無月(みなづき)」です。

(水無月(1個))
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 これは,白い外郎に小豆をのせた三角形の和菓子です。

 三角形の白い外郎は暑気払いの氷を意味しています。

 なぜ氷が関係するのかと疑問に思いますが,これは旧暦の6月1日が「氷の節句」または「氷の朔日」と呼ばれ,冬に「氷室」に貯蔵しておいた氷を取り出し,この氷を口にして暑気を払う日とされたことに由来しています。

 ただ,実際に氷室の氷を口にできるのは宮中の限られた人だけであったため,氷片を三角形の外郎にかたどったお菓子が作られるようになりました。

 また,小豆については,小豆の赤色が呪力を持ち,魔除けの意味を持っていることに由来しています(「あずきの研究8 -お祝い事に赤色が好まれる理由-」参照)。

 この小豆の赤色に呪力・魔除けの効果があるという思想は,元々は中国の道教の思想でもあります。

 陰陽で,この世の人間を「陽」,あの世の幽霊・妖怪・化け物を「陰」ととらえたとき,赤色は「陽」の気にあふれた色で,「陰」の世界では嫌われる色だとされているのです。

 なので,中国では,食べ物の中でも赤い小豆や桃には特別な意味があり,その思想が朝鮮半島や日本にも伝わって,水無月など和菓子の世界にも影響したと理解してよいでしょう。

 こうしてみてみると,水無月は実にいろんな意味や願いが込められたお菓子だということが理解できます。


和菓子 水無月の実食

 今回,私が広島市内の和菓子店で購入した水無月は,砂糖に小麦粉,上用粉,餅粉,わらび粉などを混ぜて作られた外郎の生地に,小豆がのせられたものでした。

(水無月(2個))
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 わらび粉が用いられていますが,これは広島の隣の山口で作られる外郎に用いられている材料です。

 この水無月は3層構造となっています。

 その3層とは,土台となる白い外郎のみの層,その上の小豆を混ぜた外郎の層,そして表面につやを出すために寒天で作られた透明な砂糖の膜の層です。

 この水無月をいただいてみました。

 土台の外郎のふるふるとしたやわらかい食感と,大粒でしっかりした弾力のある小豆の食感を同時に楽しむことができました。

 見た目のこともありますが,外郎がシンプルな食感なので,こした小豆より粒のままの小豆をのせた方が合うと思いました。
 逆に,こしあんにすると,単なる小豆の外郎になるような気もしました。

 味は,小豆甘納豆入り蒸しパンを食べているような,シンプルな甘さ,小豆の風味がしました。

 氷に似せた白い三角形,外郎の控え目な甘さ,上に散りばめられた粒の小豆が涼を呼ぶ,6月を代表する京都の和菓子です。


<参考文献>
武光 誠 『知っておきたい世界七大宗教』 角川ソフィア文庫
菊地章太 『道教の世界』 講談社選書メチエ
岡倉天心著/桶谷秀昭訳 『英文収録 茶の本』 講談社学術文庫

2016年5月 4日 (水)

歴食の世界 -「幕末維新パン」と幕末維新期のパン開発物語-

 歴食JAPANサミットで販売されていた「幕末維新パン」です。

 官軍が用いた「菊花紋官軍指揮旗」(萩博物館蔵)が掲載されており,激動の幕末維新を感じさせるパッケージとなっています。

(幕末維新パン(包装))
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奇兵隊や振武隊の陣中食糧

 説明書きには,
 「安政6年1859年 萩藩 中嶋治平が最初にパンを製造 慶応元年1865年 奇兵隊の陣中食糧として また慶応2年 大村益次郎指揮下の振武隊も陣中兵糧として重用しました」
 とあります。

 奇兵隊と振武隊,いずれも「陣中食糧」として重用したとのことですが,この「陣中食糧」は,日本のパンの開発・普及につながるキーワードの1つだと言えるでしょう。

 ここで,幕末維新の情勢と日本のパンの関係について,少し触れておきたいと思います。


兵糧食として注目されたパン

 幕末にペリーが浦賀に来航し,幕府に開国を要求します。

 この事件をきっかけに,幕府は国土防衛に,雄藩は尊王攘夷,やがては倒幕運動に力を注ぐこととなります。

 そして,保存性や携帯性に優れたパンが,兵糧食として注目されることとなったのです。

 この時,幕府の軍備増強の視点からパンの研究開発に取り組んだのが江川坦庵(英龍,太郎左衛門)です。

 そののち,江川坦庵は「日本のパン祖」とされ,パンを初めて試作した日(1842年(天保13年)4月12日)にちなんで,毎月12日が「パンの日」と定められました。

 一方,長州,薩摩,水戸などの雄藩も,兵糧食の必要性から,江川坦庵と同様に長崎のオランダ屋敷からパンの製法を学び,独自にパンの研究開発に取り組むこととなります。

 こうした流れの中で,長崎に滞在した経験のある萩の科学者 中嶋治平(なかしま じへい)が陶磁器で焼いた「備急餅」という名前のパンを作りました。

 長州藩はこのパンを兵糧食として採用し,幕末維新の際,奇兵隊や振武隊などに重用されたのです。

 こうして概観してみると,「激動の幕末維新期を支えたのは,実はパンだった」と言っても過言ではないと思います。


幕末維新パンについて

 山口で再現されている幕末維新パンは,横約15cm,高さ約7cmの比較的大きなパンです。

(幕末維新パン)
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 説明書きには,「麦粉一斤,卵五ツ,糖少許,本五勺」と書かれていることから,小麦粉,卵,砂糖,そして本(もと)と呼ばれる酒母が材料に使われていることがわかります。

 イーストの代わりに日本酒を作る過程で必要となる酒母(酒種)を利用して作られたパンなのです。

 卵が使われているからか,生地がやや黄色っぽく仕上がっています。

 また,バターなどの油脂が使われてないこともあり,若干パサパサした感じもします。

 甘味や塩味はあまり感じられませんが,よく噛みしめて食べると,酒饅頭と同じような,日本酒のよい香りが漂います。

 現在のパンと比べると,少しもの足りない気もしますが,「パンを焼くオーブンもイーストもなかった時代に,試行錯誤の上にこうしたパンを作っていたのだろうな」と当時の様子を想像しながら,興味深くいただきました。

2016年4月15日 (金)

歴食の世界 -「平成大内御膳」の雑煮と中世の香物,私の教育論-

 「歴食JAPANサミット第1回大会 in 山口市」(「歴食JAPANサミット -山口に誕生した「歴食」という新たな食の世界-」参照)で展示・販売された歴食を御紹介します。


「平成大内御膳」の雑煮

 「大内氏の宴」を現代に甦らせた「平成大内御膳」を代表する料理が雑煮で,この雑煮が会場で販売されていました。

(「平成大内御膳」の雑煮 販売の様子)
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 「干しなまこ,鮑など,高級食材がたっぷり入った…」と紹介されており,これこそ昔の御馳走だと思った私は,どのような雑煮なのか興味津々で注文しました。

 注文すると,調理服を着た板前さんが,丁寧に中の具を温め直し,お椀に熱いだし汁を注いでくださいました。

 その職人技と完成した雑煮を,報道の方がテレビカメラで一部始終撮影されたので,私が購入した雑煮にもかかわらず,その様子を写真撮影する余地はありませんでした…。

(「平成大内御膳」の雑煮)
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 これが,もうテレビでとっくに紹介されているかも知れない雑煮です(笑)。

 鰹の生節の出汁に,醤油の代わりとなる「たれ味噌」(詳細は後述)で調味された汁です。

 「たれ味噌」が使われているため,醤油に比べて深みのある色になっています。

 鰹の生節から引き出された深みのある出汁と,たれ味噌のコクが相まって,香り高い滑らかな汁に仕上がっています。

 中の具は,干しなまこ,鮑(アワビ),鰹の切身,里芋,餅という豪華な食材です。

 いずれの具も一口大に揃えられ,汁ともうまく絡まっているので,1つ1つ味わいながらいただくことができました。


中世の香物

 山口県美祢市立於福中学校から,中世の香物(こうのもの)が出展されていました。

(中世の香物)
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 大根や守口大根を味噌で漬けた漬物です。

 「皮があるままを漬けた方がよいか,皮をむいて漬けたほうがよいか」など中学生が試行錯誤されながら作られたそうです。

 ほのかに味噌のよい香りがする,おいしい大根漬に仕上がっていました。


「香の物」と呼ばれる理由

 試食後,香の物について,展示資料を読んだり,於福中学校の先生・生徒さんからお話を伺ったりして理解を深めました。

 今回の香の物は,「貞丈雑記(ていじょうざっき)」という有職故実の書物をもとに再現された料理だそうです。

(「香物」についての説明(古文))
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 古文の説明書きの隣に,現代語訳も用意されていました。

(「香物」についての説明(現代語訳))
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 この説明書きや,於福中学校の先生・生徒さんからの説明で,「漬け物」を「香の物」とも呼ばれるのは,漬け物に味噌が使われ,その味噌の香りが強いことにルーツがあることを知りました。


「たれ味噌」が「香の水」と呼ばれていた

 また,「たれ味噌」という表現もみられますが,これは味噌からにじみ出た液体調味料のことで,のちに醤油へと進化していく調味料です。

 「香(味噌)の水」と表現されていますが,「醤油」という言葉が生まれる前はこのように呼ばれていたのかも知れませんね。

 今の時代に,食堂などで醤油びんに「香水」などと書かれていたら,化粧品と間違えられそうですが…。

 於福中学校では,「大内料理」の再現や,そのための古文書解読,京料理を学ぶ修学旅行など,大内文化を中心とした歴史教育,食文化教育に力を入れておられるようで,恵まれた環境で学べる生徒達を羨ましく思いました。


これからの日本の教育のあり方を考える

 於福中学校の取組み事例に刺激を受け,私なりに,これからの日本の教育のあり方について少し考えてみました。

 きっかけは,歴史でも食でも何でもいいと思うのですが,自分が興味を持った分野を深く勉強することの楽しさや,新たな世界を見つけることの喜びを子供達に気付かせること,これこそが教育の原点なのではないかと私は思っています。

 そして,自分で研究を進めていけるだけの能力を身につけるために,基礎的な必修科目の勉強が大切になってくることを自覚させることが出来るならば,教育の目標は達したと言ってもよいでしょう。

 なぜなら,あとは教育などしなくても,自然とその目標に向かって自主的に勉強するようになるからです。

 ただ,この考え方は教育の最終目標であって,実際には,それ以前に受験競争に臨むために無理矢理詰め込み式の勉強をしたり,学問の楽しみや喜びを味わえぬまま卒業する生徒・学生達がほとんどと言ってよいでしょう。

 受験競争,学歴社会は,明治以降,社会が要請した効率的な人材選別システムの一部であり,理不尽とも言える受験勉強を通じて,どれだけ社会に適応し得るか,どれだけ忍耐力があるかをはかる「ものさし」になっている感があります。

 確かにある意味それも必要なことなのですが,グローバルな視野で日本の将来を考えると,自主的に学び,考え,解決する能力を身に付けた人材が求められており,そうした人材を育成するための教育が必要とされているように思います。

 そういう意味からも,於福中学校のような,生徒に自主的に考えさせ,様々な体験をさせることで,勉強の本来の楽しさや喜びを知ることを目標とした取組みは,注目に値するのではないでしょうか。

2016年4月 2日 (土)

イースター(復活祭)を基準としたキリスト教行事 -なぜ卵とウサギが一緒なのか-

 イースター(復活祭)は,クリスマスやハロウィンに比べると,日本ではまだ馴染みが薄いキリスト教の行事ですが,キリスト教では,クリスマス(降誕祭),ペンテコステ(聖霊降臨祭)と並ぶ三大祝日の1つとして,特に重要視されています。

(イースターにちなんだチョコレート菓子)
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 イースターは毎年,おおむね3月後半から4月初めに行われることが多いのですが,日付が定まってない理由も含めて,イースターを中心としたキリスト教行事について理解を深めたいと思います。


イースター(復活祭)の定義

 イースターは,磔刑に処されたイエス・キリストが復活し,神の子として人々の前に姿を現したことを記念する,キリスト教にとって最も重要な祝日と言われています。

 日付の定義は,「春分後最初の満月の後に訪れる日曜日(※)」と,毎年変わる「移動祝日」となっています。
 ※東方正教会の場合はユリウス暦を採用しているため日付が異なります。

 こうした決め方だと,私を含め,なかなかイメージしにくい印象を持たれる方も多いのではないでしょうか。

 ただ,今よりずっと自然と共に生活することを余儀なくされた時代の人々にとっては,こうしたイースターの日付の定義は,天文学に基づき,いかなる暦であっても,普遍的に理解できる定義として,むしろ受け入れられ易かったのではないかと思います。


イースター(復活祭)を基準としたキリスト教行事

 イースターを基準としたキリスト教行事として,カーニバル(謝肉祭),四旬節,そしてペンテコステ(聖霊降臨祭)が挙げられます。

 逆に言うと,これらの行事の開催時期は,イースターの日付が決まらないと,決めることができないのです。

 少し複雑なので,表にしてみました。

(イースター(復活祭)を基準としたキリスト教行事)
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 イースターを基準として,その前40日間が「四旬節」(獣肉などを断つ精進日),その「四旬節」直前の数日間が「カーニバル」(精進前の飽食と笑いの祝祭),逆に,イースターから50日後が「ペンテコステ」(聖霊降誕祭)となっているのがわかるかと思います。


イースターは四旬節を経ることに意味がある

 日本で,イースターと言われてもあまりピンとこない人が多いのは,その前に行われる四旬節がないからだとも言えます。

 四旬節は,イエス・キリストが荒野で40日間断食をしたことに由来しており,イエス・キリストにならって,40日間獣肉などを断ち,精進する期間です。(実際には各週の日曜日が除かれるため,46日前の水曜日「灰の水曜日」から始まります。)

 この四旬節の長い精進日を耐え過ごすからこそ,その精進日明けのイースターがひと際価値のある祝日となる訳です。

 同じことがカーニバルにも言えるでしょう。四旬節に肉断ちをし,精進しなければならないことがわかっているから,その直前にごちそうをたらふく食べ,大いに騒ぐのです。

 このように,四旬節は,精進するという本来の意味以外にも,けじめをつける,他の行事を際立たせるという役割を持っているように思います。


なぜ卵とウサギが一緒なのか

(卵とウサギの形をしたチョコレート)
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※冒頭に掲載したチョコレート菓子の中身です。ドイツ製。私には恐竜か何かの卵のように見えるのですが…。

 
まず卵については,
(1)キリスト教に限らず,古くから多くの民族で,「新たな生命の誕生」,「生命の連鎖」,「再生復活の象徴」とされてきたこと
(2)イエス・キリストの十字架を背負う手伝いをしたシモンが,イエス・キリストの死に立ち会ったあとで家に戻ると,鶏舎の卵が全て虹色に変わっていたと伝える福音書があること
などの理由がありますが,ウサギに比べるとイメージはしやすいかと思います。

 それでは,ウサギが登場するのはなぜなのでしょうか。

 そもそもイースター(Easter)という名称は,北欧でキリスト教が広まる前から春の祭りの主人公とされた「Eostre(エストレまたはエオストレ)」という豊穣の女神の名に由来しています。

 そして,この女神のお供がウサギだったとされているのです。

 また,ウサギの多産にあやかって,卵と同様,繁栄や復活の象徴とされてきたことも,ウサギが登場する理由の1つでしょう。

 卵を産まないはずのウサギと鶏の卵が一緒にされるのは,よく考えるとおかしいのですが,視点を変えて,古くからの言い伝えが大切に引き継がれていると言うこともできると思います。


まとめ

 キリスト教は,ヨーロッパに布教する際,その地域の文化や風習を真っ向から否定するのではなく,むしろキリスト教の行事として取り込むことで,多くの人の支持を集めてきました。

 その中で,冬至の祭りと融合させたのがクリスマスであり,春分の日の祭りと融合させたのが,今回御紹介したイースターなのです。

 今日ではキリスト教の行事となっている数々の祝祭も,ルーツをたどれば,その多くは,キリスト教の布教以前からの文化や風習だということは,宗教学上,とても重要な話だと思います。

2015年10月 4日 (日)

ハプスブルク家皇妃 エリザベートとスミレ -美容とダイエットの先駆者-

エリザベート

 
ハプスブルク家の皇帝 フランツ・ヨーゼフ1世の皇妃であり,ヨーロッパ宮廷随一の美貌の持ち主としても知られたエリザベート。
 ミュージカルでもよく取り上げられ,「シシー」の愛称で,今なお人々を魅了してやまない女性です。

(エリザベート)
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(菊池良生『図解雑学ハプスブルク家』から引用)

 
エリザベートはその美貌と体型を維持するために,美容やダイエットに大変熱心だったようで,涙ぐましいまでの美容法,ダイエット法を試みたようです。


エリザベートの美容・ダイエット法

 
『ハプスブルク家の食卓』(関田淳子)によると,主な美容・ダイエット法として,

・「ジュース療法」…オレンジなど果物(汁)だけで食事を済ませる
・「乳清療法」…ミルクや乳清だけで食事を済ませる
・「肉ジュース療法」…子牛のもも肉をプレスして絞り出した血を(薬として)飲む
・「生肉パック」…子牛の生肉で肌をパックする
・「オリーブ油風呂」…しなやかな肌を保つため,オリーブ油の風呂に入浴する
・「運動」…美容体操,器械体操,乗馬,競歩など過激なまでの運動をし,運動後には体重を測る

 などが挙げられています。

 現代の栄養学・美容法から考えれば,疑問に思う方法もありますが,当時の本人は必死だったのでしょう。

 食事に関して言えば,用意された料理を受け付けず,決まったものしか食べなかったため,宮廷料理人泣かせだったようです。


ザッハトルテ

 
そんなエリザベートのお気に入りと言ってまず思い浮かぶのが,ウィーン菓子を代表するチョコレートケーキ「ザッハトルテ」でしょう。

(ザッハトルテ)
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 甘いものが大好物だったようで,ときにはケーキを食事代わりにしていたようです。
 褒められた話ではありませんが,ほかの女性と同じく,甘いもの好きの一女性としての様子が伺え,親しみが持てます。


スミレを使ったデザート

 甘いものが大好きな一方でダイエットに励むエリザベートのため,宮廷の菓子料理人は,なるべく低カロリーで美味しいデザートの開発に力を注ぎました。

 そこで生まれた数々のデザートのうち,エリザベートが好んだのが,スミレを使ったアイスクリームやシャーベットでした。

 スミレのアイスクリームは,スミレをミルクの中で煮立て,冷やし固めたものだったようです。
 また,スミレのシャーベットは,スミレの花を乳鉢ですりつぶして砂糖水に入れ,冷凍させたものだったようです。

 いずれもダイエットのために生クリームは一切使われなかったという徹底ぶりです。


スイートバイオレット(ニオイスミレ)

 
スミレのシャーベットを作って,エリザベートと同じ気分を味わってみたいと思い,園芸店でスイートバイオレット(ニオイスミレ)を探してみました。

 時期的な理由もあるのでしょうが,広島市内の園芸店やホームセンターではなかなか見当たらず,かろうじて1件,苗が販売されていたので,購入し,育ててみることにしました。

(スイートバイオレットの説明書き)
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 この説明書きを読んで,素人の私でも,スイートバイオレットが食べられる花(エディブルフラワー)であることを確認できました。

(スイートバイオレット(紫))
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 スミレの花と言えば,一般的にこの紫色を思い浮かべますが,白色やクリーム色もあったので,そちらの苗も購入しました。

(スイートバイオレット(白))
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(スイートバイオレット(クリーム))
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 苗を肥料入りの土を盛った長方形のプランターに移し替え,水をあげて…。
 一面に咲くスミレを期待していたのですが,数週間後に枯れてしまいました。
 かろうじて残った花を砂糖漬けにしたのですが,こちらも水気が多かったのか,冷蔵庫内でカビが生える始末。やはり素人でした…。

 スミレのシャーベットは幻となり,スイートバイオレットにもかかわらず,苦い思い出となりました。

 それでもせっかくだからと,スイートバイオレットを少し食べてみましたが,強い香りがするでもなく,決め手となるような味も感じられず,色や見た目重視の食材のような感想を持ちました。


エリザベートとスミレ

 
ウイーン宮廷での生活を窮屈に感じ,旅に生きがいを求めたエリザベート。

 当時のウイーンには「食材」としてのスミレが,エリザベートを優しく受け入れるように,あちこちに咲いていたのではないでしょうか。

 そしてスミレのデザートは,エリザベートにとって,ウイーン宮廷での数少ない安らぎを与えてくれる食べものだったに違いありません。

<参考文献>
関田淳子『ハプスブルク家の食卓』新人物往来社
菊池良生『図解雑学ハプスブルク家』ナツメ社

2015年7月24日 (金)

アーミッシュの特徴と食文化4 -アーミッシュとクエーカー(後編)-

アーミッシュとクエーカーの食文化の共通点を探る

 
アーミッシュとクエーカーは,いずれも宗教改革以降に生まれたキリスト教プロテスタントの宗派ですが,アメリカでクエーカーがアーミッシュを受け入れたことに伴って,多少なりとも食文化にも影響はあったのではないでしょうか。少し検証してみたいと思います。


クエーカーとココア・チョコレート

 今のような食べるチョコレートは,1847年にイギリス・ブリストルのジョーゼフ・フライ(フライ家)によって作り出されました。

 同時期,バーミンガムではキャドバリー家が,ヨークではロウントリー家が,それぞれ良質のココアを作り出し,この3家がイギリスを代表するココア・チョコレートメーカーとなりました。

 その背景には,この3家は,いずれも熱心なクエーカー教徒だったという共通項が見出せます。クエーカー同士,そして同業者同士として,互いに協力し合い,ココア・チョコレート産業が発展していったのです。

 そうして生まれたのが,ロウントリー社の「キットカット」で,イギリスを代表するチョコレート菓子となりました。(「イギリス料理の特徴と主な料理 -キットカット-」参照)

(キットカット(ミニ))
Photo

 日本ではネスレ社から販売されています。

(キットカット外箱)
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チョコパイ

 イギリスのクエーカー教徒によって生み出されたチョコレートと,アーミッシュで作られるパイのノウハウによってチョコパイが生まれたのではと仮説を立ててみました。

 しかしながら,有効な接点が見つからず,ウィキペディアに「アメリカ・テネシー州のグラハム・クラッカーにマシュマロを挟んだムーンパイが元祖であり,アメリカ南部ではポピュラーな菓子である」と説明がある程度でした。

 ただ,キットカットとチョコパイには共通点があります。

 それは,いずれも当初は労働者向けに作られた食べ物だったということです。

 労働の合間に,手軽にカロリーを補給し,血糖値を上げて次の労働につなげることができることから,これらのチョコレート菓子が支持され,やがて広く人気を得るようになったのです。

(エンゼルパイ)
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 森永製菓のチョコパイ「エンゼルパイ」です。
 アメリカでマシュマロのことを「エンゼルフード」と呼ばれていたことにちなんだネーミングとなっています。
 森永製菓は,ロウントリー社のココアを日本に輸入するとともに,日本ではじめて本格的にチョコレート製造に取り組んだ会社でもあります。

 チョコパイは,直接的なつながりはないにせよ,イギリス発祥のチョコレートの製法と,アーミッシュをはじめとするアメリカのパイの食文化の土台があったからこそ生まれたお菓子だと言えるのではないでしょうか。

2015年7月19日 (日)

アーミッシュの特徴と食文化3 -アーミッシュとクエーカー(前編)-

アーミッシュとクエーカーのつながり

 アーミッシュは,16世紀宗教改革の時代にスイスを中心としたヨーロッパで生まれ,後にドイツに移住したキリスト教の一派ですが,そのヨーロッパでは,アーミッシュの独自の思想が受け入れられず,迫害を受ける結果となり,北アメリカへ移住することとなりました。

 その主な移住先がアメリカ・ペンシルバニア州でした。

 ペンシルバニア州はウイリアム・ペンがキリスト教の一派「クェーカー教徒」を率いて入植した地ですが,ウイリアム・ペンは,広く信仰の自由を認めており,アーミッシュとは「平和主義」や「新教徒」という共通点もありました。

 さらに,アーミッシュの優れた農業技術をペンシルバニアの開拓につなげることも期待できると判断しました。

 こうしたの理由から,ウイリアム・ペンは,アーミッシュを積極的に受け入れることとしました。

(メノナイトとアーミッシュの移住)
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(井上順孝『図解雑学 宗教』から引用。一部加工)

 
同じアナバプテスト(再洗礼派)であるメノナイトも,アーミッシュと同様の理由でアメリカ・ペンシルバニア州をはじめとする北アメリカやカナダに移住しています。


クエーカーとは

 クエーカーは,17世紀中頃にイギリス発祥したプロテスタントの一宗派です。
 キリスト友会,フレンド会などとも呼ばれています。

 創始者はジョージ・フォックスで,「内なる光(聖霊)」の導きに従うことを主張する「聖霊主義」や,万人は霊的に平等であるという「平等主義」がとられています。

 クエーカー(Quaker)の名は,その単語の示すとおり,霊的交わりの中で生じる肉体の振動(震え)によって信仰を表現したことに由来しています。

 イギリスでは,イギリス国教会に属さない「非国教徒」として迫害を受けてきましたが,その分,クエーカー同士の結束力は強まり,その強力なネットワークと節約を旨とする禁欲的な特性から,商工業を中心に数多くの成功をおさめ,資本主義の発展に大きく貢献してきました。

 日本人では,新渡戸稲造がメリーランド州ボルチモア市のジョンズ・ホプキンス大学に留学した際に,クエーカーと出会い,クエーカー信仰者となったとともに,その集会で出会ったメアリーという女性と結婚したことがよく知られています。

(メモ)
ペンシルバニアの地名の由来
 ペンシルバニアはウイリアム・ペンの名前にちなんだ地名で,「ペンの森林」という意味。

フィラデルフィアの地名の由来
 ペンシルバニア州の州都フィラデルフィアは,クェーカーの教義が「兄弟愛」であることから,ギリシャ語のフィル(愛)とアデルフィ(兄弟)にラテン語の地名接尾辞イア(-ia)を付けてできた地名で,「兄弟愛の地」という意味。

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