宗教・食文化史

2018年2月11日 (日)

ロシア革命と日本のバレンタインチョコレート -神戸・御影のバレンタイン広場訪問-

日本のバレンタインデーとチョコレート

 2月14日はバレンタインデーです。

 日本でも年中行事の1つとなり,チョコレートをはじめとする様々な商品が店に並びます。

 日本でバレンタインデーと言えば,「女性から男性へチョコレートを贈る」というイメージが強いですが,欧米では男女双方向で,プレゼントもチョコレートに限らず食事,花,カード,衣服などバラエティに富んでいることから,このイメージは日本独自の風習と言えそうです。

 では「日本のバレンタインデー=チョコレート」という図式が,いつどういう経緯で確立されたのでしょうか。

 このことについて,まとめてみたいと思います。


第一次世界大戦とロシア革命

 20世紀前半,経済成長を遂げるヨーロッパは,国同士で勢力争いをするようになります。

 それが顕著だったのが,海軍力増強に乗り出したドイツと,制海権を堅持したいイギリスとの対立です。

 ドイツはオーストリア,イタリアと手を組み(三国同盟),イギリスはフランス,ロシアと手を組み(三国協商),両陣営が対立することとなります。

 この対立は,やがて多民族が暮らすバルカン半島でのスラブ人(ロシアが支援)とゲルマン人(ドイツが支援)の民族運動にまで影響を及ぼしました。(「パン・スラブ主義」と「パン・ゲルマン主義」の対立)

 こうした状況下で,1914年,ボスニア・サラエボでオーストリアの皇太子がスラブ系のセルビア人に狙撃される「サラエボ事件」が起こります。

 そしてこの事件をきっかけに,全世界を巻き込んだ第一次世界大戦が勃発したのです。

 三国協商側の国とのつながりが強かった日本も参戦することとなった第一次世界大戦ですが,戦争が長期化するにつれ,当時経済基盤の弱かったロシアは危機的な状況に陥りました。

 ロシアではこの状況を打破すべく,「ソヴィエト(労働協議会)」が結成されて革命運動が広がり,1917年には社会主義を掲げるロシア革命が勃発しました。


ロシア革命とモロゾフ・ゴンチャロフ

 このロシア革命の混乱を避け,他国に亡命したロシア人も数多くいました。

 亡命の道を選んだロシア人の中には,日本の貿易港神戸に居住した人も多かったようです。

 そうしたロシア人の1人が,フョードル・D・モロゾフです。

 モロゾフは1931年,神戸に「モロゾフ製菓株式会社」を設立しました。

 「モロゾフ」のサイトによると,「翌1932年,モロゾフは日本で初めて”バレンタインデーにチョコレートを贈る”というスタイルを紹介」したと説明されています。

 日本でバレンタインデーにチョコレートを贈るという風習が定着した経緯については諸説ありますが,「モロゾフ」の販売が一大契機となったことは間違いありません。

 一方,同じ神戸の「ゴンチャロフ」を創業したマカロフ・ゴンチャロフも,フョードル・D・モロゾフと同様にロシア革命の影響でロシアを亡命し,来日したロシア人の1人でした。

 ロマノフ王朝の宮廷菓子職人であったマカロフ・ゴンチャロフは,1923年に神戸でチョコレート工房を開業しました。

 「ゴンチャロフ」のサイトによると,「ウィスキーボンボンはゴンチャロフが日本ではじめて作ったと言われています。」と紹介されています。

 ロシア革命の勃発が,めぐりめぐって日本にチョコレート文化が浸透するきっかけとなったとは,とても興味深い話です。


神戸・阪神御影駅前のバレンタイン広場

 こうした歴史的背景もあり,神戸市は日本のバレンタインの発祥の地(聖地)とされています。

 1986年からは,神戸市とイタリアのテルニ市(聖バレンタインの出身地)との交流も始まり,2013年5月には「モロゾフ」と関わりの深い御影に「バレンタイン広場」が完成しました。

 日本のバレンタインの聖地を求め,神戸市東灘区御影を訪問しました。

(阪神・御影駅と5700系電車)
5700

 バレンタイン広場は,阪神電車・御影駅前にあります。

(阪神・御影駅とバレンタイン広場)
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 円形のバレンタイン広場中央には,陶板で作られたイタリア・テルニ市の地図があります。

(イタリア・テルニ市の地図)
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 テルニ市はイタリアの首都ローマの北側に位置することがわかります。

 また,バレンタイン広場の一角には,聖バレンチノ教会のモニュメントも設置されています。

(聖バレンチノ教会のモニュメント)
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 写真中央の2つの石碑が聖バレンチノ教会のモニュメントです。

 近づいて見てみましょう。

 モニュメントの御影駅側にはイタリア・テルニ市の紹介文があります。

(テルニ市の紹介文)
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 「テルニ市は『愛の守護神』と呼ばれる『聖バレンチノ』の聖地でもあり,この街からバレンタインデーが世界に広まったと言われています。一方,神戸は日本におけるバレンタインデー発祥の地です。バレンタインデーが結びつけた両市の交流は1986年にスタートし,現在も続いています。」と紹介されています。

 一方,モニュメントのバレンタイン広場側には,テルニ市長メッセージと聖バレンチノ教会・ステンドグラスが紹介されています。

(テルニ市長メッセージ・聖バレンチノ教会・ステンドグラス)
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 テルニ市長のメッセージには,「スイーツの街である神戸・御影にあるこの広場を訪問された方々がバレンタインデーの意義やテルニ市を想い,テルニ市と神戸市の友好交流がますます盛んになるよう期待しています。」とあります。

 写真左下が聖バレンチノ教会,写真右下が聖バレンチノ教会のステンドグラスです。

 次にバレンタイン広場に併設するバス停を見てみましょう。

(阪神御影南口(バレンタイン広場前)バス停)
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 板チョコのデザインのバス停です。

 写真中央にある広告は,左側が聖バレンチノ教会のステンドグラス,右側はモロゾフのチョコレートの広告となっています。

(阪神御影南口(バレンタイン広場前)バス停標識)
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 愛をイメージさせるかわいいハート形のバス停標識もあります。

 屋根部分にはテルニ市の紹介もあります。

 このように,阪神・御影駅前はバレンタインムード一色となっています。

 また阪神・御影駅から少し南に歩くと,灘の酒蔵めぐりを楽しむことができます。

 御影を訪問し,バレンタインと日本酒の世界を楽しむというのも,ハイセンスな神戸の楽しみ方だと思います。


 では,最後にゴンチャロフとモロゾフのお菓子を御紹介したいと思います。

ゴンチャロフのチーズスフレとコーヒー

 神戸・三宮にあるゴンチャロフの喫茶「ゴンチャロフ・さんプラザ店」へ行きました。

(ゴンチャロフ・さんプラザ店)
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 メニューにイートイン限定のチーズスフレがあったので,コーヒーとともに注文しました。

(ゴンチャロフのチーズスフレとコーヒー)
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 ハロウィンバージョンのチーズスフレでした。

 ふわふわのチーズスフレに生クリームやベリーソースを添えて,アイスクリームやコーヒーとともにゴンチャロフ自慢の味を楽しみました。


モロゾフのデザートプレートとコーヒー

 続いて,神戸から阪神電車に乗って,大阪・梅田にあるモロゾフの喫茶「カフェモロゾフ阪神百貨店梅田本店」へ行きました。

 メニュー表を見るなり,注文するメニューは一発で決まりました。

 こちらです。

(モロゾフのデザートプレートとコーヒー)
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 モロゾフのプリン,デンマーククリームチーズケーキそしてモンブランが一度に味わえるデザートプレートとコーヒーです。

 私以外,周りは全て女性でしたが,私はスイーツ男子だからと自分に言い聞かせ,美味しくいただきました。

 今回御紹介したゴンチャロフとモロゾフのお菓子は,よく考えるといずれも本題のチョコレートがないというオチがあるのですが(笑),義理でお許しください。


<参考文献>
 浜本隆志「バレンタインデーの秘密 愛の宗教文化史」平凡社新書
 宮崎正勝「早わかり世界史」日本実業出版社

<参考サイト>
 「バレンタインとモロゾフについて」(モロゾフ株式会社)
 「ゴンチャロフのこだわり」(ゴンチャロフ製菓株式会社)

2017年12月24日 (日)

クリスマスディナー -日本でクリスマスが年中行事となった理由-

クリスマスディナー

 今年も海辺のレストランで生演奏を聴きながらクリスマスディナーをいただくことが出来ました。

 音楽はフルートとキーボードを使っての生演奏でした。

 曲目は,「神の御子は今宵しも」,「さやかに星はきらめき」,「アヴェマリア」,「そりすべり」,スコットランド民謡の「The water is wide」など有名なクリスマスソングを中心とした構成でした。

 毎年,このレストランで生演奏を聴きながら食事すると,1年頑張った御褒美をいただいてるような気がし,この日を迎えられて良かったとしみじみ思ってしまいます。

 生演奏を聴きながらいただいた料理とデザートを御紹介します。

(前菜)
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 前菜は写真右上から時計回りに,殻付牡蠣のアヒージョ,鴨のスモーク,牛肉のブルスケッタ,スモークサーモンの野菜マリネ,海老のフリット,キッシュ,そしてエスカベッシュです。

(漁師風魚介のスープ)
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 「漁師風」という名称は,イタリア料理やフランス料理でよく登場しますが,要するに魚介が中心の料理という意味です。

 このスープも魚や海老,イカなど魚介がたっぷり入った濃厚なスープに仕上げられていました。

(牡蠣のトマトパスタ)
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 大粒の牡蠣がのせられたトマトパスタです。

 牡蠣の火の通し加減が絶妙で,トマトソースとの相性も良いことがわかりました。

(真鯛のソテー)
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 皮はパリッと香ばしく,身はジューシーな真鯛のソテーです。
 焼いたズワイガニやゴボウのチップスも添えられています。

 真鯛のソテーはホタテのムースがはさまれ,ミルフィーユ仕立てとなっていました。
 雲丹とズワイガニのソースでいただきました。

(ローストビーフと豚ヒレパイ包み)
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 厚めにカットされたローストビーフと豚ヒレ肉のパイ包みです。
 赤ワインソースでいただきました。
 いずれも焼き加減が丁度良く,ボリュームも満点でした。

(クリスマスデザート)
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 グラスに入ったティラミスとイチゴがのせられたロールケーキ,そしてコーヒーのデザートです。

 クリスマスらしい豪華な料理を堪能しました。

(生演奏の様子)
2017

 そのうちに演奏もラストとなり,大きな拍手とともに終了しました。

 その瞬間,私は「言っていいのかな」と思いつつ,勇気を振り絞って大勢のお客さんがおられる前で声を出しました。

 「アンコール!!」

 周りのお客さんもそれに気付いてくださり,「アンコール!アンコール!」と次第に声と手拍子が大きくなりました。

 すると演奏者から「嬉しい~!」とお返事をいただき,アンコールの曲が演奏されました。

 「蛍の光」でした。

 この曲で今回のディナー,そして今年1年の締めくくりとすることが出来ました。

 今年も美味しい料理と楽しい音楽で幸せな時間を過ごすことが出来ました。


日本でクリスマスが年中行事として定着した理由

 音楽はクリスマスの曲が中心だったのですが,演奏者から「日本でキリスト教の行事であるクリスマスがここまで受け入れられているのはスゴイことですよね。」とお話がありました。

 確かによく考えてみると,神道や仏教が中心の日本にあって,ここまで定番の年中行事として受け入れられているのはスゴイことだと思います。

 いろんな理由があってのことと思いますが,私はクリスマスが日本人の思想や,ほかの日本の年中行事とうまく融合出来ていることが1つの大きな理由だと思います。

 日本人には,神道の「お祓い(おはらい)」にみられるように,これまでのことは一度リセットし,新たな気持ちで次の段階を迎えたいという思いがあります。

 季節的にみれば寒く,ややもすれば気持ちまで沈みがちですが,日本人には何かしら1年の積り積もったものを発散・清算して,改めて清々しい新年を迎えたいと思う気持ちが高まるシーズンでもあります。

 年末に忘年会をするのも,1つの区切りをつけ,新たな気持ちで新年を迎えたいという思いがあるからです。

 そもそもキリスト教が,寒さが厳しく,1年を通じて最も日の短い冬至に近い日をイエス・キリストの誕生日に設定したことは,その後に人々に夢や希望を与えるという意味でも大きなメリットがあったからでしょう。

 その欧米の宗教行事を宗教色を薄め,日本の年中行事として組み入れることで,日本人にとっても,明るく楽しい時期に変化させることが出来ます。

 消費から考えても,サラリーマンの場合はボーナスなどの臨時収入もある時期で,クリスマスを行事に取り込むことで,食品業界だけでなく幅広い業界の需要を喚起させることが期待出来ます。

 こうして年末に,社会的な行事としての忘年会と個人的な行事としてのクリスマスが日本人の共通認識と合致する行事として,お歳暮などと同様に年末の一大イベントに成長したのだと思います。
 (もちろん,社会的な行事としてのクリスマス,個人的な行事としての忘年会という形態もありますが。)

 日本人は外国の文化を日本人に合うように工夫し,自分達のものとすることにとても長けています。

 クリスマスもそのような感じで受け入れられ,日本の年中行事の1つとして定着しているのでしょう。


<関連記事>
 「クリスマスディナー -フルート・ピアノ・チューバの生演奏とアメイジング・グレイスの意味-

2017年6月 7日 (水)

アーミッシュの特徴と食文化6 -ステラおばさんのクッキー-

アーミッシュ・カントリーのクッキースタンド

 ANAグループ機内誌「翼の王国」2017年3月号に「アメリカン・ビューティー アーミッシュ・カントリーで見た美しいアメリカ」という題名で,アーミッシュの特集記事が掲載されていました。

 その記事の中で,ペンシルべニア州ランカスターにあるアーミッシュ・カントリーのクッキースタンドが紹介されていました。

 アーミッシュの女の子が自分でクッキーを焼き,家の軒先で手書きの看板を用意してクッキーを販売し,周りの住民もそれを楽しみにしている様子が描かれていました。

 クッキーのほかにも,瓶詰のジャムやピクルス,大小のパイ,パン,ケーキそして手作りパスタなど様々な商品が並べられた販売スタンドが用意され,住民同士でやりとりされているようです。

 こうしたやりとりからは,単なる利益最優先の商売にはない,あたたかい心の交流を重視し,大切にしておられるアーミッシュの方々の価値観が伺えます。


アーミッシュを象徴する女性「ステラおばさん」

 こうしたお話は日本から遠く離れたアーミッシュ・カントリーだけの話ではなく,実は日本でも,クッキーなど焼菓子を中心に食を通じてアーミッシュの伝統や精神を伝えておられる有名な会社があります。

 「ステラおばさんのクッキー」(株式会社アントステラ)です。

 アーミッシュはあまり聞き慣れない言葉でも,「ステラおばさんのクッキー」は御存知の方も多いと思います。

 実はそのステラおばさんこそ,ペンシルベニア・ダッチカントリーに実在したアーミッシュの女性なのです。

(ステラおばさんとダッチカントリー)
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(ステラおばさんのクッキー『クッキーガイド』株式会社アントステラから引用)

 ステラおばさんのクッキーのロゴとアーミッシュの暮らすアメリカ・ペンシルベニアのダッチカントリーの風景が描かれたアントステラのクッキーガイドです。

 このクッキーガイドやアントステラのウェブページによると,ステラおばさんは1908年生まれで,本名がステラ・ダンクル。ペンシルベニア・ダッチカントリーで幼稚園の先生をされていたと紹介されています。

(ステラおばさんの紹介)
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(ステラおばさんのクッキー『クッキーガイド』株式会社アントステラから引用)

 この紹介の中で,私が面白いなと思ったのは,

 「ステラおばさんは,ときどき子どもたちのお尻を叩きながら,でも叩いた回数と同じだけ,子どもたちのためにクッキーやケーキを焼く,そんな先生でした。」

 という話です。

 ステラおばさんがクッキーやケーキを沢山作った日は,その分だけ子供達のお尻を叩いたということで,さらにそのあと小麦粉の生地までバンバン叩いて…(笑)。
 いえいえ,子供達への思いやりがあればこその行動と理解すべきですね。

 私はアーミッシュについて勉強していく中で,ステラおばさんとのつながりを知ったのですが,そのつながりを知ってから,俄然,ステラおばさんのクッキーに興味を持つようになりました。

 興味を持つとやはりステラおばさんのクッキーが食べたくなり,広島市内の「ステラカフェ」を訪問しました。


ステラカフェ

 ステラカフェ店頭の販売コーナーの様子です。

(ステラカフェ店頭)
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 ショーケースの中だけでも16種類のクッキーが用意され,量り売りも可能となっています。

 前述のアーミッシュ・カントリーのクッキースタンドの光景が目に浮かぶようです。

 店内のカフェに入ると,女性店員さんの制服もステラおばさんの服装,すなわちアーミッシュの女性の服装とよく似たかわいいデザインに工夫されていることがわかります。

 席に案内され,メニュー表をいただきました。

 メニュー表に「コーヒーマシュマロ」という飲み物があったので,マシュマロに興味を持ち,このコーヒーを注文しました。

(コーヒーマシュマロとクッキー)
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 「コーヒーマシュマロ」は,コーヒーの上に細かいマシュマロがのせられた飲み物です。

 このマシュマロが熱いコーヒーに溶けてミルクと砂糖の役割を果たし,甘くクリーミーなコーヒーへと変化します。

 私は普段コーヒーはブラックしか飲まないのですが,マシュマロを浮かべて飲むコーヒーも格別で,こんな美味しい飲み方もあったのかと驚きました。

 アーミッシュの有名なお菓子「ウーピーパイ」にもマシュマロがはさまれていますが,アメリカでは甘い生クリームの感覚でマシュマロがよく用いられています。

 クッキーはキャラメルカスタードとぐるぐるメロンです。

 私はオーブンでクッキーを作ったこともあるのですが,あの手作りクッキーを食べた時と同じような感動がありました。

 帰りに量り売りのクッキーも買いました。

(各種クッキー(ステラおばさん))
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 手前からキャラメルカスタード,コーンフレーク,バタースカッチ,オールドファッションシュガー,ダブルチョコナッツ,チョコレートチップです。

 目の前にたくさんのクッキーがあるだけで幸せな気分になります。


アーミッシュの人々の生活から学ぶ

 ステラおばさんの故郷ペンシルベニア・ダッチカントリーでは,今日もクッキーが焼かれ,家の軒先のクッキースタンドに並べられて,心の通った人々の交流が行われていることでしょう。

 現代日本と比べると,生活様式から時間の流れに至るまで,かなりのギャップがあることは確かです。

 人間,一度便利さや楽を覚えたら,それ以前の不便な生活に戻りたいとは思わなくなるのが常ですので,日本人がアーミッシュの生活から学ぶことはたくさんあっても,その生活そのものに回帰しようとまでは思わないでしょう。

 それに,アーミッシュの人びとが現代においてもなお,昔からの生活をかたくなに守っておられるのは,宗教的教義に支えられている部分が大きいからでもあります。

 そうした前提を踏まえた上で,私たちはアーミッシュの人々から何を学び,生活に生かすことがでしょうか。

 私は,1つには,「常日頃からの人と人とのつながり・コミュニケーションを大切にされていること」が挙げられると思います。

 産業革命にはじまる科学技術の発展により,人間はより楽な,より快適な,よりスピーディーな生活を求め,それを可能にしてきました。

 しかし,そんな生活ばかり追い求めるあまり,人間同士のつながりやコミュニケーションといった,より人間らしい生活を送る上で欠かせないことを後回しにし,犠牲にし,過去に置き忘れてはいないでしょうか。

 アーミッシュの人々の生活を理解することは,私達自身の生活の現状を理解することでもあるのです。

 皆様も今後「ステラおばさんのクッキー」などを召し上がる機会があれば,これまで御紹介してきたようなアーミッシュのお話を思い出し,何かを感じ取っていただければ幸いです。


<関連リンク>
 「ステラおばさんのクッキー」(株式会社アントステラ)
 当ブログで御紹介したようなアーミッシュのお話もたくさん掲載されています。

<関連記事>
 「アーミッシュの特徴と食文化1 -アーミッシュについて理解を深める-

 「アーミッシュの特徴と食文化2 -アーミッシュの食文化-

 「アーミッシュの特徴と食文化3 -アーミッシュとクエーカー(前編)-

 「アーミッシュの特徴と食文化4 -アーミッシュとクエーカー(後編)-

 「アーミッシュの特徴と食文化5 -広島にある「アーミッシュ」,流通の原点「顔の見える生産・販売・消費」-

 「アメリカ料理の特徴と主な料理 -ウーピーパイ-

<参考文献>
 『翼の王国 573(2017年3月1日)』ANA「翼の王国」編集部

2017年5月29日 (月)

アーミッシュの特徴と食文化5 -広島にある「アーミッシュ」,流通の原点「顔の見える生産・販売・消費」-

広島にある「アーミッシュ」

 中国山地の自然豊かな広島県庄原市口和町。

 その町に「アーミッシュ」という名称のお菓子工房があることを知りました。

 アメリカ・ペンシルベニアのアーミッシュの名が,広島県内のお店で用いられているのは珍しいと思います。

 この名称に興味を持った私は,真相を解明すべく,庄原市にある「アーミッシュ」を訪ねてみることとしました。


手作り工房「アーミッシュ」

 松江自動車道と並行する県道39号線を車で北上し,庄原市口和町竹地谷にある「アーミッシュ」を目指しました。

 しばらく走ると,「アーミッシュ」の看板を見つけたので,車を止めました。

(手作り工房「アーミッシュ」)
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 「アーミッシュ」の方から直接お話を伺ったり,このお店で商品を買ったりしたかったのですが,人がおられる様子がなく,残念ながら実現できませんでした。

 販売店舗ではなく,加工所だけなのかも知れません。

 建物周辺の山林には,たくさんのしいたけが栽培されており,しいたけの販売にも力を入れておられる様子でした。

 庄原市口和町やアーミッシュの場所等については,こちらを御覧ください。
 「まるごと口和ガイド」(庄原市観光協会口和支部)


アメリカ・ペンシルベニアのアーミッシュとの共通点

 「アーミッシュ」を後にし,「アーミッシュ」の菓子を求めて,庄原市高野町の「道の駅たかの」へ行ってみました。

 施設内の農産物等直売所「わいわい高原市場」では,「アーミッシュ」の各種シフォンケーキ(紅茶,モカマーブル,メープル,ブルーベリーなど)が販売されていました。

 そしてよく周りを見渡すと,庄原市高野町はりんごが有名なので,アップルパイ,りんごタルト,りんごジャムなどりんごの食品が充実していました。
 ルバーブジャムも含め,ペンシルベニアのアーミッシュとよく似た食べ物が売られていることに驚きました。

 このほかにも,高野大根をはじめとする採れたての野菜や果物,比婆牛,漬物などたくさんの種類の農畜産物・加工品が売られており,中には都会のスーパーマーケットでは見かけない珍しい食材もあって,とても楽しいひとときを過ごすことができました。


手作り工房「アーミッシュ」のシフォンケーキ

 手作り工房「アーミッシュ」の紅茶のシフォンケーキです。

(「アーミッシュ」のシフォンケーキ(商品名))
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「amish」(アーミッシュ)と名称が表記されています。

(「アーミッシュ」のシフォンケーキ)
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 ボリュームのある大きさですが,ふわふわで甘さ控えめな生地なので,いくらでも食べられそうです。
 素朴でやさしい味に仕上がっており,まさにカントリーケーキという名前がぴったりのシフォンケーキでした。


流通の原点は「顔の見える生産・販売・消費」

 産直市や特産品加工販売施設には,生産者や加工(業)者が地元で採れた農畜産物やそれらの食材で作った加工食品を提供し,その土地の味を求めて消費者が集まります。

 生産者・加工(業)者と消費者の距離が近い分,安くて,素朴で,嘘偽りのない食材や加工食品が提供され,それを購入することができることは,産直市や特産品加工販売施設を利用する上での大きなメリットだと思います。

 そして,こうした顔の見える生産・販売・消費の形態こそ,アメリカ・ペンシルベニアのアーミッシュの考えとも共通する,昔ながらの本来あるべき流通形態ではないでしょうか。

 都市部のデパートや大型スーパーマーケットなどで「ミニ産直市」のコーナーが設けられているのも,消費者ニーズが多様化し,現代日本に求められる流通形態の1つとなっていることを示す現象だととらえることができるでしょう。

2017年4月10日 (月)

うどん・そば・饅頭・羊羹発祥の地 博多 -聖一国師と承天寺,禅料理と博多の食文化-

粉食文化発祥の地 博多と承天寺

 福岡市博多区,博多駅から徒歩約10分の場所に承天寺(じょうてんじ)というお寺があります。

 このお寺は,1242年(鎌倉時代)に聖一国師(弁円,円爾)が開山した臨済宗のお寺です。

 このお寺の境内には,食文化などにまつわるいくつかの興味深い石碑があります。

(承天寺の石碑)
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 写真左から,「饂飩蕎麦発祥之地(うどんそばはっしょうのち)」,「御饅頭所(おまんじゅうどころ)」,「満田彌三右衛門(みつたやざえもん)」の石碑です。

 博多は,うどん,そば,饅頭そして満田彌三右衛門による博多織の発祥の地なのです。

 今回は,食文化の視点から,粉食文化発祥の地,博多について御紹介したいと思います。


うどん・そば発祥の地

 日本には,奈良時代から平安時代にかけて,中国(唐)から,米粉や小麦粉を使った「唐菓子(からくだもの)」などの粉食が伝えられていましたが(「唐菓子(からくだもの) -清浄歓喜団と餢飳(ぶと)-」参照),それは神社や神棚,仏様へのお供え物(「神饌」,「供物」)や,宮廷内の食事として貴族が口にする程度のもので,一般的に広まるまでには至りませんでした。

 その理由の1つとして,小麦などの製粉技術が未発達だったことがあります。

 そこで登場するのが,鎌倉時代の禅僧,聖一国師です。

 彼は,中国(宋)で禅を学び,帰国後は博多で承天寺を開山して禅の教えを日本に広めた僧ですが,留学先の中国から水車による製粉技術も日本に持ち帰り,うどんやそばの作り方を広めることで,日本の粉食文化の普及に努めました。

(「饂飩蕎麦発祥之地」石碑)
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(承天寺とうどん)
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「博多の食と文化の博物館」ミュージアム展示資料


中国から日本に伝えられた「点心」

 聖一国師をはじめとする禅僧は,中国の「点心」(禅寺で食事の間に取る軽い食事)を日本に伝えました。

 点心として伝えられた食べ物としては,麺類,羊羹,饅頭などがあります。

(聖一国師と羊羹)
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「博多の食と文化の博物館」ミュージアム展示資料


聖一国師と「とらや」の饅頭

 
聖一国師が伝えた饅頭には,有名な話があります。

 中国(宋)から帰国した聖一国師は,ある日,禅の布教で出向いた先で,とある茶店の主人から心づくしの歓待を受けました。

 それを喜んだ聖一国師は,主人に宋から持ち帰った饅頭の製法を教え,「御饅頭所」の看板まで書き与えたのです。

 この話をもとに,博多が饅頭発祥の地とされました。

(御饅頭所の碑と饅頭)
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「博多の食と文化の博物館」ミュージアム資料

 その看板は現在,東京の「虎屋」が所蔵しており,饅頭の製法も,虎屋の「虎屋饅頭」として代々受け継がれています。

 「聖一国師と酒饅頭(株式会社虎屋ウェブページ「菓子資料室 虎屋文庫」に掲載)


博多うどん

 博多と言えば,博多ラーメンが全国的によく知られていますが,博多で多くの屋台が誕生した昭和20年代,博多の屋台では主にうどんが売られていました。

 博多ラーメンは素早く茹でた麺が出されることが特徴ですが,博多うどんはあらかじめ茹で置きしておき,素早く出されることが特徴となっています。

 そんな,うどん発祥の地として,博多ラーメンより古くから地元の人達に親しまれてきた「博多うどん」を御紹介したいと思います。


【牧のうどん】

 「牧のうどん」の「ごぼう天うどん」です。

(ごぼう天うどん)
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 牧のうどんの特徴は,麺が太くてやわらかく,食べても食べてもうどんが減らないように感じることにあります。

 食べている間も麺が汁を吸い続けるため,もう半分食べたと思っても,麺が減ったようには思えないのです(笑)。

 なので,麺が汁を吸っても追加で汁を注ぎ足せるよう,やかんに入った注ぎ足し用の汁をいただくことができます。(写真「ごぼう天うどん」の右上)

 次の写真は,私がうどんを半分食べた時の様子です。

 全然減ってないように見えるので,本当に半分食べたのかと疑われそうですが,本当に麺が汁を吸ってどんどん増えていくのです(笑)。

(ごぼう天うどん(途中))
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 茹でたうどんを水でしめないことから,こうした現象が起きるようです。

 お店では,「軟めん」,「中めん」,「硬めん」と博多ラーメンと同様,麺のかたさを選ぶことも出来ます。


【資さんうどん】

 続いて,北九州市を拠点とする「資さんうどん」の「ゴボ天うどん」です。

(ゴボ天うどん)
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 長細くピンと立ったゴボ天がのせられています。

 「資さんうどん」の特徴は,太めでもちもちの麺と,香り高く,上品に仕上げられた「だし汁」にあります。

 この「資さんうどん」にはもう1つの人気メニューがあります。

 それはデザート(またはお持ち帰り用)の「ぼた餅」です。

(ぼた餅(包装))
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 あんこの甘さが絶妙で,たくさん食事した後でも,すんなり食べられる美味しさです。

 小倉の屋台では,肝心な「酒」が用意されておらず,代わりに「ぼた餅(おはぎ)」が用意されているという面白い食文化があるのですが,それほど北九州の食文化にぼた餅(おはぎ)は欠かせない食べ物となっています。


禅料理から生まれた博多の食文化

 福岡県内のうどん店に行くと,トッピングにごぼう天をよく見かけます。

 実際,福岡県民はごぼうの消費量が多いのですが,これは郷土食である「がめ煮」が好まれていることに由来するものです。

 「がめ煮」は筑前煮とも呼ばれ,鶏肉,ごぼう,れんこん,人参などを油でさっと炒め,醤油や砂糖で煮込んだ料理です。

 さらに突き詰めていくと,この「がめ煮」は,禅僧により中国から日本にもたらされた精進料理(普茶料理)の「けんちん(巻繊)」の調理法と共通点が多いことに気付きます。

 つまり,ごぼう天うどんやがめ煮も含め,博多の食文化は,禅僧により中国から日本にもたらされた精進料理から形成されているところが大きいと説明出来るのです。

 地理的に中国に近いことで,いち早く禅の教えや文化を受け入れた博多。

 この禅料理から生まれた博多の郷土食も多いことを理解しておくと,博多の食文化を研究される上で大いに役立つことでしょう。

2017年1月22日 (日)

黄檗山萬福寺の全国煎茶道大会 -隠元と煎茶道-

 京都府宇治市の黄檗山萬福寺で開催された煎茶道のお茶会に参加しました。


黄檗山萬福寺の概要

 萬福寺は,JR奈良線または京阪宇治線の「黄檗駅」から歩いて約10分の所にあります。

(萬福寺総門)
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 萬福寺の総門(入口)です。

 中国風の門に「葵の御紋」が飾られていますが,これは中国(明)から来日した隠元(黄檗宗の宗祖)が,江戸幕府からこの宇治の地に土地を与えられ,萬福寺が創建されたことに由来します。


(三門)
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 総門をしばらく歩くと三門があります。

 「萬福寺」と書かれています。

 門の左右には漢字が書かれていますが,これもどこか中国風です。

 この三門に全国煎茶道大会の総受付もありました。


(法堂の卍くずし)
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 欄干が卍(まんじ)の形をしています。

 「匂欄(こうらん)」と呼ばれる中国風の欄干で,日本のお寺では珍しい意匠となっています。


(木魚)
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 「開梛(かいぱん)」と呼ばれる木魚です。

 この木魚をたたくことで,時を知らせます。

 口からあぶく(煩悩)が出ています。

 同じ所ばかり叩かれるので,叩かれた所がへこんでいます。


(釈迦如来坐像と売茶翁)
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 本堂の中におられる本尊(釈迦,ブッダ)です。

 両脇には,「迦葉尊者(かしょうそんじゃ)」(摩訶迦葉,マハーカッサパ)と「阿難尊者(あなんそんじゃ)」(阿難陀,アーナンダ)がおられます。

 また,大会期間中だけ特別に,宇治煎茶を全国に広めた「売茶翁(ばいさおう)」の掛け軸がかけられています。

 この売茶翁が煎茶を売り歩き,煎茶を世に広めました。

 日本画家の伊藤若冲も売茶翁の生き方に憧れた人物の1人です。


(隠元禅師)
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 萬福寺を開山された隠元禅師です。

 隠元は日本にインゲンマメ,スイカ,レンコン,孟宗竹などの食材をもたらしました。

 寒天も隠元が名付け親となっています。

 ちなみに,隠元禅師が左手に持っているものですが,私が近くにおられた僧侶の方に「これはインゲンマメですか」と尋ねたところ,「そう言われたのは初めてです」と笑われました。

 これは虫などを払うための道具のようです。


献茶式

 本堂前にて,お茶を捧げる献茶式が行われました。

(献茶を点てる様子)
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 息がかからないよう,マスクをされています。

 その様子を,私も息を呑む思いで見守りました。


(献茶の様子)
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 できたお茶を本堂に運ぶ様子です。


(読経の様子)
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 本尊前にお茶が供えられ,読経が行われました。

 献茶式をひととおり拝見し,一杯のお茶に込められた思いが相当なものであることを実感しました。


お茶会の様子

 私は今回,煎茶道の流派の1つ「三癸亭賣茶流(さんきていばいさりゅう)」の先生と一緒に訪問したことから,数あるお茶席の中から,この三癸亭賣茶流のお茶席に参加させていただきました。

 本堂前での「野点(のだて,屋外のお茶会)」でした。

(野点の様子)
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 作法もろくに知らない私を,いきなり家元の隣の席に案内していただいたので,野点とは言え,少し緊張しながらお茶を楽しみました。


(煎茶道の作法)
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 煎茶道の興味深いところは,中国の飲茶のように,一口サイズの茶碗を円状に並べ,その上から急須のお茶を回し入れることです。

 また,茶碗が一口で飲める大きさなので,一杯ではなく,何杯かお茶をいただくのですが,1杯目と2杯目,2杯目と3杯目ではお茶の濃度が変わってきます。

 最初はうま味が強く,後になるほどすっきりとした味になるのですが,こうした変化が楽しめるのも,煎茶道の特徴の1つだと思います。

 また,ふくさや敷物にはインド更紗(さらさ)が用いられていることも注目に値します。

 インド更紗は隠元禅師が中国(明)から来日した頃,日明(勘合)貿易により日本にもたらされた紋様染めで,この頃から茶道具の一種としても用いられてきたようです。


(お茶とお菓子)
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 茶銘は「滴清」,菓銘は「揺翆」です。

 お茶の本場,宇治で新茶を味わうことができたのは,幸せなことだと思いました。

 お菓子は,今回のお茶会のために作られたもので,5月下旬の緑茶をはじめとする新緑の時期に合わせ,緑があざやかな仕上がりとなっていました。

 柑橘が使われており,さわやかな味わいのお菓子でした。


(飾り)
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 蓮や菊などが中国風の入れ物の中に飾られています。

 手前に蟹が2匹いますが,これも季節を表現する置物のようです。

 後日,地元広島で開催されたお茶会でも同じものを見かけたので,煎茶道ではよく用いられる置物なのだと思います。


 お茶会を終え,中国臨済宗黄檗法派歴代祖師の特別展を見学したり,境内のお土産店でゴマ豆腐などのお土産を買って帰りました。

 全国煎茶道大会に参加した記念品として,隠元禅師にはじまる黄檗山萬福寺の歴代住持が記載されたミニ扇子をいただきました。

(記念品の扇子)
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 中央には「煎茶道」と記載されています。

 この日は日差しが強く,暑かったため,帰りに早速広げて使われている方を多く見かけました。


まとめ

 煎茶道に出会ってわずか数か月後に地元の先生と一緒に煎茶道の全国大会に参加させていただくこととなり,不思議な御縁を感じました。

 今回の訪問で,煎茶道や黄檗宗のことを学ぶことができ,よき思い出となりました。

 わずか1回,それも数時間お茶会に参加しただけの私を,京都・宇治の全国大会にまで快くお誘いくださった先生をはじめ,お世話になった地元広島の三癸亭賣茶流の皆様に,この場をお借りして,深くお礼申し上げます。

2016年10月29日 (土)

ハロウィン -ペポかぼちゃのジャック・オー・ランタン-

ハロウィンの由来

 
毎年10月31日はハロウィンです。

 ハロウィンは,キリスト教がヨーロッパに伝播していく中で,土着のケルト人の祭りを取り込むことで誕生した年中行事です。

 10月31日は,かつてケルトの暦でこの日が大晦日(1年の終わりの日)とされていたことに起因しています。

 この日は,様々な衣装で仮装したり,かぼちゃのお化けなどが飾られる風習がありますが,これは,年の終わりに,収穫物を狙うなどの目的で,先祖の霊と一緒に悪霊や悪魔がやってくるという言い伝えによるものです。

 私は以前,ハロウィンにちなんで,坊ちゃんかぼちゃでジャック・オー・ランタンを作ったことがありますが(「ハロウィン -坊ちゃんかぼちゃのジャック・オー・ランタン-」参照),今回は,坊ちゃんかぼちゃと同じ,手のひらサイズの黄色いペポかぼちゃでジャック・オー・ランタンを作ってみました。


ペポかぼちゃのジャック・オー・ランタン

 黄色いペポかぼちゃの頂点を円形にくり抜き,そこから中の種やワタをスプーンで取り除きます。

 次にかぼちゃの表面に油性マジックで顔の絵を書き,その絵にそって包丁やカッターナイフで切り込みを入れ,表面を彫っていきます。

 仕事から帰り,時間の合間を縫ってちょっとづつ彫って仕上げていきました。

 やっとの思いで仕上がり,1日乾燥させたものがこちらです。

(ジャック・オー・ランタン)
Photo

 坊ちゃんかぼちゃに比べ,ペポかぼちゃは肉厚で表面の皮が若干固い分,穴が貫通するまでに少し時間がかかりますが,その分,力が入り過ぎて切り過ぎるというリスクも少ないように思いました。

 また,小さなサイズなので,万能包丁やカッターナイフだけで彫るのは大変でした。

 結局,穴を貫通・整形させるために,金串や大きめのマイナスドライバーも使ったのですが,ミニサイズのかぼちゃでは細かい作業が要求されることとなるため,より細かい彫刻が可能となる彫刻刀を使ったり,大きめのかぼちゃを選択する方が作りやすいと思います。

 今回は更にグレードアップさせるため,市販されていた魔女の帽子をかぶせてみました。

(ジャック・オー・ランタン(魔女の帽子))
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 ジャック・オー・ランタンに魔女の帽子をかぶせ,園芸用の小さな椅子の上に乗せた様子です。

 恐ろしいというよりは,よりかわいらしく,市販品っぽくなった感があります。

 さらに,せっかくここまで作ったからには,中を明かりで照らした様子も見てみたくなりました。

 丸くくり抜いている頭頂部から,自宅にあった電池式のキャンドルライトを入れ,部屋の照明を消してみました。

(ジャック・オー・ランタン(キャンドルライト))
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 やはりこれが一番迫力がある,一般的なイメージに近いジャック・オー・ランタンのように思いました。


ジャック・オー・ランタンを飾る

 ハロウィン当日に備え,魔女の帽子をかぶせ,ワイヤーで園芸用の椅子に縛り付けたジャック・オー・ランタンを自宅の玄関のドアに引っかけて飾ることにしました。

 が,日を追うごとに,ジャック・オー・ランタンの水分が失われてしわだらけになり,併せて顔色も悪くなり,歯には虫歯のようにかびまで生えてきています。

 ハロウィン当日,彼がどんな顔に変化しているか,こちらの方がよほど怖いです。


(関連サイト)
TOKYO FM「ピートのふしぎなガレージ」
古くて新しい「ハロウィン」を愉しむ」(2016.10.29 第186話 ハロウィン)

2016年9月12日 (月)

歴食の世界 -天平の蘇・縄文どんぐりクッキー・古代妄想-

 「歴食JAPANサミット第1回大会 in 山口市」(「歴食JAPANサミット -山口に誕生した「歴食」という新たな食の世界-」参照)で展示・販売された歴食を御紹介します。


天平の蘇

 「蘇(そ)」は,唐から遣唐使によりもたらされた「酥(そ)」に由来する乳製品で,一種の薬として,また,仏教の伝来により禁じられた肉食に代わる貴重なタンパク源として,貴族を中心に重宝されました。

 蘇は牛乳を10分の1になるまで煮詰め,固めたものです。

 今回御紹介する蘇は,奈良市の奈良パークホテルが再現し,「天平の蘇」という名で販売されていたものです。

(天平の蘇と外箱)
Photo

 金色の箱の中に蘇が2本入っています。

 それでは中身を見てみることにしましょう。


(天平の蘇)
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 長さ7cm,幅2.5cm,高さ2cmの細長い褐色の塊です。

 牛乳を10分の1まで煮詰めているので,固くシャリシャリしたチーズのような食べ物です。

 風味は褐変していることから,キャラメルに似ていますが,当然ながら砂糖は入ってないので,キャラメルのような甘さはありません。ただ,牛乳の持つほのかな甘味は感じられました。

 チーズとキャラメルの中間のような風味・味わいの乳製品だと言えるでしょう。

 説明書を読んでみると,蘇の特徴として,

 「乳の全固形分が濃縮したものなので,乳糖が多く,口あたりはざらつきが大きい。しかし甘味料をもたなかった当時では,乳を濃縮した自然の甘味とうま味を有する蘇は貴重な食品で,上流階層では正月の大饗のデザートとして珍重されていた」(抜粋,一部加工)

 とあり,さらに蘇の薬効として,

 「日本最古の医術書である「医心方」には,「五臓」の気を補給し,大腸を良くし,口中の「潰瘍」(かいよう)を治療する主治食と記載されており,更に「陰萎縮」(いんいしゅく,男性の性的不能)を直す」(抜粋,一部加工)

 と説明されています。

 貴重で様々な薬効も期待された食べ物だったことが伺えます。

 奈良パークホテルでは,1984年から社内に天平料理復元のプロジェクトチームを結成し,今日に至るまで,「天平の蘇」をはじめとする天平の食文化の継承に力を入れておられます。

(「天平の宴」のメニュー例)
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 天平時代を偲ばせる,魅力的なメニューが用意されています。


縄文どんぐりクッキー

 縄文時代には,どんぐりを粉に挽いてクッキー状に焼いたものが食べられていたようです。

 今回御紹介する「縄文どんぐりクッキー」は,鹿児島県霧島市の琴鳴堂が再現し,ミニサイズの素焼きの縄文式土器に入れて販売されていたものです。

(ミニ縄文式土器のパッケージ)
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 もともと製陶業を営んでおられる琴鳴堂さんだけあって,土器の緻密な紋様まで再現されています。

 また,この縄文どんぐりクッキーが,どんぐり粉,小麦粉,片栗粉,豆乳,サラダ油,砂糖,塩で作られていることも表示されています。

(縄文どんぐりクッキー)
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 とても素朴で,シンプルな味のクッキーです。

 わずかに木の実の風味が感じられますが,これがどんぐりの風味なのでしょう。

 当時は小麦粉や砂糖などなかったはずですから,メインはどんぐり(粉)で,それに塩などで味を調えた程度のクッキーだったと思われます。

 灰汁抜きなど,手間暇かかる食べ物だったでしょうが,保存食品の1つとして作られ,大事に食べられていたことでしょう。


古代妄想

 奈良市のケーキ・焼菓子店「ならまち菓子工房プティマルシェ」が出店し,販売されていた焼菓子の詰合せです。

(古代妄想 外箱)
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 いきなりこのネーミングの菓子箱を渡されると,いったい何が入っているのだろうかと誇大な妄想をしてしまいます。


(古代妄想 中身)
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 箱の中は,木簡グリッシーニ,古墳クッキー,3色勾玉クッキー,それにスコップ型のスプーン(発掘スコップスプーン)の詰め合わせとなっていました。


(古代妄想の焼菓子)
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 写真右側の細長い菓子が木簡グリッシーニ,左上が古墳クッキー,左下が3色勾玉クッキーです。

 木簡グリッシーニは,奈良の老舗麹屋さんの塩麹が使用されたグリッシーニで,固めにしっかりと焼き上げられ,ほんのり塩気がある焼菓子です。

 古墳クッキーは,古墳型のプレーンクッキーと抹茶・紫芋クッキーを重ね合わせたバタークッキーです。

 3色勾玉クッキーは,抹茶・紫芋・玄米を使い,勾玉の形に仕上げたバタークッキーで,それぞれの素材の味をよく味わうことができるクッキーです。


 ならまち菓子工房プティマルシェでは,このほかにも古墳の構造とケーキの構造が似ていることに着目した「古墳型ケーキ」なども販売されています。


まとめ

 今回御紹介した歴食は,いずれも歴史好きな方にプレゼントすると大変喜ばれるでしょうし,歴史に興味がない方にも,こうした食べ物を通じて歴史に興味を持つきっかけになる可能性は十分あると思います。

 歴史という観点からその地域の食を見つめ直し,当時の食を再現してみる試みは,地域活性化の1つの手掛かりになるのではないでしょうか。

2016年6月28日 (火)

夏越の祓と京都の和菓子 水無月 -神道と道教,道教の特徴と日本の行事・文化-

夏越の祓

 1年の折り返しにあたる6月30日。

 神道では「大祓(おおはらえ)」の日とされ,罪や穢れ,災厄を祓うための神事が行われます。

 この神事は「夏越の祓(なごしのはらえ)」と呼ばれ,神社では茅の輪をくぐることで穢れを清める「茅の輪くぐり(ちのわくぐり)」や,紙を人の形に切った「人形(ひとがた)」を水に流したり,火で焚いたりする「人形流し」,この人形流しと同様に乗り物やペットなどの形に切った「形代(かたしろ)」でお祓いを受ける「形代流し」といった神事が行われます。


「茅の輪くぐり」・「人形」・「形代」にみる神道と道教の融合

 茅の輪くぐりは,神社の境内に設けられた茅で作られた大きな輪を人が8の字にくぐることで,穢れを払う神事です。

(茅の輪くぐり)
Photo
(武光 誠『知っておきたい世界七大宗教』から引用)

 茅の輪くぐりについては,「備後国風土記」にある,スサノオノミコトとされる神が旅の途中で温かくもてなしてくれた蘇民将来(そみんしょうらい)に,「茅で輪を作って腰に巻けば病気にかからない」と教え,蘇民将来がその教えを守ったところ,疫病を逃れることができたという伝説が由来となっています。

 この「輪の中を8の字にくぐることで災厄を逃れる」という方法は,実は中国の道教の呪術にも共通してみられるものです。

 つまり茅の輪くぐりは,日本の神道が道教風の呪術をとり入れて生まれた神事であると説明することもできるのです。

 また,「人形」に息を吹きかけたり,「形代」に対象となる乗り物やペットを当てることで人や物の身代わりとし,穢れ(けがれ)を祓うという神事は,陰陽道の呪術やその元となる中国の道教思想によるところが大きいのです。

 近所の神社の「夏越祭(輪くぐり祭)」案内に,「人形」と「形代(型代)」,そしてその説明文がありましたので,御紹介します。

(「人形」)
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 白が男性,ピンクが女性で,名前と年齢を記入するようになっています。


(「形代(型代)」)
Photo_2

 バイク,自転車,自動車,ペットは一般的なのでしょうが,小型船舶まで用意されています。
 広島湾に面した,この地域ならではの「形代(型代)」と言えます。


(「人形」「乗り物・ペット型代」の説明)
Photo_3

 人形・形代を切り,初穂料と一緒に封筒の中に入れ,奉納するよう説明されています。


道教の特徴とその影響を受けた日本の行事・文化

 ここで,道教について少し触れておきたいと思います。

 道教の特徴を示すキーワードとしては,「道」,「不老長生」,「陰陽」,「風水」,「呪術」などが挙げられます。

 かつて日本でもキョンシーが一大ブームとなりましたが,その作品『霊幻道士』や『幽幻道士』などの「道士」とは,道教の僧侶のことです。

 中国の道教から影響を受けた日本の行事・文化として,干支(十干,十二支),三元(上元(1月15日),中元(7月15日),下元(10月15日)),陰陽道,風水,恵方参り,恵方巻き,本草(学),庚申信仰,鍼灸,山岳信仰,修験道,茶道などが挙げられます。

 このように,道教は日本では馴染みが薄いと思われがちな宗教ですが,意外と日本の行事・文化に深く根を下ろしていることがわかります。


和菓子 水無月に込められた意味や願い

 夏越の祓にあたる時期に,京都を中心に食べられている和菓子が「水無月(みなづき)」です。

(水無月(1個))
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 これは,白い外郎に小豆をのせた三角形の和菓子です。

 三角形の白い外郎は暑気払いの氷を意味しています。

 なぜ氷が関係するのかと疑問に思いますが,これは旧暦の6月1日が「氷の節句」または「氷の朔日」と呼ばれ,冬に「氷室」に貯蔵しておいた氷を取り出し,この氷を口にして暑気を払う日とされたことに由来しています。

 ただ,実際に氷室の氷を口にできるのは宮中の限られた人だけであったため,氷片を三角形の外郎にかたどったお菓子が作られるようになりました。

 また,小豆については,小豆の赤色が呪力を持ち,魔除けの意味を持っていることに由来しています(「あずきの研究8 -お祝い事に赤色が好まれる理由-」参照)。

 この小豆の赤色に呪力・魔除けの効果があるという思想は,元々は中国の道教の思想でもあります。

 陰陽で,この世の人間を「陽」,あの世の幽霊・妖怪・化け物を「陰」ととらえたとき,赤色は「陽」の気にあふれた色で,「陰」の世界では嫌われる色だとされているのです。

 なので,中国では,食べ物の中でも赤い小豆や桃には特別な意味があり,その思想が朝鮮半島や日本にも伝わって,水無月など和菓子の世界にも影響したと理解してよいでしょう。

 こうしてみてみると,水無月は実にいろんな意味や願いが込められたお菓子だということが理解できます。


和菓子 水無月の実食

 今回,私が広島市内の和菓子店で購入した水無月は,砂糖に小麦粉,上用粉,餅粉,わらび粉などを混ぜて作られた外郎の生地に,小豆がのせられたものでした。

(水無月(2個))
2_3

 わらび粉が用いられていますが,これは広島の隣の山口で作られる外郎に用いられている材料です。

 この水無月は3層構造となっています。

 その3層とは,土台となる白い外郎のみの層,その上の小豆を混ぜた外郎の層,そして表面につやを出すために寒天で作られた透明な砂糖の膜の層です。

 この水無月をいただいてみました。

 土台の外郎のふるふるとしたやわらかい食感と,大粒でしっかりした弾力のある小豆の食感を同時に楽しむことができました。

 見た目のこともありますが,外郎がシンプルな食感なので,こした小豆より粒のままの小豆をのせた方が合うと思いました。
 逆に,こしあんにすると,単なる小豆の外郎になるような気もしました。

 味は,小豆甘納豆入り蒸しパンを食べているような,シンプルな甘さ,小豆の風味がしました。

 氷に似せた白い三角形,外郎の控え目な甘さ,上に散りばめられた粒の小豆が涼を呼ぶ,6月を代表する京都の和菓子です。


<参考文献>
武光 誠 『知っておきたい世界七大宗教』 角川ソフィア文庫
菊地章太 『道教の世界』 講談社選書メチエ
岡倉天心著/桶谷秀昭訳 『英文収録 茶の本』 講談社学術文庫

2016年5月 4日 (水)

歴食の世界 -「幕末維新パン」と幕末維新期のパン開発物語-

 歴食JAPANサミットで販売されていた「幕末維新パン」です。

 官軍が用いた「菊花紋官軍指揮旗」(萩博物館蔵)が掲載されており,激動の幕末維新を感じさせるパッケージとなっています。

(幕末維新パン(包装))
Photo


奇兵隊や振武隊の陣中食糧

 説明書きには,
 「安政6年1859年 萩藩 中嶋治平が最初にパンを製造 慶応元年1865年 奇兵隊の陣中食糧として また慶応2年 大村益次郎指揮下の振武隊も陣中兵糧として重用しました」
 とあります。

 奇兵隊と振武隊,いずれも「陣中食糧」として重用したとのことですが,この「陣中食糧」は,日本のパンの開発・普及につながるキーワードの1つだと言えるでしょう。

 ここで,幕末維新の情勢と日本のパンの関係について,少し触れておきたいと思います。


兵糧食として注目されたパン

 幕末にペリーが浦賀に来航し,幕府に開国を要求します。

 この事件をきっかけに,幕府は国土防衛に,雄藩は尊王攘夷,やがては倒幕運動に力を注ぐこととなります。

 そして,保存性や携帯性に優れたパンが,兵糧食として注目されることとなったのです。

 この時,幕府の軍備増強の視点からパンの研究開発に取り組んだのが江川坦庵(英龍,太郎左衛門)です。

 そののち,江川坦庵は「日本のパン祖」とされ,パンを初めて試作した日(1842年(天保13年)4月12日)にちなんで,毎月12日が「パンの日」と定められました。

 一方,長州,薩摩,水戸などの雄藩も,兵糧食の必要性から,江川坦庵と同様に長崎のオランダ屋敷からパンの製法を学び,独自にパンの研究開発に取り組むこととなります。

 こうした流れの中で,長崎に滞在した経験のある萩の科学者 中嶋治平(なかしま じへい)が陶磁器で焼いた「備急餅」という名前のパンを作りました。

 長州藩はこのパンを兵糧食として採用し,幕末維新の際,奇兵隊や振武隊などに重用されたのです。

 こうして概観してみると,「激動の幕末維新期を支えたのは,実はパンだった」と言っても過言ではないと思います。


幕末維新パンについて

 山口で再現されている幕末維新パンは,横約15cm,高さ約7cmの比較的大きなパンです。

(幕末維新パン)
Photo_2

 説明書きには,「麦粉一斤,卵五ツ,糖少許,本五勺」と書かれていることから,小麦粉,卵,砂糖,そして本(もと)と呼ばれる酒母が材料に使われていることがわかります。

 イーストの代わりに日本酒を作る過程で必要となる酒母(酒種)を利用して作られたパンなのです。

 卵が使われているからか,生地がやや黄色っぽく仕上がっています。

 また,バターなどの油脂が使われてないこともあり,若干パサパサした感じもします。

 甘味や塩味はあまり感じられませんが,よく噛みしめて食べると,酒饅頭と同じような,日本酒のよい香りが漂います。

 現在のパンと比べると,少しもの足りない気もしますが,「パンを焼くオーブンもイーストもなかった時代に,試行錯誤の上にこうしたパンを作っていたのだろうな」と当時の様子を想像しながら,興味深くいただきました。

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