宗教・食文化史

2022年11月27日 (日)

矢口の神事と矢口餅 -矢口餅はなぜ黒・赤・白の3色なのか-

矢口の神事と矢口餅

 「矢口の神事」とは,武家の男子が狩猟で初めて獲物を獲ったことを祝う行事です。

 後継者のお披露目という意味のほかに,人間に動物を恵んでくれた山の神様への感謝の意味もあると言われています。

 源頼朝が富士の裾野で行った巻狩(※)で,子の頼家が鹿を射止めた際に「矢口の神事」が催された話(吾妻鏡)が有名です。
 ※大勢の人が一斉に獲物を追い込み,武将たちが獲物を射る狩り

 この儀式のために用意された食べ物が「矢口餅」です。

 黒・赤・白の3色の餅が用意され,参加者に振る舞われたようです


鎌倉・豊島屋の矢口餅

 歴史や地元・湘南のことにお詳しく,写真もプロ級も腕前の「なーまん」さんのブログに「大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にちなんで,鎌倉の豊島屋で矢口餅が販売されている」との紹介記事がありました。

 この記事を読んだ私は,この歴史的意義のある矢口餅をぜひ買って味わってみたいと思い,ちょうど藤沢へ行く用事があった際に,鎌倉の豊島屋本店も訪問することとしました。

 一度その気になると,止められなくなるのが私のいけないところです。

 「いざ鎌倉!」

 羽田空港から京浜急行電鉄とJR横須賀線を利用して鎌倉駅に到着しました。

(鎌倉駅)
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 2022年10月,鎌倉駅や小町通りなどは多くの観光客で賑わっていました。

 「鳩サブレー」で有名な豊島屋は,本拠地・鎌倉にはたくさんの店舗がありますが,矢口餅を販売しているお店は本店のみとなっています。

 本店の住所が小町なので,小町通り沿いかと思い込み,小町通りを何度か往来しました。

 お店が見つからないので改めてネットで検索すると,若宮大路沿いだとわかり,若宮大路を歩くとすぐに見つかりました(笑)

(豊島屋本店)
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 店内には,鳩サブレー以外にも和菓子を中心に饅頭やお餅などたくさんお菓子が販売されていました。

 鳩サブレーの関連グッズも販売されていました。

 そして,目当ての矢口餅がありました。

(矢口餅)
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 こちらが豊島屋の矢口餅です。

 矢口の神事で用いられた矢口餅はもっともっと大きかったようですが,豊島屋の矢口餅は手のひらにのるコンパクトサイズです。

 旅先,しかも列車の中でいただきました。

 薄い求肥やその求肥で包まれた「あん」の色で3色の餅が表現されています。

 一番上の黒いお餅は,小豆(こしあん)を白く薄い求肥で包んだものです。

 真ん中の赤いお餅は,いんげん豆の白あんを赤く色付けした薄い求肥で包んだものです。

 一番下の白いお餅は,白小豆(つぶあん)を白く薄い求肥で包んだものです。

 どの種類のお餅も,あんこを薄い求肥で包んで作られたものですが,このあんこがさらりとした上品な甘さで,あっという間に3つとも食べてしまいました。

 高価な白小豆を使ったあんこも使われており,お店の誇りと矢口餅への特別な思い入れを感じました。


矢口餅はなぜ黒・赤・白の3色なのか

 矢口餅はなぜ「黒・赤・白」の3色の餅で構成されているのでしょうか。

 インターネットなどで関連記事を探した限りでは,明確な理由はわかりませんでした。

 ここからは私の考察です。

 ○「矢口の神事」は武家の儀式(通過儀礼)という意味合いが強い。

 ○儀式の食べ物として特別な意味を持たせるため,餅本来の色(白)1色や紅白の2色ではなく,3色を用いる。

 ○宮中の新年祝賀会で振る舞われた紅白餅「菱葩(ひしはなびら)」や,桃の節句(ひな祭り)に使われる「菱餅(ひしもち)」がお手本とされた可能性もある。

 ○「菱餅」は3色だが,(宮中・皇族とは)異なる(武家の)行事なので同じ色(赤・白・緑)は使わない。

 ○赤い餅は魔除けを意味し,白い餅とペアで男性(白)と女性(赤)を意味する。

 ○したがって紅白の餅を基本にもう1色,緑以外の色の餅を選ぶ必要がある。

 ○武家らしく,狩りの象徴にもなるような色が望ましい。

 ○黒は勇ましさがあり,狩りで捕獲した肉を表現する色でもある。

 ○黒い餅は黒もち米,古代米,黒砂糖,黒ゴマ,竹炭などの材料で作ることが可能。

 ○黒餅(こくもち)は「石持ち(こくもち)」にも通じ,武家に縁起がよい。

 以上のような理由がいくつか重なって,矢口餅は「黒・赤・白」の3色にまとまったのではないかと思います。


まとめ

 史料に記載されただけの食べ物が,何かのきっかけで復元・創作・紹介され,現代人に再認識されることは,その当時の理解を深める上でも,また新たな経済効果を生み出す上でも,とても効果的な取り組みだと思います。

 この矢口餅を買うだけのために鎌倉を訪問した私がよい例です(笑)

 写真映えするかどうか,美味しいかどうかだけでなく,「過去から現代へのメッセージ・贈り物」として歴史上の料理やお菓子に興味を持つ方が増えれば,食文化の世界はさらに広がりを持つと思います。


<関連サイト>
 「鎌倉百八景60 鎌倉殿の菓子と歌碑」(「なーまんのEye-Level」)
 「鎌倉 豊島屋」(本店:神奈川県鎌倉市小町2-11-19ほか)
 「再現!巻狩り&矢口祝い 後編③矢口祝い」(NHK「大河ドラマ 鎌倉殿の13人」)

<参考文献>
 とらや「源頼朝と矢口餅」(「菓子資料室 虎屋文庫」)

<関連記事>
 「新年の和菓子・花びら餅 -菱葩(ひしはなびら)・包み雑煮と花びら餅-

2022年8月21日 (日)

山本五十六が好んだ「水まんじゅう」 -山本五十六はなぜ「酒まんじゅう」に砂糖をかけて食べたのか-

 新潟県長岡市は,海軍で活躍した山本五十六(やまもといそろく)の生誕地・ゆかりの地です。

(山本五十六の胸像)
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 山本記念公園(長岡市坂之上町)内にある山本五十六の胸像です。

(山本五十六の生家)
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 同じ公園内の山本五十六の生家(復元)です。

 今回は,山本五十六が好んだ「水まんじゅう」を御紹介し,山本五十六がなぜこの「水まんじゅう」を作って食べていたのか,その謎にも迫ってみたいと思います。


山本五十六が好んだ「水まんじゅう」とは

 山本五十六は甘党として知られ,羊羹やお汁粉,饅頭などを好んだようです。

 中でも好物だったのが「水まんじゅう」です。

 「水まんじゅう」は,葛粉やわらび粉で作られた透明な生地であんこ(小豆のこしあんなど)を包み,冷やした饅頭です。

(水まんじゅう)
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 一般的にイメージするのは写真のようなお菓子ではないでしょうか。

 しかしながら,山本五十六が好んで食べた「水まんじゅう」は,こうした葛粉やわらび粉で作られたものとは異なっていたようです。

 山本五十六の「水まんじゅう」は,水を入れたどんぶりに塩小豆の酒まんじゅうを入れ,それに雪(氷)や砂糖を加えて,甘み・冷たさ・やわらかさを加えた山本五十六オリジナルのおやつなのです。

 つまり山本五十六は,ほかの人とは違う珍しい食べ方をされていたわけです。


酒まんじゅう(塩小豆・甘)

 この山本五十六の好んだ独自の「水まんじゅう」は新潟県長岡市の和菓子店「川西屋本店」の「酒まんじゅう(塩小豆)」を使って再現することができます。

 興味を持ち,通信販売を利用して購入しました。

(酒まんじゅうと切りパン(宅配便))
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 「うむ,長旅御苦労(敬礼)」

 新潟・長岡のお菓子やパンが,山本五十六が海軍の要衝・呉(広島県)へ来られたのとほぼ同じ距離を経て,私の元に届きました。

 今回私が注文したのは,「酒まんじゅう(塩小豆)」,「酒まんじゅう(甘・あま)」そして「切りパン」の3種類です。

(酒まんじゅう(包装))
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 写真左側(白色のデザイン)が「酒まんじゅう(塩小豆)」,写真右側(茶色のデザイン)が「酒まんじゅう(甘)」です。

 それぞれの饅頭の中身を確認してみましょう。

 まずは一般的な「酒まんじゅう(甘)」から。

(酒まんじゅう(甘))
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 米麹を使って発酵させた生地(小麦粉と餅米粉)に小豆あん(こしあん)を入れて蒸し上げた饅頭です。

 饅頭は,肉まんやあんまんに近いフカフカの生地で,ほのかに麹の香りがしました。

 中のこしあんもほど良い甘さで,イメージどおりの酒まんじゅうでした。

 続いてお店のオリジナル,山本五十六が好んだ「酒まんじゅう(塩小豆)」を見てみましょう。

(酒まんじゅう(塩小豆))
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 「酒まんじゅう(塩小豆)」は,饅頭の生地は「甘」と同じですが,中に塩で味付けされた小豆が入っているのが特徴です。

 砂糖ではなく塩で煮られているからか,中のあんが多少パサパサしています。

 実際にいただいてみると,一般的な酒まんじゅうとは全く異なる味でした。

 想像していたよりもはっきりと塩味がついた小豆で,これはお菓子ではなく,おやきだと思いました。

 材料は小豆ですが,期待する小豆あんの味がしない全く別物の饅頭で,慣れない私は再びこしあんの酒まんじゅうを食べてホッとしました。


切りパン

 続いて,酒まんじゅうと一緒に注文した「切りパン」を御紹介します。

(切りパン(包装))
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 長さ約30cm,幅約10cm,高さ約4.5cmの大きなパンで,酒まんじゅうと同じ生地で作られています。

(切りパン)
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 切りパンを切った様子です。

 シンプルな味のパンを想像していたのですが,いただいてみると生地に馴染み深い旨味を感じました。

 しばらく考えて,この旨味は醤油によるものだとわかりました。

 表面に薄く醤油で味付けされた蒸しパンなのです。

 このパンを味も形もギュッと凝縮させたら,醤油せんべいか柿の種になりそうです。

 塩小豆の酒まんじゅうと同様,今まで食べたことのない不思議な味でした。


山本五十六が好んだ「水まんじゅう」を作る

 塩小豆の酒まんじゅうが入手できたので,山本五十六オリジナルの「酒まんじゅう」を作ってみました。

 雪のかたまりは調達できないので,かき氷で代用することとしました。

 自宅にかき氷機はないので,職場で親睦会所有のかき氷機を一晩だけ借りました。

(電動氷かき器)
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 器に冷たい水を張り,その中に「酒まんじゅう(塩小豆)」を浸し,さらにかき氷を加えて冷たくしました。

(酒まんじゅうを水に浸してかき氷で冷やした様子)
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 見た目にも涼しげな状態になりました。

 数分待ち,酒まんじゅうに冷たい水が十分に浸み込んだところで,砂糖をまぶしました。

(冷たい酒まんじゅうに砂糖をまぶした様子)
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 普段あまり砂糖を使わない私には,この量でも多めですが,山本五十六がまぶした量は,もっともっと多かったはずです。

(山本五十六の「水まんじゅう」を切り分けた様子)
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 こうして出来上がった「水まんじゅう」は,饅頭の生地が水を吸ってズブズブにやわらかくなっており,簡単に切り分けることが出来ました。

 饅頭の直径が当初の約8cmから約9cmと少し大きくなりました。

(山本五十六の「水まんじゅう」(一口サイズ))
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 塩小豆は粘りがないので,一口サイズに切ってスプーンですくうと,ポロポロと汁の中に落ちてしまいます。

 いよいよ実食の時がきました。

 「塩小豆の塩気が砂糖の甘みを引き立てるのだろう」と思って口にしたのですが,実際は小豆の塩気と砂糖の甘みを別々に感じました。

 元々砂糖が入ってない饅頭なので,「多すぎるのでは?」と思うぐらい大量の砂糖をかけてちょうどよいぐらいなのでしょう。

(山本五十六の「水まんじゅう」の汁)
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 砂糖をかけて甘くなった汁もいただいてみました。

 汁の方は,塩小豆の塩気と砂糖の甘みがうまく混ざり合って,さっぱりしたぜんざいのような仕上がりになっていました。

 冷たくて甘い汁で,これは美味しいと感じました。

 映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六 太平洋戦争70年目の真実」のワンシーンでも,山本五十六が饅頭に砂糖をたっぷりかける様子が描かれていましたが,山本五十六は現代で言う「ギルトフリー」など意識しない,かなりの甘党であったことがよくわかりました(笑)


なぜ山本五十六は「酒まんじゅう」に砂糖をかけて食べたのか

 現代の感覚から言えば,わざわざ甘くない饅頭に砂糖をかけて食べなくても,最初から甘い饅頭を食べれば済むし,そちらの方が美味しいと思ってしまいます。

 山本五十六が甘くない「酒まんじゅう」にわざわざ砂糖をかけて食べた謎を解くカギは,彼が生きた時代にあるようです。

 山本五十六が生きた時代(1884(明治17)年~1943(昭和18)年)は軍部が台頭し,日本が様々な国と戦争をしていた時代と重なります。

 そして次第に戦局は悪化し,国民は食糧難に苦しむこととなったのです。

 そんな時代において,砂糖はとても貴重なもので,庶民が簡単に口にできるものではありませんでした。

 和菓子屋で砂糖ではなく塩を使った塩小豆の饅頭が販売されたのも,海外から砂糖の輸入が困難となり,砂糖が非常に高価な材料となったことも影響しているのではないかと思います。

 そんな中,軍人には「嗜好品である菓子は兵士の士気を高める」(給糧艦「間宮」艦長ほか)という考えで優先的にお菓子が提供されていたようです。

 こうした時代背景を踏まえた上で,山本五十六の「酒まんじゅう」が誕生した理由としては,次のようなことが考えられます。

(1)戦時中,長岡では砂糖が入っていない塩小豆の酒まんじゅうが市販されていた。
(2)戦時中であっても,軍人で高い地位にあった山本五十六は砂糖を入手することができた。
(3)甘党の山本五十六にとって,甘くない酒まんじゅうは満足できるお菓子ではなかった。

 さらに,山本五十六の出身地・長岡は,小豆を使わず醤油で色付けした全国的にも珍しい「長岡赤飯」という料理があることから,砂糖だけでなく小豆もとても貴重な食材の1つだったはずです。

 つまり,山本五十六の「水まんじゅう」は,山本五十六が特権階級であったからこそ実現できたお菓子であり,一般的な国民には到底真似することができなかったお菓子なのです。

 そう考えると,長岡の庶民に好まれた,全く甘みのない「酒まんじゅう(塩小豆)」そのものにも深い意味があり,歴史が刻まれていることがわかります。

 「切りパン」が醤油で味付けされているのも,同じく醬油で味付けされる「長岡赤飯」と同様の発想(商人の街で,おかずがなくても食べられたこと)や地域特性(昔から醤油づくりが盛んな街だったこと)が関係しているように思います。

 今回御紹介した「酒まんじゅう(塩小豆)」,「水まんじゅう」,「切りパン」は,まさに長岡と山本五十六の歴史を物語る食べ物だと言ってよいでしょう。

 山本五十六の好んだ「水まんじゅう」,「やってみせ 言って聞かせて させてみて」やっと理解できました。

 これで山本五十六さんからほめていただけるかな(笑)


<関連サイト>
 「山本五十六記念館」(新潟県長岡市呉服町1-4-1)
 「山本五十六と酒まんじゅう」(「川西屋本店」新潟県長岡市殿町1-7-2)
 「戦時中にスイーツを食べられたのは軍人だけだったってホント?」(国立公文書館・アジア歴史資料センター)

<関連記事>
 「新潟の食文化探訪4 -新潟県長岡市・山本五十六の水まんじゅうと洋風カツ丼-
 「新潟の食文化探訪3 -おにぎり・神楽南蛮・みどりのラー油・笹団子・醬油おこわ・柿の種・新潟のお菓子-
 「アッタラシイ呉菓子大博覧会 -間宮最中,ドーナツケーキ,伊太利コロッケ,呉海軍工廠工員弁当-

2022年4月17日 (日)

イタリア料理の特徴と主な料理7 -パスクアの伝統菓子・コロンバ(コロンバ・パスクアーレ)-

イースターについて

 イースター(復活祭)は,磔刑に処されたイエス・キリストが復活し,神の子として人々の前に姿を現したことを記念する日です。

 そのため,キリスト教のイースターは,クリスマス(降誕祭),ペンテコステ(聖霊降臨祭)と並ぶ三大祝日の1つとなっています。

 イースターの日付の定義は「春分後最初の満月の後に訪れる日曜日(※)」とされていて,毎年変わる「移動祝日」となっています。
 ※東方正教会の場合はユリウス暦を採用しているため日付が異なります。

 2022年は,今日(4月17日)がイースターです。


パスクアで食べられるイタリアの代表的なお菓子

 イースターは,イタリアでは「パスクア(Pasqua)」と呼ばれています。

 パスクアの際には,イタリア各地で様々なお菓子が作られ,食べられています。

 代表的なお菓子として,「ウオーヴォ ディ チョッコラート(Uovo di Cioccolato)」(卵の形をしたチョコレート)や,「パスティエラ(Pastiera)」(小麦粉・リコッタチーズなどで作られるタルト),「カッサータ(Cassata)」(リコッタチーズやドライフルーツを使ったケーキ),「コロンバ(Colomba)」(鳩の形をした発酵菓子)などがあります。

 今回は,そんなパスクアで食べられるイタリアの代表的なお菓子の1つ,「コロンバ」を御紹介します。


コロンバ

 「コロンバ(Colomba)」は,イタリア語で「鳩(はと)」を意味します。

 お菓子の「コロンバ」は,その名のとおり,鳩の形をした発酵菓子です。

 「コロンバ」は,鳩が復活の象徴であり,平和のシンボルであり,幸せを告げる鳥であることにあやかったパスクアの伝統菓子です。

 そのため,「コロンバ・パスクアーレ(Colomba Pasquale)」(パスクアのコロンバ)とも呼ばれます。

 鳩が平和のシンボルであることは,広島市民である私にもよく理解できます。

 そのコロンバが,「ドンク」の店舗で期間限定で販売されていました。

(コロンバ案内看板(ドンク))
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 毎年,イースター(パスクア)の時期に販売されているようです。

(コロンバ)
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 こちらが「ドンク(サンレモ)」のコロンバです。

 鳩の形をした紙容器に生地を詰め,焼き上げられています。

 表面には白い「あられ糖(砂糖の粒)」がトッピングされています。

(コロンバ(中身))
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 コロンバの中身(断面)です。

 バターと卵がたっぷり使用された生地に,大粒のオレンジピールがたくさん混ぜ込まれています。

 いただいてみました。

 ふんわり・しっとりして粘りがあり,ケーキよりはパンに近い食感でした。

 イタリアのクリスマスの伝統菓子「パネトーネ(Panettone)」にも似ています。

 「♪オレンジの香り~ほのかにただよい~♪」と,思わず「帰れソレントへ」の歌詞を口ずさんでしまうほど,オレンジの香りが口の中いっぱいに広がり,幸せな気持ちになりました。

 ふんわりとしたパンに近いのですが,あられ糖をトッピングすることにより,白い鳩をイメージさせるお菓子となっています。

 オレンジの風味が豊かな美味しいお菓子で,いただくと元気が湧き,疲れた体が復活しました。


<関連サイト>
 「ドンク」(「三宮本店」神戸市中央区三宮町2-10-19 ほか)

<関連記事>
 「イースター(復活祭)を基準としたキリスト教行事 -なぜ卵とウサギが一緒なのか-

<参考文献>
 辻調理師専門学校監修/近藤乃里子・合田達子・正戸あゆみ著「イタリア料理基本用語」柴田書店

2022年2月20日 (日)

第三回全国歴食サミット「令和歴食合戦」(オンライン歴座・2022年2月12日)-広島の歴食・亀屋の「川通り餅」-

第三回全国歴食サミット(令和歴食合戦)

 2022年2月12日に「第三回全国歴食サミット(令和歴食合戦)」がオンラインで開催されました。

(第三回全国歴食サミット開催案内)
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 歴食JAPAN公式サイトの画像を一部引用

 昨年(2021年),山口市での「第三回全国歴食サミット」の開催を知ってから,山口市の会場へ行こうと楽しみにしていたのですが,新型コロナウイルス感染症拡大に伴う「まん延防止等重点措置」の実施に伴い,オンラインでの開催となりました。

(第三回全国歴食サミット「オンライン歴座」開催案内)
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 歴食JAPAN公式サイトの画像を一部引用

 私は山口市で開催された「歴食JAPANサミット・第1回大会(2016年2月20~21日)」以来,6年ぶりの参加となります。

 今回は,この「第三回全国歴食サミット」がオンラインで開催された様子と,そのサミットで新たに歴食に登録された広島のお菓子を御紹介したいと思います。


開会・歴食研究表彰式

 第三回歴食JAPANサミットは,山口市の「山水園」をメイン会場に,代表・実行委員長の大原敏之さんと歴食アドバイザー・俳優の辰巳琢郎さん,そして司会の大和良子さんの3名で進められました。

 歴食研究の表彰式では,入選された4名の方の紹介・作品発表がありました。

 最優秀賞は高杉晋作の好物についての研究,山口市長賞は山口市で食べられてきたものについての研究,山口商工会議所会頭賞は薩長同盟うなぎ寿司についての研究,そして特別賞は奇兵隊ショコラについての研究でした。


歴食認定式

 続いて全国16団体の歴食認定式がありました。

1 新潟県十日町市「土器ドキ最中」(木村屋)
 火焔型土器の最中です。
 個人的には「つぼんこ」や「あささささ」も気になります。

2 福島県会津若松市「五郎兵衛飴」(五郎兵衛飴本舗)
 もち米,麦芽,寒天のみで作られた飴です。
 京から平泉へ向かう途中に源義経と武蔵坊弁慶が食べたと伝えられる飴です。

3 群馬県嬬恋村「嬬恋くろこ」(嬬恋村観光協会・嬬恋村くろこ保存会)
 ※次のプログラム「歴座」で詳しく御紹介します。

4 栃木県壬生町「壬生お殿様料理・壬生お姫様料理」(壬生お殿様料理促進の会)
 ※次のプログラム「歴座」で詳しく御紹介します。

5 栃木県足利市「古代瓦せんべい」(香雲堂
 足利地方の奈良・平安・鎌倉・足利時代の瓦を表現したせんべいです。

6 愛知県美浜町「源義朝御膳」(愛知県美浜町観光協会)
 ※次のプログラム「歴座」で詳しく御紹介します。

7 愛知県犬山市「忍冬酒」(和泉屋 小島醸造)
 徳川家康も愛飲した尾張最古の銘酒。
 甘い「スイカズラ(忍冬)」入りのウイスキーに甘みを加えたようなリキュール。

8 島根県浜田市「利休饅頭」(仲屋
 千利休→古田織部→古田公家(浜田藩主)→治右衛門(「仲屋」家祖)と連綿と伝えられる饅頭。

9 広島県広島市「川通り餅」(亀屋)
 私の地元・広島の歴食ということで,後ほど詳しく御紹介します。

10 佐賀県小城市「小城羊羹」(小城市観光協会)
 ※次のプログラム「歴座」で詳しく御紹介します。

11 長崎県大村市「純忠御膳」(大村市観光コンベンション協会)
 ※次のプログラム「歴座」で詳しく御紹介します。

12 長崎県対馬市「かすまき」(対馬観光物産協会)
 カステラ生地にあんこを巻いて作られる対馬の伝統的な銘菓。

13 山口県山口市「菜香亭料理再現 霜月の頃の御献立~昭和10年披露宴献立より~」(歴史の町山口を甦らせる会
 山口の迎賓館だった「菜香亭」で昭和10年11月21日の披露宴で出された料理を再現。

14 山口県山口市「フィリョース」(イタリア食堂ベケ!?
 小麦粉を練って油で揚げて砂糖をまぶした,ポルトガルのクリスマス伝統菓子。

15 山口県山口市「歴食給食とクネンボフレーバーティー」(山口大学・山口学研究プロジェクト
 長州藩主・毛利敬親とイギリス海軍キング提督が山口県防府市で会見した際の日英饗応料理。
 山口大学教育学部附属光小・中学校の給食で再現。
 クネンボはかつて萩などで栽培されていた柑橘で,吉田松陰が獄中で食べたとされる。

16 山口県下関市「玄米バーガーと味噌玉」(人類学研究機構
 和食の原点・玄米を使ったバーガーと,戦国時代の武将たちが戦場に携行した「味噌玉」を再現


「歴座」-お国自慢バトル-

 続いて,全国各地の歴食に携わっておられる皆さんから,それぞれの歴食とその魅力について紹介していただくコーナーとなりました。

 今回は8団体の皆さんから,御自慢の歴食と地域の魅力を御紹介いただきました。

1 栃木県壬生町「壬生お殿様料理・壬生お姫様料理」(壬生お殿様料理促進の会)
 壬生藩四代目藩主・鳥居忠燾(とりい ただてる)の「御献立帳」の献立をもとに再現・アレンジされた料理です。
 「お殿様料理」は予約が必要な料理,「お姫様料理」は予約なしで女子会や家族で楽しめる料理・スイーツとなっています。
 17世紀に滋賀の水口(みなくち)からお殿様が持ち帰った「かんぴょう」を使った料理や,豆腐と卵を使ったフワフワした料理,壬生町産の「ごぼう」を使った料理などが使われているそうです。
 「かんぴょう」と言えば栃木県が一大産地ですが,そのルーツが滋賀・水口にあったとは驚きです。
 「水口かんぴょう」(甲賀市観光協会)

2 群馬県嬬恋村「嬬恋くろこ」(嬬恋村観光協会・嬬恋村くろこ保存会)
 群馬県嬬恋村と言えば,日本一の生産量を誇る「キャベツ」が有名ですが,じゃがいもを再利用した伝統料理もあります。
 「嬬恋くろこ」は,じゃがいもからでんぷんを取った残りかすを凍結・発酵・乾燥させて作られる伝統的な地域発酵食品です。
 ねぎや味噌を加えたり,そばに混ぜたり,白玉粉に入れてぜんざいにしたりと,いろんな食べ方があるようです。

3 愛知県美浜町「源義朝御膳」愛知県美浜町観光協会
 平治の乱に敗れた源義朝が京から野間(愛知県美浜町)へ逃れた時に食べた強飯(おこわ)を中心とした御膳です。
 源義朝が年末に正月用の餅になる前の強飯(こわめし)を手づかみで食べた話などをもとに再現されています。
 源平の紅白を表現した「源平鍋」(内容は食べてみてのお楽しみ)もあるようです。

4 佐賀県小城市「小城羊羹」(小城市観光協会)
 表面が砂糖でコーティングされている羊羹です。
 長崎街道「シュガーロード」の代表的なお菓子の1つとなっています。
 小城市は23軒もの羊羹を扱うお店がある日本一の羊羹のまちで,羊羹資料館や羊羹の自動販売機もあるとのお話でした。

5 長崎県大村市「純忠御膳」(大村市観光コンベンション協会)
 日本初のキリシタン大名「大村純忠(おおむら すみただ)」の時代に大村純忠邸で出されていた献立表をもとに再現・アレンジした御膳です。
 刺身や天ぷらが中心となっています。
 純米酒「純忠」と一緒にいただくと,より気分が高まりそうです。

6 熊本県熊本市「熊本城本丸御膳」(青柳)
 熊本城(肥後藩主・細川家)で出されていた料理を,当時の料理書をもとに再現した御膳です。
 「煎り酒」(現在の醤油のような調味料)や細川家の家紋「九曜紋」で彩った器が使われるなど,約200年前の料理が忠実に再現されています。

7 島根県益田市「毛利元就をもてなした祝膳 益田『中世の食』」(益田「中世の食」再現プロジェクト
 中世の豪族・益田氏が毛利元就の拠点・吉田郡山城(広島県安芸高田市)を訪れ,振舞った料理です。
 調味料に「煎り酒」を使い,魚のすり身を使った「はむ」(はんぺん),鮎の塩焼きなどが再現されました。

8 山口県山口市「大内御膳」(歴食JAPAN事務局)
 室町幕府の第10代将軍・足利義稙(あしかが よしたね)が山口の大内義興(おおうち よしおき)を訪問した際に催された「中世最大の宴」の料理を再現した御膳です。
 食文化研究家・江後迪子さん監修,湯田温泉のホテル・旅館の料理人の方々の協力のもと,32献110品にも及ぶ料理が再現されました。
 「歴食JAPANサミット第1回大会 in 山口市」でも紹介された歴食を代表する料理で,山口市内のホテル・旅館・料理店で味わうことができます。


閉会式

 締めくくりの挨拶として,歴食アドバイザーの辰巳琢郎さんから,「ハレの料理(特別な料理)だけでなく,『嬬恋くろこ』など,ケの料理(日常の料理)もクローズアップしたらよい」,「旅と食をマッチングさせた地域おこしに取り組んではどうか」といったお話がありました。

 また代表・実行委員長の大原敏之さんからは,「『歴食』は地域をブランド化できる素材の1つ」,「まちの歴史を守り,未来を生きる子供たちに地域の誇りを伝えることが求められている」,「次回はリアルでの開催をしたい。今後も歴食のネットワークを広げていきたい」といったお話でまとめられました。


広島の歴食・亀屋の「川通り餅」

 今回の歴食サミットで認定された歴食は,当日に発表されたものも多くありました。

 その1つが広島・亀屋の「川通り餅」で,発表された瞬間,私は「地元・広島で有名なお菓子が歴食に認定された」と喜びました。

 「川通り餅」は,お餅(求肥)にクルミを加え,きな粉をまぶした広島の銘菓です。

 毛利元就の祖先・毛利師親(もうり もろちか)が,石見の佐波善四郎との戦いで江の川を渡ろうとした際,小石が鐙(あぶみ:馬の両わきにかけ,足を固定させる馬具)に引っかかったにもかかわらず,そのまま戦って勝利をおさめました。

 のちにその小石が宮崎八幡宮に奉納され,餅を小石に見立てて食べる風習が生まれました。

 やがてこの餅が「川通り餅」と呼ばれるようになり,現代に受け継がれています。

 広島県民でこの歴史話を知っている人はあまりいないでしょうが,インパクトのある「川通り餅」のテレビCMを知らない人はいないと思います(笑)

 オンラインでの歴食サミット終了後,私はすぐに「川通り餅」を製造・販売されている「御菓子処 亀屋」本店(広島市東区)を訪問しました。

(「御菓子処 亀屋」本店)
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 歴食サミットの30分後にはお店に着いているというフットワークの軽さ(笑)

 お店で竹皮入りの「川通り餅」のほか「安芸路」と「もなか」も購入しました。

 私がお店の方に「先程の歴食サミットで『川通り餅』が歴食に認定されましたね。おめでとうございます」とお話しすると,お店の方はまだ御存知なかったようで,「えっ,そうなんですか。嬉しいお話をありがとうございます」とお返事いただきました。

(「川通り餅」竹皮)
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 こちらが今回歴食に認定された「川通り餅」です。

(「川通り餅」竹皮(中身))
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 中に7個入っています。

(「川通り餅」)
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 一口サイズのきな粉餅で,中に細かいクルミが入っています。

(「川通り餅」(中身))
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 やわらかいお餅(求肥)にクルミのコクときな粉の香ばしさが加わり,1個と言わず2個3個と食べたくなる誘惑にかられました。

 「歴史の息吹を味に伝える 名代(なだい)の銘菓 川通り餅」
 「味わいの奥に 歴史と人の技がある 亀屋 川通り餅」

 こうしたテレビCMのナレーションどおりの,歴食にふさわしいお菓子でした。


まとめ

 全国歴食サミットに関わる様々な歴食を御紹介しましたが,今回オンラインで参加した私の感想をいくつかまとめてみました。

・オンラインでの開催に合わせ,全国各地の歴食をオンラインで販売するのも効果的だと思います。
・オンラインで紹介するだけでなく,参加者同士で情報交換したり,実際に食べて理解する機会もあればさらに盛り上がるでしょう。
・オンライン開催をマスコミも注目する時代となっていることを感じました。
・歴食を知ること・理解することは,その地域の歴史や文化を知り,理解することにつながると思いました。
・歴食は観光客だけでなく,地元経済の活性化や地元の人々の消費拡大にもつながると思いました。


 今後も微力ながら,歴食や歴食サミットを応援していきたいと思います。


<関連サイト>
 「歴食JAPAN公式サイト」(歴食JAPAN事務局(山口商工会議所内))
 「御菓子処 亀屋」(本店:広島市東区光町1-1-13)

<関連記事>
 「歴食JAPANサミット -山口に誕生した「歴食」という新たな食の世界-
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2021年2月13日 (土)

ゲーテの小説「若きウェルテルの悩み」とシャルロッテ -ロッテの「CHARLOTTE 生チョコレート」-

 ドイツの小説家・ゲーテの「若きウェルテルの悩み」。

 ファンの方も多いと思います。

 また内容までは知らなくても,その名前は御存知の方も多いでしょう。

 かのナポレオンも愛読し,陣中で7回読んだと言われるほど,今も昔も人気の高い恋愛物語です。

 今回は,そんな「若きウェルテルの悩み」の魅力と,その小説にまつわる会社やチョコレートの話に触れてみたいと思います。


ウェルテルとシャルロッテの出会い

 作者であるゲーテ自身の恋愛体験をもとに書かれた小説「若きウェルテルの悩み」。

 世界的な名作として,日本でも様々な本が出版されています。

(ゲーテ「若きウェルテルの悩み」)
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 この作品は,主人公の青年・ウェルテルがその親友・ウィルヘルムへ宛てた手紙(日記)を,ウェルテルの死後,ウィルヘルムが読者に紹介することで展開します。

 失恋をしたウェルテルがウィルヘルムと一緒に住んでいた街を離れ,感傷旅行をすることから物語が始まります。

 旅先のワールハイムと呼ばれる村で様々な人とふれあい,次第にその村で前向きに人生を送るようになったウェルテルにある転機が訪れます。

 知り合いから「舞踏会をしたいので,参加してほしい」とお願いされたウェルテルは,踊り相手となる女性を誘ってその舞踏会に参加することにしました。

 舞踏会当日,ウェルテルは踊り相手の女性やその従妹と一緒に馬車に乗り,会場を目指します。

 途中,同伴の女性からある提案がありました。

 「舞踏会にシャルロッテも誘いましょう。美しい方ですよ」

 ウェルテルは訳も分からないまま,これに同意します。

 すると同伴の女性の従妹から,

 「恋をなさらないように御用心を」と釘を刺されてしまいます。

 ウェルテルがその理由を尋ねると,

 「あの方はもうお決まりになっていますの」との返事。

 ウェルテルはこの話をさして気にも留めず,馬車でウェルテルの住む屋敷へと向かいます。

 しかしながら,シャルロッテの住む屋敷へ到着し,シャルロッテに出会った瞬間からウェルテルの気持ちは一転してしまいます。

(シャルロッテとの出会い)
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(ゲーテ「まんがで読破 若きウェルテルの悩み」イースト・プレスから一部引用)

 ウェルテルは亡くなった母親代わりとして幼い弟や妹たちの面倒を見ているシャルロッテに出会い,その姿,声,しぐさにすっかり心を奪われてしまいます。

 幼い子供たちもすぐにウェルテルに慣れ親しみ,寄り添ってきました。

 やがて誘いを受けたシャルロッテは身支度を整え,ウェルテルらと共に舞踏会に参加します。

 会場でウェルテルは最初に舞踏会へ誘った女性とダンスを踊るのですが,お互い相性が合わずギクシャクしてしまいます。

 そこでウェルテルはダンスを上手に踊っていたシャルロッテに「一緒に踊ってほしい」と申し入れます。

 それを受け入れたシャルロッテとワルツを踊ってみると,息がピッタリ合いました。

(ウェルテルとシャルロッテのダンス)
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(ゲーテ「まんがで読破 若きウェルテルの悩み」イースト・プレスから一部引用)

 ウェルテルはウィルヘルムに手紙でその時の様子をこう伝えています。

 「ロッテ(シャルロッテの愛称)の身ごなしの,なんと軽く,なんと人を魅了するものだろう」
 「これほどにも愛らしい娘を腕に抱いて…」
 「ほかの男とは踊らせない。たとえわが身はそのために滅びようとも…」
 「私はもう人間ではなくなった」

 最後のセリフはちょっとヤバイですね。

 こうしてウェルテルは完全に恋愛のスイッチが入ってしまい,ドロドロの恋愛劇が始まることとなります。


アルベルトの登場とウェルテルの絶望

 シャルロッテに恋心を抱いたウェルテルは,シャルロッテの弟妹(ていまい)にも気に入られたこともあり,シャルロッテの住む屋敷に足繁く通うようになります。

 ウェルテルは,シャルロッテにはアルベルトという婚約者がいることを知っていながら,旅に出ている彼の事は考えないようにして,シャルロッテやその弟妹たちと楽しく人生を謳歌していたのです。

 しかし,そんな生活も長くは続きませんでした。

 シャルロッテの婚約者アルベルトが旅から帰ってきたのです。

(アルベルトの登場)
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(ゲーテ「まんがで読破 若きウェルテルの悩み」イースト・プレスから一部引用)

 ウェルテルにとって,身分に恵まれ,才能があり,容姿端麗で,包容力があるアルベルトは到底手の届かない,ライバルにすらなれないような存在でした。

 「人間に喜悦を与えるまさにそのものが,かえってその悲惨のもととなる」

 ウェルテルは悩んだ末,シャルロッテとの付合いに終止符を打ち,ワールハイムを離れることとします。

 しかしながらシャルロッテのことが忘れられないウェルテルは,その離れた地での生活に馴染めず,結局再びシャルロッテの住むワールハイムに戻ってくるのです。

 シャルロッテに再会した時,彼女はすでにアルベルトと結婚していました。


ウェルテルの決意

 思い詰めたウェルテルは,使いの少年を通じてアルベルトへ手紙を送り,1つのお願いをします。

 その内容は「旅行がしたいので,護身用にピストルを貸してほしい」というものです。

 アルベルトは何も怪しまずに妻(シャルロッテ)に「ピストルを渡してあげなさい」と言い,使いの少年には「旅行中お大事に,と申し上げておくれ」と言付けます。

 この時シャルロッテはウェルテルの行動を悟ったのですが,夫にウェルテルとの関係を言い出せないため,震える手で使いの少年へピストルを渡します。

 やがてウェルテルのもとにピストルが届き,ウェルテルはピストル自殺を決意します。

(ピストル自殺の決意)
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(ゲーテ「まんがで読破 若きウェルテルの悩み」イースト・プレスから一部引用)

 「こいつで,すべての僕の悲惨な運命ともお別れだ」
 「僕らは永遠にひとつになれる」

 友人のウィルヘルム宛ての最後の手紙(遺書)をしたためます。

 「決まりました,ロッテ,私は死にます」

 「これは絶望ではありません。確信です。自分はたえぬいてきた,そしてあなたのために犠牲になる,その安心です」

 「われわれ3人のうち1人が去らなくてはならないのです。私がその1人になろうと思うのです」

 「弾はこめてあります。12時が鳴っています。では,ロッテ,ロッテ。さようなら,さようなら」

 そしてウェルテルの部屋に銃声が鳴り響いたのでした。

 ウェルテルの自殺の知らせに,アルベルトは驚愕し,シャルロッテは悲嘆し,ウィルヘルムは親友の苦悩に無力だった自分を責めます。

 翌日の正午12時,ウェルテルは亡くなりました。

 こうしてこの物語は静かに幕を閉じるのです。


永遠の恋人「シャルロッテ」からお口の恋人「ロッテ」へ

 お菓子メーカーの「ロッテ」の社名は,これまで御紹介した「若きウェルテルの悩み」に登場するヒロイン・シャルロッテの愛称に由来しています。

 「永遠の恋人」として知られるシャルロッテのように,世界中の人々から愛される会社でありたいという願いが込められているのです。

(ロッテ・ブフ(シャルロッテ))
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(ゲーテ(竹山道雄訳)「若きウェルテルの悩み」岩波文庫から一部引用)


ロッテの「CHARLOTTE 生チョコレート」シリーズ

 お菓子メーカーの「ロッテ」から,秋冬限定で,ずばり「CHARLOTTE(シャルロッテ)」という名称の生チョコレートが販売されています。

 「会名や店名を冠し,なおかつ少し高価な商品・メニューは,かなり気合いが入っていて,得することが多い(ハズレが少ない)」というのが私の経験談です。

 今季(2020年~2021年 秋冬)の「CHARLOTTE 生チョコレート」を購入しました。

(「CHARLOTTE 生チョコレート」(箱・2020-2021 キャラメル・カカオ))
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(「CHARLOTTE 生チョコレート」(箱・2020-2021 カカオ))
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 包装は紙製で,1枚ずつ個包装されています。

(「CHARLOTTE 生チョコレート」(2020-2021 カカオ))
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 チョコレートの表面には,シャルロッテの頭文字にちなんだ「C」と「L」のマークが施されています。

 ロッテの「CHARLOTTE(シャルロッテ)」シリーズは,平たいチョコレートの中に生チョコレート(ガナッシュ)が入っているもので,それらが口の中で溶け合い,豊かで深い味わいが楽しめるチョコレートとなっています。

 まさに「お口の恋人」と呼ぶにふさわしい,ロッテを代表するチョコレートです。

 今季のラインアップは,アクセントにヘーゼルナッツを加えた「カカオ」,ソルトを加えた「キャラメル」,そしてカシスを加えた「ストロベリー」の3種類となっています。

(「CHARLOTTE 生チョコレート」(箱・2020-2021 ストロベリー))
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 社名そのものが商品名だけに,チョコレートはもちろん,パッケージのデザインなどにもかなり力を入れておられます。


 「若きウェルテルの悩み」のウェルテルやシャルロッテに思いを馳せながら,ロッテの「CHARLOTTE 生チョコレート」を味わってみるのもいいかも知れませんね。


<関連サイト>
 「ロッテ(LOTTE)」(東京都新宿区西新宿3-20-1)

<関連記事>
 「千葉ロッテマリーンズ スティッチの耳かき -千葉県千葉市-

<参考文献>
 ゲーテ「まんがで読破 若きウェルテルの悩み」イースト・プレス
 ゲーテ(竹山道雄訳)「若きウェルテルの悩み」岩波文庫

2020年5月15日 (金)

黄檗山萬福寺の普茶料理(後編) -普茶料理の紹介(笋羹・麻腐・浸菜・油じ・雲片・飯子・寿免・醃菜・水果)-

 黄檗山萬福寺の普茶料理(前編)で普茶料理の概要を御紹介しましたが,後編では実際の普茶料理について御紹介したいと思います。

 今回は,私も煎茶道のメンバーとして,3人がまとまって料理をいただけるよう予約していただいたため,これから御紹介する料理は全て3人前であることを前提に御覧いただけたらと思います。

(普茶料理案内板(黄龍閣入口))
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 食事会場の黄檗山萬福寺「黄龍閣」入口です。

 普茶料理を目当てに広島からやってきただけに,期待が膨らみました。

 会場を案内していただき,いよいよ食事の開始です。

 普茶料理は,大皿に盛られた料理を個人の皿に取り分け,お茶を飲みながらいただくのが基本なので,それぞれの席には,箸,湯呑み,取り分け皿が用意されていました。

(個人用食器)
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 お茶を注いで飲みながら歓談していると,大皿に盛られた料理が運ばれてきました。


笋羹(シュンカン)

 「普茶料理の華」と称される「笋羹(シュンカン)」です。

(笋羹(シュンカン))
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 旬の野菜や乾物類の煮物などが大皿に盛られた料理です。

 萬福寺での行事や法要の際,来客のために修行僧が作ったのが始まりとされています。

 それでは個々の料理をみていきましょう。

(巻き湯葉の含め煮)
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(よもぎ麩の揚げ煮)
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(大徳寺麩のレモン添え)
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(かまぼこ擬き)
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 「擬き(もどき)」は本物そっくりという意味で,「擬き料理」は,見た目や味・食感までも本物そっくりに仕上げた料理を言います。

 精進料理には肉や魚が使えないことから擬き料理が発展しました。

 写真の「かまぼこ擬き」は,だしで長いもを煮て,周りに梅肉や食紅で色付けした後,油で揚げた料理です。


(黄檗豆腐)
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 醤油を含ませた押し豆腐です。「豆腐羹(とうふかん)」とも呼ばれます。

(しいたけの含め煮)
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(ナスの田楽)
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(飛竜頭)
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 いわゆる「がんもどき」です。

(けんちん信田巻き)
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(もみじ麩)
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麻腐(マフ)

 麻腐(マフ)はごま豆腐のことです。

(麻腐(マフ))
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 胡麻豆腐の略なのでしょうが,私は麻婆豆腐を想像してしまいます(笑)


浸菜(シンツァイ)

 「浸菜(シンツァイ)」は「浸し物・浸し料理」という意味で,季節感のあるさわやかな味と色彩によって「淡味(たんみ)」の役割を果たす料理です。

(浸菜(シンツァイ))
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 写真上側の褐色の料理が「いんげんのきんぴら」,下側の白っぽい料理が「じゃがいもなます」です。


油じ

 「油じ」は食材ところもに下味をつけて油で揚げ,そのままいただく味付天ぷらのことです。

 「油じ」の「じ」は,食偏に「茲」と書きます。

(油じ)
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(大根)
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(高野豆腐アーモンド包み)
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(紅しょうが)
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(りんご)
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 なぜりんごまで天ぷらにするのか…私はまだまだ修行が足りません(笑)

(こんにゃく)
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(ごぼう)
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(里芋)
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(巴饅頭)
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 おかずと言うよりお菓子ですが,色どりのよさも重要なのだと思います。


雲片(ウンペン)

「雲片(ウンペン)」は野菜の葛あん煮のことです。

(雲片(ウンペン))
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 調理の際に出た野菜くずを雲のかけらのように細切りにし,さっと炒めて葛あんをかけた料理です。

 野菜は人参,レンコン,タケノコ,もやし,きくらげ,干しシイタケ,ゆり根,ぎんなん,グリーンピース,生姜などでした。

 揚げ素麺の上に野菜の葛あん煮がのせられていたので,あんかけかた焼きそばに似ていると思いました。

 無駄なく食材をいただくという仏教の教えに基づいており,普茶料理の代表的な料理の1つとなっています。


飯子(ハンツウ)・寿免(スメ)・醃菜(エンツァイ)

 「飯子(ハンツウ)」はご飯もののことで,ご飯は「行堂(ヒンタン)」と呼ばれる木の桶で用意されます。

 普茶料理では野菜や木の実を入れて炊き込むことが多く,銘茶の産地・宇治にある萬福寺では,お茶の葉が入れられることもあるようです。

 「寿免(スメ)」は汁もののことです。主に昆布だしが使われます。

 「醃菜(エンツァイ)」は香の物のことです。

(飯子(ハンツウ)・寿免(スメ)・醃菜(エンツァイ))
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 今回は「飯子」が豆ご飯,「寿免」がお吸い物(梅干しの天ぷらとゴマ入りすり豆腐),そして「醃菜」が昆布の佃煮,しば漬け,ひょうたん漬けでした。


水果(スイゴ)

 
普茶料理では,お菓子と果物を総称して「水果(スイゴ)」と呼びます。

 普茶料理は油を使った料理も多いので,甘味はその口直しという意味でも重要な役割を担っています。

(水果(スイゴ))
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 オレンジ,きなこ羊羹,抹茶団子をいただきました。


まとめ

 普茶料理がなんとなく中国料理っぽい雰囲気があることが御理解いただけたでしょうか。

 また,中国の陰陽五行説にも通じる「五味五色」(五味…甘・酸・鹹・苦・辛,五色…青・黄・赤・白・黒)の考えを重んじ,色も味もそのすべてがバランスよく盛り込まれているのも特徴です。
 ※鹹(カン)は塩味

 黄檗山萬福寺の境内の建物も,中国風の建物様式(中国・明の時代(末期)の建物様式)となっています。

(売茶堂・有声軒入口)
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 この門をくぐると,煎茶道の祖・賣茶翁をまつるお堂(賣茶堂)とお茶室(有声軒)があります。

 全国煎茶道連盟の本部も設置されています。

(文華殿)
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 宝物館です。黄檗文化研究所も設置されています。


 京都・萬福寺でいただいた普茶料理。
 おなかも心も満腹になりました。


<参考文献>
 黄檗山萬福寺監修『萬福寺の普茶料理』学習研究社

<関連リンク>
 「普茶料理」(黄檗山萬福寺)

<関連記事>
 「黄檗山萬福寺の普茶料理(前編) -中国から伝えられた精進料理「普茶料理」の概要-
 「黄檗山萬福寺の全国煎茶道大会 -隠元と煎茶道-

2020年5月 9日 (土)

黄檗山萬福寺の普茶料理(前編) -中国から伝えられた精進料理「普茶料理」の概要-

煎茶道との出会い

 「お時間があれば,お茶を体験して行かれませんか。」

 広島県江田島市の歴史文化施設「学びの館」を散策していた時,職員の方から声をかけていただいた,この一言が煎茶道に出会うきっかけでした。

 作法どころか,茶道と煎茶道の違いも知らない私でしたが,面白そうなので,このお茶会に参加してみました。

 抹茶ではなく,お茶の葉に湯を注ぎ,中国の飲茶のような作法でいただくお茶の世界。

 固苦しさはなく,お茶の先生や同席した皆さんと会話を楽しみながら,休日の午後のひとときを過ごしました。


普茶料理が味わえる黄檗山萬福寺へ

 煎茶道は初めての世界でしたので,私はお茶の先生にいろんなことを質問し,教えていただきました。

 その際,普茶料理の話も出たので,以前から普茶料理に興味を持ち,いつか食べてみたいと思っていた私は,お茶の先生に「普茶料理にとても興味を持っている」ことを話しました。

 お茶の先生も,「私もいつか京都の黄檗山萬福寺で食べてみたいと思っています。ただ,この料理は3人以上じゃないと予約できないという制約があるため,今まで実現できませんでした。今回よかったら御一緒にいかがですか。」と誘っていただきました。

 初対面でありながら,すっかり皆さんと仲良くなり,これはよい経験をしたと思いつつ帰ろうとした時,お茶の先生から,「また何かあれば,この連絡先に連絡してください。」と連絡先を書いたメモをいただきました。

 帰宅後,一晩悩みました。

 食文化を学ぶ上で,特徴のある普茶料理はよく登場します。

 また,この料理は人数による制約があり,1人で行って食べられる訳ではないのです。

 けれど,わずか数時間お話ししただけの方のお誘い話を本気にし,お願いするのもどうかという気持ちがあり,揺れ動いたのです。

 悩んだ末,「ここで逃したら,もう普茶料理を食べる機会はないかも知れない」と思う気持ちが強かったため,悔いのないよう,先生に連絡をとってみることとしました。

 タイミングも大事だと思いました。

 先生にお電話すると,快く応じてくださり,お弟子さんにも声をかけてみるとのお返事をいただきました。

 こうして京都府宇治市にある黄檗山萬福寺で開催される「全国煎茶道大会」に参加し,普茶料理を食べに行くことが決まりました。

(萬福寺総門)
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(萬福寺法堂)
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普茶料理とは

 中国(明)から来日し,黄檗山萬福寺を開山した隠元禅師によってもたらされた中国風の精進料理です。

 「普茶」とは,「普(あまね)く大衆に茶を施す」という意味の禅の言葉に由来しています。

 法要や行事を終えた後,僧侶や携わった人々が一堂に会し,茶を飲みながら協議や談合をすることを「茶礼(されい)」と言いますが,この茶礼の後で,ねぎらいの意味を込めてふるまわれた食事が普茶料理なのです。

 大皿に盛られた料理を4人で取り分けて食べるのが基本で,この食作法は,「平等」という考え方に基づいています。

(普茶料理の図)
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(武光 誠『食の進化から日本の歴史を読む方法』(『普茶料理抄』)から引用)

 みんなで同じ料理を分け合って食べる,これこそが普茶料理の最大の特徴であり,教えとするところでもあるのです。

 また,「大味必淡(たいみひったん)」という言葉もあります。

 これは,「すぐれたよい味わいは必ず淡白なものである」という意味で,禅門では五味(甘・酸・鹹(塩味)・苦・辛)に加えて淡味(たんみ)が重視されています。


中国料理に近い普茶料理

 普茶料理は,中国語の表現や調理技術,食事作法を大きく受け入れている料理だと言えます。

 献立・メニューのことを「菜単(ツァイタン)」と呼びますが,これはまさに中国語の表現と同じなのです。

(普茶料理パンフレット(黄檗山萬福寺))
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※画像をクリックすると拡大します。

 料理の種類は,「笋羹(シュンカン)」,「巻繊(ケンチャン)」,「雲片(ウンペン)」,「油じ(「じ」は食偏に「茲」,ユジ)」,「浸菜(シンツァイ)」,「飯子(ハンツウ)」,「寿免(スメ)」,「水果(スイゴ)」などと分類されますが,その呼び方は中国語またはそれに近いものとなっています。

 また,黄檗山萬福寺の修行僧の日常の食事も,昼食(「斎座」(さいざ))や夕食(「薬石」(やくせき))で出されるおかずのことを「点菜」(中国語では「注文」の意味)と呼んだり,ご飯や汁物を盛る木の桶のことを「行堂」(ヒンタン)と呼ぶなど,お寺の関係者以外には聞き慣れない表現が多く登場します。

(行堂)
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(黄檗山萬福寺監修『萬福寺の普茶料理』から引用。一部加工)

 行堂(ヒンタン)です。
 「雲水」(うんすい)と書かれているものは,修行僧用です。

 また,中国料理は調理の際,油脂が多く用いられますが,普茶料理においても,ゴマ油を用いた揚げ物や炒め物が多く,こうした料理が日本料理の油脂利用に貢献したと言われています。

 食事作法で言えば,普茶料理は,長方形の座卓を数人で囲み,一品ずつ大皿の料理を取り合って食べるのですが,この方法は,中国式食事作法の基本だと言えます。


<参考文献>
 黄檗山萬福寺監修『萬福寺の普茶料理』学習研究社
 武光 誠『食の進化から日本の歴史を読む方法』河出書房新社

<関連記事>
 「黄檗山萬福寺の全国煎茶道大会 -隠元と煎茶道-
 「黄檗山萬福寺の普茶料理(後編) -普茶料理の紹介(笋羹・麻腐・浸菜・油じ・雲片・飯子・寿免・醃菜・水果)-

2019年7月25日 (木)

イエズス会士書簡集とマリーアントワネット -東洋文庫 オリエント・カフェの文庫ランチ-

東洋文庫ミュージアムとモリソン書庫

 
東京・駒込に,東洋学専門の図書館「東洋文庫」所蔵の書物や資料を展示する日本最古・最大の研究図書館「東洋文庫ミュージアム」があります。

 東洋学の世界に興味を持ち,このミュージアムを訪問しました。

(モリソン書庫)
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 写真は東洋文庫のコレクションの中で最も有名なモリソン書庫です。

 東洋文庫の創始者・岩崎久彌がモリソン博士から購入した蔵書が展示されています。

 このほか,「トルコの一休さん」と呼ばれる「ナスレッディン・ホジャ」,玉手箱を開けて白髪の老人になった浦島太郎が鶴に化身し,乙姫も亀に化身してハッピーエンドを迎える絵巻「浦島太郎物語」,司馬遷の「史記」,「ターヘル・アナトミア」と「解体新書」,中国の「科挙」の答案「殿試策」,シルクロードの旅など東洋学の世界を楽しく学ぶことができました。


イエズス会士書簡集

 東洋文庫には,国宝や重要文化財を含む約100万冊の蔵書がありますが,その1つに「イエズス会士書簡集」という蔵書があります。

 17世紀末から18世紀後半にかけて,世界中で布教活動をしたイエズス会士の書簡報告をまとめた本です。

 この本は,当時のヨーロッパに「シノワズリ(中国趣味)」の流行やヴォルテールなど啓蒙思想家の活動にも影響を与えました。

 東洋文庫が所蔵する26巻セットの「イエズス会士書簡集」は,全巻革張りの豪華な装丁がほどこされていて,マリー・アントワネットが所有していたものとされています。

 マリー・アントワネットと言えば,オーストリア・ハプスブルク家の皇女として生まれ,フランス王家(ブルボン家)に嫁いでルイ16世のフランス王妃となり,豪華絢爛な生活を送った後,フランス革命により処刑されるという波乱万丈な人生を送った女性です。

 フランスにいたマリー・アントワネットも,この書簡集を読んではるかかなた東洋の国々に憧れを抱いていたのかも知れませんね。


オリエント・カフェの文庫ランチ「マリーアントワネット」

 東洋文庫ミュージアムにはカフェ・レストランが併設されています。

 「オリエント・カフェ」という名のカフェ・レストランで,小岩井農場が運営されています。

 こちらのレストランで「マリーアントワネット」と呼ばれる1日10食限定のランチをいただきました。

(サラダとスープ)
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 最初にフレンチドレッシングがかかったサラダとオニオンスープが提供されました。

 気分はすでにマリー・アントワネット(笑)

 そしていよいよメイン料理が提供されました。

(文庫ランチ「マリーアントワネット」(重箱))
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 この文庫ランチ「マリーアントワネット」は重箱に詰められているですが,この重箱のデザインは,先程御紹介した「イエズス会士書簡集」がお手本となっています。

 蓋にはブルボン家の紋章が描かれています。

 期待が高まる中,蓋を開けました。

(文庫ランチ「マリーアントワネット」)
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 この日の料理は,写真上段左がローストビーフとスモークサーモン,上段右が茶碗蒸し,中段左がビーフコロッケ,中段右がビーフシチュー,下段が針生姜をちらした生姜ご飯でした。

 お弁当として一斉に詰められていますが,冷製オードブルは冷たく,茶碗蒸しやビーフコロッケ,ビーフシチューなど温かいものは1品づつきちんと温かい状態になっていて,1つ1つ丁寧に作られていました。

 お店の看板メニューを少しずつ一度にいただくことができました。

 重箱(弁当)スタイルで,箸を使っていただくところが東洋的だと思いました。

 どの料理も美味しかったですが,特に小岩井農場産牛をやわらかく煮込まれたビーフシチューが絶品でした。

 日本にいる私は,この書簡集の文庫ランチ「マリーアントワネット」をいただきながら,はるかかなたフランス・パリに思いを馳せたのでした。


<関連サイト>
 「東洋文庫ミュージアム・オリエント・カフェ」(東京都文京区本駒込2-28-21)

<参考文献>
 「時空をこえる本の旅50選」東洋文庫
 安達正勝「マリー・アントワネット」中公新書

2019年1月29日 (火)

近代日本における西洋料理の受容と和洋折衷料理の誕生 -ハントンライス(石川県金沢市)とボルガライス(福井県越前市)-

 石川や福井にはボリュームたっぷりのユニークな洋食があります。

 オムライスにカツをのせた金沢の「ハントンライス」と武生(たけふ)の「ボルガライス」です。

 長崎の「トルコライス」(1つの皿にナポリタンスパゲティー,トンカツ,ピラフなどが盛られた洋食)とも趣向がよく似たご当地グルメです。

 「ハントンライス」と「ボルガライス」,これらの料理には何か共通点があるのではないかと思い,石川県金沢市と福井県越前市を訪問しました。


石川県金沢市 ハントンライス

 石川県金沢市を訪問しました。

 北陸新幹線も開通し,金沢駅はとても賑わっていました。

(金沢駅・北陸新幹線「はくたか」)
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 金沢の食と言えば,新鮮な魚介類や加賀野菜などを使った加賀料理,日本三大菓子処としての和菓子などが有名ですが,今回御紹介するハントンライスも,知る人ぞ知るご当地グルメとして人気・知名度が上がってきています。

 私は金沢市片町二丁目にある「グリルオーツカ」でハントンライスを味わいました。

 同店のメニュー表にハントンライスの名前の由来が説明されていました。

 「ハントン」の「ハン」が「ハンガリー」を,「トン」がフランス語で「マグロ」を表しているようです。

 ではハンガリーの料理かと言われれば,そうではないようで,長崎のトルコライスと同様,イメージが先行したネーミングの料理のようです。

(ハントンライス)
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 これがハントンライスです。

 ケチャップライスを玉子で包んだ,いわゆるオムライスに,マグロのフライと海老フライがのせられ,その上からケチャップと自家製タルタルソースがかけられた料理です。

(ハントンライス(拡大))
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 マグロのフライを中心にした,ハントンライスの拡大写真です。

 一般的なオムライスのようにケチャップだけでなく,タルタルソースもかかっているのがポイントで,このあっさりと酸味の効いたタルタルソースがフライとよく合いました。

 こちらのお店には,このハントンライスのほかにも,タンバル(皿)で調理された「ドリア風タンバルライス」や,ピラフにホワイトソースがかけられた「ギリシャ風エビピラフ」など,興味を引くネーミングの料理が用意されています。


福井県越前市 ボルガライス

 金沢駅から特急しらさぎ号に乗って,福井県越前市の武生(たけふ)を訪問しました。

(金沢駅・特急「しらさぎ」)
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 ボルガライスは,地元武生の人々に愛され続けているご当地料理で,近年はボルガライスによる町おこしイベントも行われています。

 私は武生駅から歩いて,越前市新保にある「カフェド伊万里」を訪問しました。

 お店の入口で,漫画家の池上遼一さんが描かれたボルガライスのポスターを見つけました。

(ボルガライスポスター)
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 「武生に来たらボルガライス」。カッコイイですね。

 こちらのお店は池上遼一さんの妹さんが経営されており,ポスターのほかにも,池上遼一さんをはじめとするいろんな漫画家の絵がたくさん飾られていました。

 注文を終え,店内の絵などを鑑賞していると,熱々のボルガライスが運ばれてきました。

(ボルガライス)
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 オムライスの上にトンカツがのせられ,デミグラスソースがたっぷりかけられています。

 ボリューム満点ですね。

(ボルガライス(拡大))
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 中のケチャップライスには,玉ねぎ,ピーマン,ベーコン,マッシュルームなどの具が入っています。

 オムライスとトンカツを同時に味わう幸せを感じました。

 金沢のハントンライスと同様,なぜボルガライスと呼ばれるのか気になるところですが,店内にボルガライスの説明書きが掲示されていました。

(ボルガライス説明文)
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 日本ボルガラー協会のボルガチョフ会長(笑)が説明されています。

 ボルガライスの名前の由来には,

 【ロシア説】ロシアにある「ボルガ」というたまご料理から
 【イタリア説】イタリアにあるボルガーナ地方の料理に似ているから
 【ボルガ川説】ロシアのボルガ川流域でよく似た料理を見た
 【車名説】旧ソ連の車「ボルガ」から名前をとった
 【店名説】昔,「ボルガ」という名前の店があり,その店が開発した

 と諸説あり,その真相はわからないようです。

 ボルガライスの名前の由来ははっきりしませんが,今では広島とのつながりがあることは確かです。

 お好みソースで有名な広島の食品会社「オタフクソース」が,日本ボルガラー協会公認の「ボルガライスソース」を製造されているのです。

 トンカツやフライ単品にもよく合うソースだと思います。


近代日本における西洋料理の受容と和洋折衷料理の誕生

 金沢のハントンライスや武生のボルガライスは,いずれもオムライスの上にフライやトンカツがのせられ,洋風のソースがかけられた料理です。

 このほかにも,石川には「金沢カレー」(トンカツと千切キャベツがのせられたカレー),福井には「ソースカツ丼」(洋風ソース・ウスターソースに浸したトンカツがのせられた丼)といったご当地洋食もあります。

(金沢カレー(ゴーゴーカレー・レトルト))
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 こうした料理が誕生した理由について,近代日本の西洋料理・洋食の歴史から考えてみたいと思います。

 明治以降,それまで馴染みのなかった西洋料理を広く庶民に普及させるため,西洋料理を日本人の味覚に合う和食に近づける努力・工夫がなされました。

 その際,日本人は「米(ごはん)」を主食としていることを前提に,西洋料理を米飯の味に合わせることが絶対条件となりました。

 この絶対条件をクリアするため,米飯とトンカツ・コロッケ・エビフライなどのフライ(揚げ物)の組み合わせや,洋風の米飯料理(カレーライス・ハヤシライス・チキンライス・オムライスなど)が考案されたのです。

 具体的には,
(1)トンカツなどのフライ(揚げ物)に,ごはん,みそ汁(豚汁),漬物,キャベツの千切りなどを組み合わせ,従来の定食スタイルに仕上げる
(2)フライや洋風のソース・ルーをごはんにのせて従来の丼スタイルに仕上げる
(3)米飯にソースやケチャップなどの洋風調味料をかけたり混ぜたりすることで,従来の混ぜごはん・炊き込みごはんスタイルに仕上げる
といった試みがなされました。

 さらに,フライをあらかじめ適当な大きさに切っておき,ナイフやフォークを使わなくても箸やスプーンで容易に食べることができるような工夫もなされました。

 こうして西洋料理は徐々に「洋食」として日本人に受け入れられるようになったのです。

 前置きが少し長くなりましたが,こうした話を踏まえた上で今回御紹介したハントンライス,ボルガライス,金沢カレー,ソースカツ丼などの料理を振り返ると,これらの料理も日本人に洋食として受け入れられる過程で生まれたご当地オリジナル洋食であることが理解できます。

 明治以降の日本の西洋料理・洋食の歴史は,試行錯誤の連続でした。

 昔の婦人雑誌・料理雑誌などには,「味噌・鰹節サンドイッチ」,「西洋ずし(トマトケチャップで色付けした寿司飯)」,「マカロニーライス(ケチャップライスの上にマカロニの入ったトマトシチューもどきのソースをかけた洋風ご飯)」など,実に様々な和洋折衷料理が紹介されており,西洋料理の受け入れに力が注がれていた様子が伺えます。

 現代人からみると,ちょっと変わった料理もあると思いますが,こうした様々な和洋折衷料理の中で大勢の人から支持を得た料理が,今回御紹介したようなご当地オリジナル洋食となり,地元の人々に愛され続けていると言えるのです。


<関連リンク>
 「武生に来たらボルガライス」(日本ボルガラー協会)

<関連記事>
 「福井のソースカツ丼と越前おろしそば」(福井のソースカツ丼)
 「「アパ社長カレーショップ」1号店が広島にオープンした理由 -テストマーケティングからの考察-」(金沢カレー)

<参考文献>
 石毛直道監修・杉田浩一責任編集「講座 食の文化 第三巻 調理と食べもの」味の素 食の文化センター
 岡田 哲「明治洋食事始め とんかつの誕生」講談社学術文庫
 魚柄仁之助「台所に終戦はなかった 戦前・戦後をつなぐ日本食」青弓社

2018年11月15日 (木)

聖マルティンの日とドイツのヴェックマン(パイプマン)

 毎年11月11日は聖マルティンの日です。

 ヨーロッパを中心に聖マルティンにちなんだ様々な行事が行われます。

 聖マルティンはキリスト教の聖人で,「凍てつく寒い夜,聖マルティンが着ていたマントを剣で2つに切り裂き,裸同然で寒さに震えていた乞食に分け与えた」という話で有名です。

 聖マルティンの日は食文化関連の本でもたびたび登場します。

 こうした本には,たいてい「(聖マルティンの日は,)収穫祭と一致し,迫り来る厳しい冬に備えて豚を大量に処理(屠殺)し,生肉を食べ,ハム・ソーセージ・ベーコンなどの保存食が作られてきた日」だと説明されています。

 私もその話しか知らなかったのですが,広島のカフェ「Cafe Igel あかいはりねずみ」で,聖マルティンの日にちなんだ面白いパンが販売されているのを見つけました。

(パンマン)
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 人の形をしたパンです。

 ドイツでは「ヴェックマン(Weckmann)」とか,「パイプマン(司教の杖を意味するパイプを持った姿のパンであることから)」などと呼ばれています。

 ただ,このパンは(パイプが日本で売られておらず,)パイプを持っていないため,「パイプマン」ではなく「パンマン」と呼ぶのだそうです(笑)。

 毎年11月11日に行われるドイツの聖マルティン祭には欠かせない食べ物のようです。

 さらに店主さんから,「ドイツではガチョウ料理やガチョウの玉子を食べる日でもある」というお話も伺いました。

 さかのぼれば,パンがキリストの肉であるという思想に基づいたパンなのでしょう。

 実際にこのパンをいただきましたが,あまりにもリアルなので,手や足,頭をちぎりながら食べるのことに少し抵抗を感じてしまいました(笑)。


<関連リンク>
 「Cafe Igel あかいはりねずみ」(広島市南区的場町1-7-2)

<参考文献>
 宮崎正勝「知っておきたい「食」の世界史」角川ソフィア文庫

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