あずきの研究5 -和菓子と砂糖の歴史-
○あずきの疑問
「あんこなど和菓子に使われる砂糖は日本でどう調達されていたのか。」
和菓子の多くは小豆と砂糖で構成されています。それゆえ,日本の小豆を研究する際には,同時に日本の砂糖についても理解しておく必要があると思います。
世界史での砂糖は,いわゆる「大西洋三角貿易(ヨーロッパからアフリカに武器・繊維製品など運ぶ→アフリカで黒人奴隷と交換され,黒人奴隷を労働力として中南米・北米に運ぶ→白人のプランテーション経営者に黒人奴隷を売り,砂糖・カカオなどの産物をヨーロッパに運ぶ)」がよく知られるところです。
では,日本の場合は,高価で貴重品だった砂糖がどう調達され,普及していったのか,日本のお菓子の歴史とともに概観してみます。
日本のお菓子は,遣唐使によって中国から伝来した唐菓子(「からくだもの」と読む,米粉や小麦粉を油で揚げたり,焼いたもの),食のルネサンスとも言うべき室町時代の元・明から禅僧によりもたらされた点心(麺類,ようかん,饅頭など),そして戦国時代の南蛮貿易による南蛮菓子(金平糖,カステラ,ボーロなど)に大きな影響を受けています。
甘味料については,古来,甘葛・水飴・干し柿などを用いていましたが,鑑真が来日した際,砂糖を薬としてもたらしたことで,日本人に砂糖が知られることとなりました。やがて,前述の菓子とともに,中国やオランダから砂糖も輸入するようになりました。次第に日本でも砂糖の需要は増えるものの,輸入の対価として支払われた金銀の海外流出が著しかったため,江戸時代の将軍吉宗は,砂糖の栽培を奨励し,砂糖の国産化を進めました。当初は琉球や奄美諸島中心でしたが,次第に温暖な西南日本を中心に全国で作られるようになります。かの平賀源内も,サトウキビや砂糖の栽培法を書物で紹介し,普及に一役買っています。平賀源内は高松藩出身ですが,和三盆糖の開発に成功したのも高松藩であり,現在でも,和三盆糖は香川・徳島の特産品となっています。こうして砂糖を調達できるようになった日本は,江戸末期までに,現在の和菓子の大部分が作られました。
明治時代になると,日清戦争で台湾を領有し,台湾総督府が中心となって糖業が開発され,砂糖の国内生産が盛んになります。しかし,その後の敗戦によって,台湾からの砂糖の供給はなくなり,一時期ズルチンやチクロなど代替の甘味料も使われましたが,輸入も含め,徐々に安定的な供給がなされるようになりました。
現在では,低カロリー・ノンカロリー志向に配慮し,砂糖の代わりの人工甘味料(アスパルテーム,ネオテーム等)も多用されています。
日本では,輸入や国産化の奨励などによって砂糖が調達され,身近な小豆や米,小麦粉などの食材と融合し,和菓子が発展していったと言えるでしょう。
(干菓子(和三盆))
最後に,砂糖の役割について,少し考えてみたいと思います。
人間の脳は1日の全消費エネルギーの約25%を消費するといわれています。そしてその脳のエネルギー源になるのは,砂糖が分解されてできるブドウ糖だけです。また,血糖値の上昇やそれに伴うインスリンの分泌により,セロトニンが増してリラックス感や満腹感がもたらされる効果もあります。
世界中のありとあらゆる菓子に砂糖は欠かせません。
これは私の個人的見解ですが,人間は,砂糖(甘味)を得るために,豆類(小豆,カカオ等),米,小麦粉,乳製品などを媒体として用いた「菓子」という食べ物にして摂取しているに過ぎないのではないかと思います。お菓子の嗜好も和菓子派,洋菓子派など,人によって様々ですが,究極に摂取したいものは砂糖(甘味)であるという点では,なんら変わりはないと思うのですが,いかがでしょうか。
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