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2014年3月

2014年3月30日 (日)

あずきの研究5 -和菓子と砂糖の歴史-

○あずきの疑問
 「あんこなど和菓子に使われる砂糖は日本でどう調達されていたのか。」

 和菓子の多くは小豆と砂糖で構成されています。それゆえ,日本の小豆を研究する際には,同時に日本の砂糖についても理解しておく必要があると思います。

 世界史での砂糖は,いわゆる「大西洋三角貿易(ヨーロッパからアフリカに武器・繊維製品など運ぶ→アフリカで黒人奴隷と交換され,黒人奴隷を労働力として中南米・北米に運ぶ→白人のプランテーション経営者に黒人奴隷を売り,砂糖・カカオなどの産物をヨーロッパに運ぶ)」がよく知られるところです。

 では,日本の場合は,高価で貴重品だった砂糖がどう調達され,普及していったのか,日本のお菓子の歴史とともに概観してみます。

 日本のお菓子は,遣唐使によって中国から伝来した唐菓子(「からくだもの」と読む,米粉や小麦粉を油で揚げたり,焼いたもの),食のルネサンスとも言うべき室町時代の元・明から禅僧によりもたらされた点心(麺類,ようかん,饅頭など),そして戦国時代の南蛮貿易による南蛮菓子(金平糖,カステラ,ボーロなど)に大きな影響を受けています。

 甘味料については,古来,甘葛・水飴・干し柿などを用いていましたが,鑑真が来日した際,砂糖を薬としてもたらしたことで,日本人に砂糖が知られることとなりました。やがて,前述の菓子とともに,中国やオランダから砂糖も輸入するようになりました。次第に日本でも砂糖の需要は増えるものの,輸入の対価として支払われた金銀の海外流出が著しかったため,江戸時代の将軍吉宗は,砂糖の栽培を奨励し,砂糖の国産化を進めました。当初は琉球や奄美諸島中心でしたが,次第に温暖な西南日本を中心に全国で作られるようになります。かの平賀源内も,サトウキビや砂糖の栽培法を書物で紹介し,普及に一役買っています。平賀源内は高松藩出身ですが,和三盆糖の開発に成功したのも高松藩であり,現在でも,和三盆糖は香川・徳島の特産品となっています。こうして砂糖を調達できるようになった日本は,江戸末期までに,現在の和菓子の大部分が作られました。
 明治時代になると,日清戦争で台湾を領有し,台湾総督府が中心となって糖業が開発され,砂糖の国内生産が盛んになります。しかし,その後の敗戦によって,台湾からの砂糖の供給はなくなり,一時期ズルチンやチクロなど代替の甘味料も使われましたが,輸入も含め,徐々に安定的な供給がなされるようになりました。
 現在では,低カロリー・ノンカロリー志向に配慮し,砂糖の代わりの人工甘味料(アスパルテーム,ネオテーム等)も多用されています。

 日本では,輸入や国産化の奨励などによって砂糖が調達され,身近な小豆や米,小麦粉などの食材と融合し,和菓子が発展していったと言えるでしょう。

(干菓子(和三盆))
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 最後に,砂糖の役割について,少し考えてみたいと思います。

 人間の脳は1日の全消費エネルギーの約25%を消費するといわれています。そしてその脳のエネルギー源になるのは,砂糖が分解されてできるブドウ糖だけです。また,血糖値の上昇やそれに伴うインスリンの分泌により,セロトニンが増してリラックス感や満腹感がもたらされる効果もあります。

 世界中のありとあらゆる菓子に砂糖は欠かせません。

 これは私の個人的見解ですが,人間は,砂糖(甘味)を得るために,豆類(小豆,カカオ等),米,小麦粉,乳製品などを媒体として用いた「菓子」という食べ物にして摂取しているに過ぎないのではないかと思います。お菓子の嗜好も和菓子派,洋菓子派など,人によって様々ですが,究極に摂取したいものは砂糖(甘味)であるという点では,なんら変わりはないと思うのですが,いかがでしょうか。

鎌倉の太鼓の耳かき -神奈川県鎌倉市-

鎌倉駅周辺の土産物店で購入しました。太鼓シリーズの鎌倉版です。
鎌倉は,水戸光圀公が旅らしい旅をした唯一の地であり,江戸時代には鎌倉観光ブームが起こったとのことですが,土産としての耳かきも古くから売られていたことでしょう。
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2014年3月28日 (金)

忙中閑の耳かき -兵庫県神戸市-

有馬温泉で購入しました。
「忙中閑」と書かれた竹筒の中に,2本のシンプルな耳かきが入っており,蓋ができるようになっています。竹細工としての耳かきの実用性と芸術性を兼ね備えた一品と言えるでしょう。
「忙中閑」ですが,確かに,どんなに忙しい時でも,耳かきを使う一瞬は,安らぎの時間であり,そもそも,心に余裕がないと耳掃除をしようという気にならないので,至言だと思います。
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2014年3月26日 (水)

おしゃれみみかきの耳かき

真面目な人が真面目に「おしゃれ」を考えて作られた耳かきだと思います。
海外からの旅行者が,日本に行った手土産に適していると思います。
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2014年3月23日 (日)

ククイの耳かき -山口県周防大島町-

道の駅サザンセトとうわで購入しました。
周防大島は,かつてハワイへの移民が多く,その縁でハワイ関連のイベントやお土産・飲食店が沢山あり,ハワイ州旗(アメリカの州ですが,イギリスとの縁でユニオンジャックの入った旗です!)も見かけます。
この耳かきは,ハワイの木「ククイ」の種子から作られています。種子から採れる油で火をともしたことから,ククイの種子にはパワーや魔除けの効果があるとされ,レイやブレスレットに使われています。
なぜククイの耳かきが作られたのか不思議に思いましたが,ククイの種子の中身を取り除く際,穴を開ける必要があるので,その穴に耳かきの柄を入れるとぴったり合うからかなとも思います。
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2014年3月22日 (土)

あずきの研究4 -北海道・十勝が主産地となっている理由-

○あずきの疑問
 「昔から全国的に食べられ,本来低温に弱いはずの小豆が,なぜ北海道・十勝で集約的に生産されているのか。」

 小豆は北海道以外でも全国的に栽培されていますが,上位の府県でも作付面積の全国シェアは1~2%程度で,点在して栽培されている状況です。全国的に広範囲で少ないながらも栽培されているということは,それだけ小豆の食文化が定着し,需要があるという証拠でもあります。

 北海道・十勝が主産地となっている理由を考えたいと思います。

 明治から大正にかけて和菓子の需要が高まり,それまで日本各地に点在していた小豆栽培を集約的に行う地として,少肥・省力で開拓農民が栽培しやすい,十勝の開拓地が選ばれました。十勝の開拓は,北海道に多く見られる官主導の屯田兵によるものではなく,依田勉三の興した晩成社(○印に「成」で,マルセイ(バター)が有名です。)をはじめ,富山,岐阜など本州からの民間の開拓移民により進められました。第一次世界大戦時には,欧州で豆がひっ迫し,十勝の豆が高騰して「豆成金」が生まれたり,戦後は小豆が「赤いダイヤ」と呼ばれ,相場の対象となったりと小豆を栽培することでの旨みもあったようです。

 また,和菓子メーカー等にとっても,大産地と取引した方が,安定してまとまった量を確保でき,流通コストも抑えられるメリットがあります。生産者・メーカー双方にとって,集約的に栽培した方がスケールメリットを得られるのです。

 あわせて,耐寒性に優れ,良質で,多くの収量がある小豆の品種改良も進められました。現在,十勝の小豆を代表する「エリモショウズ」の命名由来が,気象条件が厳しく,小豆はほとんどできない,風光明媚な襟裳岬の名をもらっていることが印象的で,大変な苦労があったことと思います。

 こうした理由から,十勝が小豆の一大産地になったと考えられます。

2014年3月21日 (金)

あずきの研究3 -大納言小豆と普通小豆-

○あずきの疑問
 「大納言と普通の小豆との違いは何か。」

 和菓子で大納言(小豆)使用と書かれてあると,高級なイメージがします。が,そもそも大納言とは一体何なのでしょうか。

 北海道十勝農業試験場によると,大納言とは,小豆には大きく「普通小豆」,「大納言小豆」,「白小豆」の3種類があり,そのうちの「大納言小豆」に該当する品種のうち,一定の規格(粒度5.5mm以上)以上の大きさのものを「大納言小豆」として流通しているとのことでした。面白いことに,この規格以下のものは,「大納言小豆」としては流通させず,別ルートで,むしろ普通の小豆よりも安く流通されるとのことです。

 大納言の名前の由来ですが,大納言小豆は,大粒なだけではなく,煮たときに皮が破れにくい特性を持ち,いわゆる「腹切れ」が生じにくいことから、切腹の習慣がない公卿(くぎょう)の官位である「大納言」と名付けられたといわれています。

 「大納言小豆」は,大粒で原型を保ちやすいという特性を生かし,甘納豆やきんつばなど,原型を保ち,見た目を重視する和菓子によく用いられています。一方,あんこで用いる場合は,見た目よりは味や中身で勝負となるので,「普通小豆」が用いられ,「エリモショウズ」など,美味で,冷害に強く,安定した収量を得られる品種が主流となっています。

(大納言小豆の甘納豆)
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2014年3月19日 (水)

能登路のでんでん太鼓の耳かき -石川県輪島市-

旅情あふれる「能登路」と書かれた太鼓の耳かきです。
太鼓の耳かきは各地にありますが,輪島で太鼓と言えば,御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)という和太鼓が有名なので,この太鼓にちなんだ耳かきと言えるでしょう。
様々な面をかぶり,序・破・急のリズムで勇壮に打つ伝統的な和太鼓です。
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2014年3月17日 (月)

三猿の耳かき -栃木県日光市-

日光東照宮の耳かきです。
この耳かきは,三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)の中の「聞かざる」だと思います。
実際の猿の彫刻と同様,彫刻によって作られており,さらに,耳に使うものだから「聞かざる」が選ばれたとすれば,本当によく考えられた耳かきです。
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2014年3月16日 (日)

あずきの研究2 -小さい豆と書いて「あずき」と読む理由-

○あずきの疑問
 「小さい豆と書いてなぜ「あずき」と読むのか。」

・あずる=くずれる,き=木(草)
・「あ」=赤い,「ずき」=つき・ずき(溶ける)
・畦木(あぜき)
・赤粒木(あかつぶき)
・神事の「斎(いつき)」
・阿加安豆木(阿加阿都岐)(あかあずき)や阿豆岐(あずき)という古文書の表記

 などいろいろな説がありますが,いずれも,まず「あずき」という「やまとことば」(日本固有の言葉)があり,のちに「小豆」という漢字(文字)が当てられたようです。

 小豆の品種で「エリモショウズ」とか「サホロショウズ」などは,小豆を「しょうず」と呼んでいますし,和菓子業者などでも小豆を「しょうず」と呼ぶようです。
 また,香川県の小豆島(しょうどしま)も,かつては,「あずきしま」,「しょうずしま」と呼ばれており,「小豆」が当て字であるがゆえに,多様な読み方があるのも事実です。

あずきの研究1 -なぜ料理にはあまり使われないのか-

 和菓子に欠かせない食材,小豆の研究です。

 小豆は,日本人にとってとても身近な食べ物ですが,よく考えるとちょっと変わった,面白い食材でもあります。
 そこで「あずきの研究」と題して,私が疑問に思うことを,私なりに調べ,考察した結果をいくつかまとめてみようと思います。

○あずきの疑問
 「主にお菓子に使われ,料理にはあまり使われないのはなぜか。」


 これは「所さんの目がテン」の「あんこの科学」で納得がいきました。世界各国の豆の煮込み料理を小豆で作ったらどうなるかという実験で,結果,全ての料理がただの粒あんになってしまいました。小豆はでんぷんの量が多くて膨らみやすいのに,外の皮が固くて膨らまないので,すぐに皮が破れ,煮くずれてしまうのです。豆の形を保つことができず,全て小豆色になるため,料理で用いるより,あんことしてお菓子に使うのが適当とのことでした。

 小豆の料理として思い浮かぶのは「いとこ煮」です。根菜と小豆の煮物で,煮えにくい材料から順に追い追い(甥甥とも読め,転じて「いとこ」となる)煮て,醤油や味噌で味付けした料理ですが,レシピをみると,煮た根菜に,別に下茹でしておいた小豆を加えて仕上げるようになっています。小豆の煮崩れを防ぐためでしょうが,このように,見た目を考慮すると,小豆を料理するのは少し手間がかかります。そのため,郷土料理として伝わる地域では,特別な日(冠婚葬祭)の料理と位置付けられているようです。見た目も手間も関係ないという人なら別ですが,料理には結構見た目が左右しますし,手間がかかるかどうかというのは,日常の料理を作り続ける上では,重要な判断材料になると思います。

2014年3月14日 (金)

露出補正とホワイトバランス

 私が持っているカメラは,コンパクトデジカメに過ぎませんが,それでも,露出補正やホワイトバランスの調整はある程度できます。見たとおりの写真にできればいいのですが,ある程度はオート(自動)で写せるものの,見たままの色や,変化を加えたい時などは,カメラの機能である露出補正やホワイトバランスなどを行う必要があります。

<露出補正>
 カメラに内蔵された露出計は,基本的に,グレー(反射率18%)の色を見た目どおりの明るさで再現できるように設定されています。そして,この色より明るい場合は,暗くし,逆に暗い場合は,明るくしようとします。そのため,そのまま撮ると,見た目に比べて,白色は暗めの白に,黒色は明るめの黒になりがちです。

 そこで,白が多い時は,露出値(EV)をプラスにして暗めになるのを防ぎ,黒が多い時はマイナスにして明るめになるのを防ぐと見た目に近い写真となります。

 耳かきの写真を撮る時は,マクロモードで,背景を白や黄色系にすることが多いので,露出値(EV)を+0.7~+1ぐらいにプラス補正して撮っています。これで何とか写真として見られる程度になっていたのですが,今回,小豆を茹でて,黒っぽくなった餡を撮ろうとした時,困りました。
 黒色を引き出そうと,露出を-0.3~-0.7程度マイナス補正して撮影するのですが,今度は背景のテーブルの茶色まで暗めに写ってしまい,かと言ってオートで撮ると,餡の色が紫色っぽくなり,きれいな写真にならないのです。

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<ホワイトバランス(WB)>
 そこで,室内で撮影していることを考慮し,ホワイトバランスを調整してみることにしました。

 ホワイトバランスは,光の色を補正する機能で,通常は「晴天(太陽光)」の約5200Kに設定されています。Kはケルビンと読み,色温度の単位で,赤系の光は色温度が低く,逆に青系の光は色温度が高くなります。
 

 カメラは晴天(太陽光)で光を読み取ろうとしている時に,色温度が低い光の条件(電球や白色蛍光灯など)で撮影すると,写真は全体的に赤っぽく,逆に色温度が高い光の条件(青空,日蔭,曇天(くもり)など)で撮影すると,写真は全体的に青っぽく写ってしまうのです。この色の偏りをなくし,本来の色に調節する機能がホワイトバランスです。

(WB「オート」で撮影:全体が青白っぽくなる→室内の色温度がやや高いと判明)
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(WB「曇天」で撮影:「曇天」でやや赤みをプラスする→見た目に近い色となった)
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参考
(WB「電球」で撮影:「電球」で青みをさらにプラスする→全体が青くなる)
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       ※いずれの画像も露出を+0.7補正

 通常はホワイトバランスを「オート」にしておけばよいのですが,自分の出したい色がある場合は,設定を変えて,意図的に赤系統の色(アンバー(セピア)やマゼンダ)や青系統の色(ブルーやグリーン)を調整するとよりよい仕上がりになります。今は液晶画面で撮影した画像をその都度確認できるので,便利です。

 今回の小豆あんについては,天井の昼光色の蛍光灯で青系統の色が強いので,「曇天」モードにして赤系統の色を出すように調整してみました。

(小豆あん)
Photo

 料理は見た目が大事な分,写真を撮るのも難しいように思います。
 人間が見たままの色をカメラに認識させるのがいかに難しいか,改めて理解しました。

2014年3月13日 (木)

瑠璃光寺のお坊さんの耳かき -山口県山口市-

瑠璃光寺周辺の土産物店で購入しました。
瑠璃光寺は,山口市の観光名所で,五重塔が有名です。
曹洞宗の寺院だけあって,荘厳な伽藍は,心が和まされます。
お坊さんの笠には,お寺の名前ではなく,上から見て「おいでませ山口」と記載されています(撮影に苦労しました)。山口を代表するお坊さんとなっています。
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これまで登場した「お坊さん耳かき」の記念撮影です。
一番左は,今回掲載した瑠璃光寺の耳かきです。
日本全国に同じお坊さん耳かきがあることがわかります(笑)。
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2014年3月12日 (水)

天むすの耳かき -愛知県長久手市-

愛・地球博の長久手会場で購入しました。
名古屋めしの1つである天むすですが,ルーツは三重県津市の天ぷら店とのことです。
普通のおむすびに比べると小さく,赤車海老の天ぷらを使い,付け合せはきゃらぶきというのが特徴です。
この天むすは,「むすび」だけあって,海老天にリボンが「むすび」付けられています。そして,きっと「むす」めでしょう。
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2014年3月11日 (火)

きしめんの耳かき -愛知県長久手市-

愛・地球博の長久手会場で購入しました。
名古屋名物のきしめんです。頭が海老の天ぷらになっていますが,名古屋の人は,海老天・海老フライ・海老煎餅など,とても海老好きのようです。いわゆる「名古屋めし」は他の地域の人間から見ると,かなり独特な食文化に思えます。美味しいものがたくさんあってうらやましいです。
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2014年3月 9日 (日)

関東の和菓子と関西の和菓子 -和菓子の比較検証-

 桜餅と言えば,私はもち米(道明寺粉)の中に餡をくるんで桜の葉で包んだものを想像しますが,関東では道明寺粉ではなく,小麦粉に白玉粉などを混ぜた桜色の生地に餡をくるんで桜の葉でつつんだものを,道明寺に対し,長命寺(ちょうめいじ)と言って親しまれているようですね。先日,長命寺桜餅を初めて食べてみましたが,風味こそ桜餅でしたが,食感が異なり,道明寺粉で作られる桜餅でずっと育った私には,全く別物のようにも思えました。

「長命寺桜餅」
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 この2つの桜餅の違いは,すなわちもち米か小麦粉かという話ですが,なぜ関東と関西で異なるのか,私なりに比較・検証してみました。

 

<関東は小麦,関西は米が盛んに食べられるのか>
 当初は,小麦粉の生産が関東の方が盛んだったのではないかとか,関西では,大坂・堂島の米市場に代表されるように,うるち米やもち米など米の取扱いに慣れていたのではないかなどと考えたのですが,明確な違いはないようでした。そもそも,小麦は,米の裏作として作られていた程度で,戦後の食糧不足対策・学校給食対策として,アメリカから余剰小麦粉が提供され,学校給食を中心にパン食が広まった頃から,小麦粉が身近な食材になっているのです。
 ただ,後程の項目にあるように,具体的にそれぞれの菓子を検証してみると,一方が米なら,もう一方は小麦粉と,食材を別にしている傾向があるのはとても興味深い話です。

 

<京都の和菓子>
 和菓子作りの中心は京都であり,京菓子(上菓子)と呼ばれ,茶道の発展とともに,現在に至るまで,確固たる地位が築かれています。それゆえ,伝統的な米を使った菓子作りのノウハウも十分にあり,それに対応できる菓子職人も多くいたことから,芸術性のある多様な菓子が数多く生まれています。

 

<江戸の特殊な食生活>
 一方,江戸では,都市化が急速に進む一方,独身・単身赴任の男性中心社会だったことから,様々なファストフード(寿司,そば,天ぷらなど)が生まれ,外食産業も発展しています。また,食事では,精白された米や小麦粉が食べられ,「江戸患い(脚気)」という言葉が生まれたように,地方農村部とは異なった食生活となっていました。

 

<江戸時代の和菓子の発展>
 菓子についても,穀物の粉を挽く石臼が次第に普及し,煎餅・きんつば・今川焼き・どら焼きなど,餡を包んで小麦粉の生地で焼く菓子が,江戸時代に創製されています。これらの菓子の特徴は,もち米で作る菓子に比べて,手っ取り早く,京菓子(上菓子)のような芸術品としての菓子作りのノウハウを持たなくても作れたことだと思います。私は,こうしたそれぞれの地域のニーズに合った作り方が,関西の米粉と関東の小麦粉の違いとなって表れているのではないかと思っています。

「きんつばの実演」
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<関東と関西の対抗意識―桜餅編―>
 「桜餅」の歴史は,徳川吉宗の命により隅田川沿いに桜が植えられ,その管理を行っていた山本新六が桜の葉の塩漬けを用いて桜餅を作り,長命寺の前で売りだしたのが始まりといわれています。その後,上方でも桜餅が作られるようになりましたが,関東風の小麦粉生地をそのまま受け継がず,道明寺(大阪府藤井寺市)にあやかったもち米「道明寺粉」が用いられました。道明寺粉は,菓子だけでなく,京料理にも使われていたようで,馴染みのある材料だったのも一因かもしれません。

「道明寺桜餅と長命寺桜餅」
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<関東と関西の対抗意識―きんつば編―>
 「きんつば」の歴史をみると,きんつばのルーツは京都の「ぎんつば(銀鍔)」にあります。色が銀色で,刀の鍔に似ていることがその名前の由来となっています。銀色とされたのは,上方が商業・公家の文化であり,銀の流通が盛んだったことも影響しているのでしょう。この「ぎんつば」の皮はうるち米の粉で作られていました。その「ぎんつば」が,江戸に入ると,「銀よりも金」という考えや,江戸の貨幣流通が金だったことなどから,「きんつば(金鍔)」と名を変え,皮も小麦粉で作られるようになっています。現在は様々なきんつばが売られていますが,焼き色を黄金色にしているきんつばもあります。桜餅とは逆ですね…。

「きんつば」
Photo


<関東と関西の対抗意識―端午の節句編―>
 端午の節句には,関東では「柏餅」が,関西では「粽(ちまき)」が,それぞれ盛んに食べられています。柏餅のかしわの木はなかなか葉が落ちず,その生命力の強さから,武家社会である関東で広く受け入れられました。一方の粽はもともと中国の菓子で,日本には平安時代頃に伝わった歴史のある菓子で,京菓子としても位置付けられることから,関西で盛んに食べられるようになっています。

 

<関東と関西の対抗意識―煎餅編―>
 関東ではうるち米を搗いて醤油で味付けした「草加せんべい」が有名ですが,関西では,小麦粉,砂糖,玉子などを原料とした甘い煎餅も多く作られています。この甘い煎餅は,中国から伝来した「唐菓子(からくだもの)」の伝統を受け継いでいるもので,前述の粽と同様,歴史や伝統のある菓子は関西の割合が高いという結果となっています。

 

<まとめ>
 古くから都としての歴史を持ち,商業・公家の文化の強い京都・大坂の人々と,世界有数の大都市として急成長を遂げる政治・武士の文化の強い関東の人々では,それぞれに地域性や伝統がありますし,お互いが他地域の文化をそのままのかたちで受け継ぐのではなく,自分の地方の実情に合った独自の文化を築き上げようという意識や誇りもあったと思います。
 傾向として,関東では,既成の製法にとらわれず,新たな発想・作り方も取り入れた和菓子文化を形成し,関西は中国や南蛮菓子からの伝統や菓子作りの芸術性を重んじた和菓子文化を形成しているように思えます。
 こうしたお互いの地域性,伝統,意識,誇りと言ったものが,桜餅,きんつば,柏餅,粽,煎餅などの違いとして表れている原因ではないでしょうか。

2014年3月 8日 (土)

ダイバーダンの耳かき -和歌山県和歌山市-

和歌山マリーナシティで購入しました。
和歌山へ旅行に行った主な目的は耳かき探しで,和歌山城と和歌山マリーナシティで探しました。和歌山マリーナシティは,遊園地,ポルトヨーロッパ,黒潮市場,ホテル,温泉,海釣り公園と何でも揃う一大リゾート街です。ダイバーダンの耳かきを見つけた時は嬉しかったです。直接はお会いしてませんが…。
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2014年3月 6日 (木)

蒜山大根とジャージー牛の耳かき -岡山県真庭市-

ヒルゼン高原センターで購入しました。
蒜山の広大な火山灰で育った蒜山大根に,これまた有名なジャージー牛が乗っかっています。この牛がご当地グルメの「ひるぜん焼きそば」を食べていたら最高です(笑)。
牧場あり,道の駅や休暇村あり,遊園地ありと,様々なレジャー施設が揃っています。
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2014年3月 5日 (水)

厳島神社大鳥居の耳かき -広島県廿日市市-

宮島で購入しました。
有名な大鳥居が立体的に作られていて,お土産にも喜ばれると思います。
この大鳥居は,砂浜の上に立っているだけで,地中に埋め込まれていませんが,風にも動じず,潮にも流されず,安定しています。
潮が満ちると,シーズンには大鳥居を船でくぐることができます。逆に潮が引くと,この大鳥居の先まで歩けるようになり,シーズンには,地元の人達が潮干狩りをしています。
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2014年3月 3日 (月)

因幡の福うさぎの耳かき -鳥取県倉吉市-

倉吉のお土産でいただいた耳かきです。
ワニザメを欺き,毛皮を剥されて苦しむ白うさぎを助けた大国主命は,国づくりのほかに,医療の神様としても有名です。
このうさぎは,神話よりも,お土産の「因幡の白うさぎ」を想像してしまいます。
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