鯨の食文化3 -捕鯨問題を文化人類学的視点から考える-
(捕鯨の文化人類学的アプローチ)
鯨肉は,食用とするか否か,必要としているか否かで,反応が白黒はっきり分かれる食べ物だと思います。その分,鯨の食文化を有したり,鯨を利用している人々と,鯨の食文化がなく,鯨を必要ともしてない人々との意見の対立は,国家レベルでの論争に発展するほど激しくなるのだと思います。
鯨の食文化について考える際,その根幹となる「文化」の持つ性格について理解しようとする姿勢が必要だと思います。
(「文化」に制約された「食べ物」)
食べられる物の概念を広げ,人間が食べることが可能な物(食べても生命に害のない物)を考えると,極端な話,道端の草木,犬・猫,ゴキブリそして人間自身も含めて無数に存在することとなります。その中で,私達はその土地の文化・慣習にそって「食べ物」と認めたものだけを限定して食べていると言えます。
つまり,「食べ物」は「食べられる物」のほんの一部でしかなく,「食べ物」は,個々の人間集団によって築かれた「文化」による制約を大きく受けていることをまず理解しておく必要があると思います。
(他者への「文化」の押し付け)
そして,この「文化」による制約を受けている顕著な例が,鯨だと私は思うのです。
捕鯨推進派と捕鯨反対派の論争は,実は突き詰めて考えれば,それぞれがそれぞれの背景にある「文化」に制約を受けており,その自分達の「文化」を相手に無理矢理にでも理解させようとしていることが発端だと思います。
(自己集団中心主義(エスノセントリズム))
こうした行動を「自己集団中心主義(エスノセントリズム)」と言います。
自分達の価値観のみで優劣を付け,自らの集団の行いや他の自分達より上位にあると思う集団の行いだけを「文化」として認め,他の理解しえない集団,下位にあると思う集団の行いは文化ではなく「野蛮」な行いとして認めないという考えです。どの集団(民族)にもみられるもので,異文化間の対立の原因となります。
鯨で言えば,次のようになると思います。
○捕鯨推進派の主張…鯨を余すところなく食べ,骨や鬚まで無駄なく利用し,命を提供してくれた鯨に対して供養までしている。これら全てを含んでの「文化」なのだ。捕鯨反対派は,その「文化」を理解・尊重しようという姿勢がないどころか,一方的に科学的根拠に乏しい理由をつけては,我々の貴重な「文化」を侵害するという「野蛮」な行為をしている。
(鯨の碑)
(鯨の碑の説明文)
○捕鯨反対派の主張…鯨はかつては鯨油としての利用価値はあったが,そもそも「食べ物」ではない。知性の高い鯨を食べること自体が「野蛮」な行為である。環境保護や動物愛護の観点からも,捕鯨は禁止すべきだ。鯨を食べなくても,ほかにもたくさん食べ物はあるだろう。
(「文化的嗜好」と世界の食料問題)
同じ文化を持つ者同士でも,特に食に関する考えは,個人的な好き嫌いもあり,多少の見解の相違はあると思います。鯨の場合でも,積極的に捕鯨を賛成し,鯨の食文化の保護を訴える人もいれば,逆に,そこまで鯨にこだわらなくても,ほかに美味しい物はいくらでもあるではないかという意見を持った人もいるでしょう。
ただ,こうした一見個人的な問題に思える嗜好も,実はそれぞれの文化によって大まかな傾向があることは確かです。例えば,日本の魚食文化によって育まれた「魚好き」という「文化的嗜好」は,昨今の回転寿司ブームなどもあり,世界中に魚を探し求める結果となっています。そして,このような「文化的嗜好」が過熱すると,資源の乱獲に至り,世界的な食料問題に発展することもあり得るのです。
動物愛護や資源保護の観点から捕鯨を反対する声もありますが,実はこうした各国の「文化的嗜好」も踏まえた上で,何が本当に減少していて,何を優先的に資源保護をする必要があるのか,もっと世界規模の視点で,公平・公正に優先順位をつけて,資源保護・環境問題を考える必要もあると思います。
(海の生き物たちと関門橋)
(「文化」に求められる認識)
食文化を含めた文化は,比較して優劣を付けるべきものではないという認識。そして,相手の文化を完全に理解することは,その文化で育ってない人間にはとても難しいことだという認識が必要だと思います。
その上で,
○自分の文化を相手に押し付けない。
○相手の文化を否定しない。
○できるだけ幅広い視野を持ち,相手の文化を理解し,尊重できるよう努める。
という姿勢が大切だと思います。
(まとめ)
日本の捕鯨をめぐっては,捕鯨反対派が,日本に対し,自己集団中心主義(エスノセントリズム)的な見解から干渉している一方,日本は,調査捕鯨などの現体制維持に必死で,鯨の食文化の利点を国内外に十分アピールすることには,あまり対策がなされていないのが現状だと思います。
捕鯨推進派と捕鯨反対派両者に,「文化」の持つ性格を理解し,「文化的嗜好」を踏まえた公平・公正な資源配分や食料問題の解決に取り組もうとする人が今後増えていけば,多少なりとも,流れは変わってくるようにも思います。
また,鯨の食文化を本気で守りたいならば,一握りの人間・団体で解決させようとするのではなく,国内外に鯨食のファンを増やし,需要を拡大させていくことも,1つの方策ではないでしょうか。
(鯨の碑と関門橋)
<参考文献>
西江雅之(文化人類学・言語学)『「食」の課外授業」』平凡社新書
石毛直道(文化人類学・民族学)『石毛直道 食の文化を語る』ドメス出版
小泉武夫(醸造学・発酵学・食文化論)『食べるということ-民族と食の文化-』NHK出版
森枝卓士(ジャーナリスト・食文化論)『食べてはいけない!』白水社
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