歴食の世界 -「幕末維新パン」と幕末維新期のパン開発物語-
歴食JAPANサミットで販売されていた「幕末維新パン」です。
官軍が用いた「菊花紋官軍指揮旗」(萩博物館蔵)が掲載されており,激動の幕末維新を感じさせるパッケージとなっています。
(幕末維新パン(包装))
奇兵隊や振武隊の陣中食糧
説明書きには,
「安政6年1859年 萩藩 中嶋治平が最初にパンを製造 慶応元年1865年 奇兵隊の陣中食糧として また慶応2年 大村益次郎指揮下の振武隊も陣中兵糧として重用しました」
とあります。
奇兵隊と振武隊,いずれも「陣中食糧」として重用したとのことですが,この「陣中食糧」は,日本のパンの開発・普及につながるキーワードの1つだと言えるでしょう。
ここで,幕末維新の情勢と日本のパンの関係について,少し触れておきたいと思います。
兵糧食として注目されたパン
幕末にペリーが浦賀に来航し,幕府に開国を要求します。
この事件をきっかけに,幕府は国土防衛に,雄藩は尊王攘夷,やがては倒幕運動に力を注ぐこととなります。
そして,保存性や携帯性に優れたパンが,兵糧食として注目されることとなったのです。
この時,幕府の軍備増強の視点からパンの研究開発に取り組んだのが江川坦庵(英龍,太郎左衛門)です。
そののち,江川坦庵は「日本のパン祖」とされ,パンを初めて試作した日(1842年(天保13年)4月12日)にちなんで,毎月12日が「パンの日」と定められました。
一方,長州,薩摩,水戸などの雄藩も,兵糧食の必要性から,江川坦庵と同様に長崎のオランダ屋敷からパンの製法を学び,独自にパンの研究開発に取り組むこととなります。
こうした流れの中で,長崎に滞在した経験のある萩の科学者 中嶋治平(なかしま じへい)が陶磁器で焼いた「備急餅」という名前のパンを作りました。
長州藩はこのパンを兵糧食として採用し,幕末維新の際,奇兵隊や振武隊などに重用されたのです。
こうして概観してみると,「激動の幕末維新期を支えたのは,実はパンだった」と言っても過言ではないと思います。
幕末維新パンについて
山口で再現されている幕末維新パンは,横約15cm,高さ約7cmの比較的大きなパンです。
(幕末維新パン)
説明書きには,「麦粉一斤,卵五ツ,糖少許,本五勺」と書かれていることから,小麦粉,卵,砂糖,そして本(もと)と呼ばれる酒母が材料に使われていることがわかります。
イーストの代わりに日本酒を作る過程で必要となる酒母(酒種)を利用して作られたパンなのです。
卵が使われているからか,生地がやや黄色っぽく仕上がっています。
また,バターなどの油脂が使われてないこともあり,若干パサパサした感じもします。
甘味や塩味はあまり感じられませんが,よく噛みしめて食べると,酒饅頭と同じような,日本酒のよい香りが漂います。
現在のパンと比べると,少しもの足りない気もしますが,「パンを焼くオーブンもイーストもなかった時代に,試行錯誤の上にこうしたパンを作っていたのだろうな」と当時の様子を想像しながら,興味深くいただきました。
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