アッタラシイ呉菓子大博覧会 -間宮最中,ドーナツケーキ,伊太利コロッケ,呉海軍工廠工員弁当-
広島県呉市。
かつて戦艦大和をはじめとする軍艦を建造し,横須賀,舞鶴,佐世保に並ぶ海軍の要衝として栄えたまちです。
また,肉じゃがをはじめ,今も海軍にちなんだグルメが数多く伝承されている「海軍グルメのまち」でもあります。
そんな呉で,2016年4月24日に,海軍のレシピを参考に当時の味を再現し,紹介するイベント「アッタラシイ呉菓子大博覧会」が開催されました。
会場は,戦艦大和などの資料が展示されている「大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)」玄関前の広場でした。
(「大和ミュージアム」と「てつのくじら館」)
写真手前左半分の建物が「大和ミュージアム」,カーブする道路を隔てて右上の潜水艦と建物が「てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)」です。
(「アッタラシイ呉菓子大博覧会」会場の様子)
会場の「大和ミュージアム」玄関前広場の様子です。
「アッタラシイ」は「新しい」と「あったらしい(存在したらしい)」をかけているのでしょう。
また,後程御紹介しますが,水兵がお菓子を持って「オカシクレー」と言っているポスターが用意されていました。
これは「クレー」と「呉」をかけているのでしょうね。
果たしてどんなお菓子を紹介して「くれ」るのか,期待が高まります。
間宮最中
「間宮」は,帝国海軍の各艦船に食料を供給するための給糧艦でした。
食料を供給するだけでなく,調理も行われていたようで,嗜好品のお菓子まで艦内で製造されていたようです。
その「間宮」で作られていた羊羹を再現し,その羊羹を餡として最中皮ではさんだものが,この「間宮最中」です。
(間宮最中説明書き)
写真右側が先程お話しした「アッタラシイ呉菓子大博覧会」のポスターです。
「風月堂」のウェブページには,「大福なら1日1万個,焼きまんじゅうなら2万個,羊羹なら2千2百本(大きいので間宮の洗濯板と呼ばれた),最中なら,なんと6万個の生産能力がありました。」と説明されています。(同ウェブページ「海軍赤レンガ饅頭」の説明文から抜粋)
(間宮最中(包装))
原材料は,「小豆,白双(ザラメ糖),糸寒天,水飴,糯米」となっています。
ザラメ糖や糸寒天が用いられているところに特徴がありそうです。
(間宮最中)
羊羹用の小豆餡だけに,若干甘味が強く,味が濃いように思いましたが,市販されている最中とほぼ同じ味でした。
ドーナツ・ケーキ
「間宮最中」と同様,給糧艦「間宮」で作られていたお菓子の1つです。
(ドーナツ・ケーキ説明文)
海軍省教育局の「海軍二等主計兵調理術教科書」に記載されているレシピを再現したドーナツと説明があります。
(ドーナツ・ケーキ(包装))
小麦粉,砂糖,牛乳,卵,ベーキングパウダーの生地で揚げたシンプルなドーナツです。
(ドーナツ・ケーキ)
生地にバターやマーガリンといった油脂が使われてないので,ベーキングパウダーのサクッとした感じが前面に出たドーナツとなっており,しつこさがありませんでした。
私が子供の頃,見よう見まねで作ったドーナツに似ていると言えば,当時の海軍二等主計兵殿に怒られるかも知れませんが,そんな素朴な,揚げパンのようなドーナツでした。
伊太利コロッケ
伊太利はイタリアという意味です。
コロッケに外国の名を冠するならば,フランスのクロケットにちなんで「仏蘭西(フランス)コロッケ」とした方が,料理の観点から言えば適していると思いますが,日独伊三国同盟などの時代背景も反映されたネーミングだったのでしょう。
(伊太利コロッケ説明書き)
一等巡洋艦「青葉」の兵員の評判「人気度100%大歓迎」だったと説明書きにあります。
いくら何でも100%というのは,戦時中お決まりの誇大表現だと思いますが,洋食がとびきりの御馳走だと思われていたことは確かでしょう。
(一等巡洋艦「青葉」)
大和ミュージアムに展示されている一等巡洋艦「青葉」の模型です。
「青葉」という艦名は,京都府舞鶴市の青葉山に由来しています。
(伊太利コロッケ(包装))
イタリアのコロッケと言えば,ライスコロッケの「アランチーニ(スップリ)」を思い出します。
では,当時の海軍が考えたイタリアのコロッケとなるとどんな料理なのでしょうか。
(伊太利コロッケ)
荒めにつぶしたじゃがいもに,ベシャメルソースを加えたクリームコロッケです。
中の具は細かく切った豚肉と玉ねぎ,ミックスベジタブル(人参,グリーンピース,とうもろこし)でした。
ベシャメルソース中心のクリームコロッケと違い,じゃがいものコロッケにベシャメルソースを少し配合した作りとなっているため,ミックスベジタブル入りポテトグラタンという表現が近いと思います。
呉海軍工廠工員弁当
かつて「戦艦大和」も建造された呉海軍工廠。
そこで工員向けに販売されていた弁当が再現され,販売されていました。
(呉海軍工廠工員弁当説明書き)
呉海軍工廠で最盛期に約73,000人もの工員が働いておられたとは驚きです。
その工員たちの食事は,自宅から持参する弁当のほかに,弁当部勤務の年配女性たちが作る数万食もの工員弁当があったと説明されています。
(呉海軍工廠工員弁当箱)
ここまでくると,食事を用意するのも一大作業です。
その再現された工員向け弁当の中身がこちらです。
(呉海軍工廠工員弁当)
竹皮で作られた弁当箱の中に,麦ご飯,ひじきの煮物,小魚の佃煮(2種),沢庵が入っています。
弁当のふたを開けた瞬間,ご飯と沢庵のぬかと佃煮が混ざったにおいが漂いました。
現代の市販弁当にはない,周りに漂うとちょっと困るような昔の弁当のにおいです。
麦ご飯はもちろん,ひじきの煮物や佃煮も1つ1つの量が多く,1回の食事には十分過ぎるほどの量がありました。
麦ご飯でお腹を一杯にすることがメインで,そのご飯のおともとして常備菜のおかずが盛られているという感じです。
今だから新鮮な気持ちでおいしいと思いますが,この内容が毎日続くと,正直な話しんどいと思います。
当時は,ご飯と缶詰の組み合わせで食べる人も多かったと聞いたことがありますが,これは毎日の食事に変化をもたせるという意味もあったのでしょう。
こうした思いも含め,当時の食事を忠実に再現されている弁当だと思いました。
食の世界から歴史を理解する
今回御紹介したいずれの食べ物も,「昔はこんな味付けだったのだろうな」と思わせるような,現代人の嗜好とは少し異なる味がしました。
それこそが高く評価できる点だと思います。
なぜなら,現代の嗜好に合わせるのではなく,より当時の味に近い料理や菓子を再現した結果だと言えるからです。
当時使われた材料や調理法,食事の組み合わせ,人々の嗜好などを考証し,その結果をもとに,実際に食べられていたであろう料理や菓子を再現したり,味わってみることは,味覚,触覚,嗅覚といった感覚までフル活用して理解することができるという利点もあり,歴史を深く理解する上でとても有効な方法だと思います。
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