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2018年11月

2018年11月25日 (日)

魚柄仁之助先生の世界1 -講演会「食生活が急速に変化した昭和の時代~昭和初期の非常食が生んだ今日のグルメ料理~」に参加して-

魚柄仁之助さんの本との出会い

 私が本格的に食生活・食文化に興味を持つようになったきっかけは,何気なく買った一冊の本との出会いでした。

 食生活研究家・魚柄仁之助(うおつか じんのすけ)さんの「魚柄の料理帖 人生,楽しく食べること」(光文社文庫)という本です。

 本には,保温調理,鍋の二段活用,鍋で作る薫製など,斬新な技法を駆使して作る簡単で健康的で美味しい料理が面白おかしく紹介されていて,「料理にこんな世界もあるんだ」と新鮮な感動を覚えました。

 食生活・料理の本を男性が執筆されていることも,私にとっては新鮮でした。

 こうして魚柄さんの本に興味を持ち,それ以降,魚柄さんの本を探して夢中で読むようになりました。

 「ひと月9000円の快適食生活」,「うおつか流 清貧の食卓」,「冷蔵庫で食品を腐らす日本人」,「冷蔵庫で食品を腐らせない日本人」といった代表的な本から,「明るい食品偽装入門」,「「笑って死ねる」安全食実践講座」といったきわどいタイトルの本,そして「おかわり飯蔵」などの漫画まで,数多くの本を書店,古本屋,ネット販売などを利用して買い,読ませていただきました。

(魚柄仁之助さんの本)
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 その影響で,現在に至るまで,毎日食事記録をつけ,平日の昼食は押し麦ご飯の手弁当を持参し,食材を無駄にせず,私生活も仕事も段取りを考えて行動するようになりました。

 私が今こうして食文化のブログを書いているのも,魚柄仁之助さんの本との出会いがあってこそと言っても過言ではありません。


魚柄仁之助講演会に参加

 このように,私は魚柄仁之助さんから大きな影響を受け,食生活・食文化について研究を進めるようになりました。

 そして,本でしか知らない魚柄仁之助さんの講演会にいつか参加出来たらと思うようにもなりました。

 数年前に魚柄仁之助さんが関東を中心に講演されていることを知ったのですが,広島からだと会場が遠いこともあり,なかなか次の一歩が踏み出せませんでした。

 そんな中,2018年10月下旬に魚柄仁之助オフィシャルサイトで,横浜で魚柄仁之助さんの講演会が開催されることを知りました。

 講演会のテーマは「食生活が急速に変化した昭和の時代~昭和初期の非常食が生んだ今日のグルメ料理~」となっており,私がとても興味を持っている分野です。

 しばらく考えましたが,「また次回と言ったら,いつになるかわからないし,このテーマは今回限り。少し勇気を出して参加してみよう。」と思い,横浜の事務局へ電話し,申し込みました。

 その際,私の住所を聞かれたので「広島市南区…」とお伝えすると,「えっ!?」と驚いておられました。

 後日,今回は宮城から来られる人もおられると伺いました。

 講演会当日,私は広島から東海道・山陽新幹線で横浜に向かいました。

 片道4時間弱あるので,私は今回購入した本(魚柄仁之助「食育のウソとホント 捏造される「和食の伝統」」こぶし書房)を新幹線車内で全て読むことができました。

 こうしてある程度予習した上で,講演会場の横浜市中区の「産業貿易センタービル」へ向かいました。

(産業貿易センタービル)
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講演会の内容

 少し緊張しながら会場に着くと,主催の「食の文化を考える会ミズホ」の皆様が温かく迎えてくださいました。

 そして講師の魚柄仁之助さんも会場におられました。

 受付の方が一番前の席をすすめてくださったので,私は宮城から来られた方と一緒にその席で聴講させていただきました。

 講演前,私は目の前におられた魚柄さんに「広島から参りました」とお話しすると,魚柄さんから「広島は豪雨災害で大変なところですよね。こんなとこ来とる場合じゃないだろうがぁー」と言われてしまいました。

 実は前日も豪雨災害現場に行っていたので少し複雑な気持ちになりましたが,その分しっかり勉強させていただこうと意気込んで聴講しました。

 講演の主な内容は,

○「昭和の食生活の変遷」(戦前の和洋中取り混ぜた食を楽しめた時期→戦中の「軍事優先」・「質素倹約生活」を強いられた時期→戦後の飢えをしのいだ時期→復興期の昭和初期レベルに戻った時期→大阪万博前後の「飢え」を忘れ,欧米食を追いかけた時期→昭和末期までの食べ過ぎ・物の使い過ぎ・廃棄物の出し過ぎに気付く人も出てきた時期)について。

○大正から昭和初期にかけて,すでに「セロファン筒 炊飯(レトルトご飯)」,「大豆珈琲」,「黒豆コーヒー」などが存在していたこと。

(大豆で作った珈琲)
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講演配付テキストから抜粋

(黒豆コーヒー)
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講演配付テキストから抜粋


○砂糖をふんだんに使えたり,鰹節・昆布・いりこなどの「だし」を使えたのは一部の上流階級の人達のみであり,その憧れから料理レシピが作られたこと。

○おふくろの味・懐かしの味などもてはやされたものは,実は居酒屋の味・縁日の味であること。

○戦後,日本に中華料理が広めたのは,中国大陸から引き揚げてきた日本人であること。

○昭和末期に家庭からまな板と包丁が消え,平成末期には冷蔵庫や台所も消えたこと。

○「昔ながらの」,「伝統的な和食」などは,そのほとんどが根拠のない「捏造」であること。

○食育は子供よりもむしろ大人に必要なこと。

などでした。


講演内容の質問と参考テキスト

 講演終了後,質問時間が設けられました。

 ほかに質問される方がいない様子だったので,挙手をして魚柄さんに質問させていただきました。

私:「家庭で冷蔵庫が使われるようになってから食品保存を冷蔵庫に頼る食生活へと変化しましたが,そもそも冷蔵庫がなかった時代には,料理を作ることイコール保存食を作ることだったのではないでしょうか。」

魚柄さん:「かつては当たり前に料理されていたことが,冷蔵庫の登場以降,されなくなりました。現代では食の外部化が進み,冷蔵庫すら使わない人も多くなっています。それだけ現代人は生活力を失い,考えなくなってしまったとも表現できるでしょう。」

 確かに近くにスーパーやコンビニがある都市部を中心に,こうした現象がすでに起こっているのでしょう。

 いろいろ考えさせられた講演会でした。

 今回の講演会の参考テキストを御紹介します。

(講演会参考テキスト)
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 魚柄仁之助さんの「台所に敗戦はなかった 戦前・戦後をつなぐ日本食」と「食育のウソとホント 捏造される「和食の伝統」」の2冊です。

 写真左端は魚柄仁之助さん謹製の「冷蔵庫お守り札」(本のしおり)です。
 冷蔵庫に貼っておくと効果があるそうです。
 このお札で病気が治った人もいるとか,いないとか…(笑)。


魚柄仁之助さんを囲んでのカフェタイム

 主催された「食の文化を考える会ミズホ」の皆様の御好意で,講演後のカフェタイムに誘っていただきました。

 カフェにメンバー全員が揃うまでの間,横浜で観光ガイドもされている方の御好意で,目の前の横浜港を案内していただきました。

(横浜港・みなとみらい)
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 会場近くのカフェへ行き,魚柄仁之助さんを含む9名のメンバーで食の話を中心に会話を楽しみました。

 私は真ん中に座られた魚柄仁之助さんの目の前の席をすすめていただきました。(お邪魔してはいけないと端の席に座っていたのですが…。)

 メンバーの皆さんから食にまつわるいろんな質問が出されたのですが,それらの質問に魚柄さんが丁寧に詳しく答えてくださいました。

 フグの毒と調理師免許,捕鯨と食文化,食事と寄生虫,砂糖と料理,うま味調味料,鶏皮料理,野菜・食器併用洗剤,乾物の活用,食器の吊り下げ,歌と料理,コーヒーと流行歌,紀伊半島のサンマ寿司,食育の考え…などいろんなテーマについてお話いただきました。

 

 私も,北前船と沖縄の昆布・さとうきび,石川のフグの卵巣の糠漬け,旦過市場と「大學丼」(北九州市は魚柄さんの出身地),下関・小倉の鯨,料理の段取りと仕事への応用などいろんなお話をさせていただきましたが,一番盛り上がったのは食とは関係のない私の耳かきコレクションの話でした(笑)。

 魚柄さんはどんなテーマでも深く,わかりやすく,面白くお話いただけるので,話が尽きることはありませんでした。

 そして「食の文化を考える会ミズホ」の皆さんの話のレベルも高く,食生活・食文化についてよく勉強されている印象を受けました。

 約2時間のカフェタイムはあっという間でした。

 憧れの魚柄さんと食について直接いろいろなお話しができ,とても幸せなひとときでした。

 講演会場で遠目に魚柄さんを拝見できたら,それで満足と思って訪問したからです。

 魚柄さんは,九州弁交じりのユーモラスたっぷりの文章をお書きになるのですが,実際にお会いしてみると,想像よりずっと真面目な方でした。

 あと,本などのお写真で拝見するよりずっとお若い印象を受けました(笑)。

 皆さんで記念写真を撮り,解散となりました。

 魚柄さんと「食の文化を考える会ミズホ」の皆さんに深くお礼申し上げ,カフェを後にしました。


新幹線車内で食べた手作りサンドイッチ

 今回の講演会では,「食の文化を考える会ミズホ」の皆さんが温かく迎え入れてくださったことにも感動しました。

 広島へ帰る際にメンバーの皆さんから,お土産として手作りのサンドイッチと横浜中華街の焼売をいただきました。

 魚柄さんも「あぁ,帰りの新幹線で食べるといいね」とおっしゃってくださいました。

 帰りの新幹線車内で,夕食として車内販売のコーヒーと一緒にいただきました。

(手作りサンドイッチと新幹線車内販売コーヒー)
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 やわらかいリーン系のロールパンに切れ目を入れてクリームチーズを塗り,プロシュート,レタス,スライスオニオンをはさんだおしゃれなサンドイッチでした。

 帰りの新幹線で食べることを考え,1つずつラップして御用意くださったのでしょう。

 そのお気持ちも含めて,美味しくいただきました。

 後日いただいた横浜中華街の焼売も,肉と海老がプリプリで,今まで食べたことのない美味しい焼売でした。講演会の前に買いに行ってくださったようです。

 携帯電話にメールをくださった方もおられました。

 お世話になった皆様には,今も感謝の気持ちで一杯です。


 今でも夢ではなかったのかと思うぐらい幸せな1日でした。


<参考文献>
 魚柄仁之助「食育のウソとホント 捏造される「和食の伝統」」こぶし書房
 魚柄仁之助「台所に敗戦はなかった 戦前・戦後をつなぐ日本食」青弓社
 魚柄仁之助「魚柄の料理帖 人生,楽しく食べること」光文社文庫
 魚柄仁之助講演会「食生活が急速に変化した昭和の時代~昭和初期の非常食が生んだ今日のグルメ料理~」資料

2018年11月18日 (日)

ビッグ錠先生の世界1 -石巻カレー全集「食堂パレスの黄色いレトロカレー」とArs Novaの特製ハヤシライス-

料理・グルメ漫画の第一人者 ビッグ錠先生

 私が食文化に興味を持ったきっかけは,子供の頃に読んだ料理・グルメ漫画です。

 そのため,大人になった今でもよく読んでいます(笑)。

 日本の料理・グルメ漫画家の第一人者と言えばビッグ錠先生が挙げられるでしょう。

 私が今まで読んだビッグ錠先生の本は,代表作の「包丁人味平」や「一本包丁満太郎」をはじめ,「釘師サブやん」,「スーパーくいしん坊」,「ピンボケ写太」,「塾師べんちゃん」,「一発怒漢」,「仕事塾」,「きまぐれキッチン」,「ちゃんこ包丁十番勝負」,「サバーイ闘士郎」,「流れ陶二郎けんか窯」,「発電ドクター走る!」,「電気ロード見聞録」,「味師銀平 妖刀伝」,「スタジオHELP」,「球五郎列球伝」,「ぼへみあん」,「電車痛勤あるある」などで,イラストを描かれた本(森枝卓士「食の冒険地図 交じりあう味,生きのびるための舌」など)も合わせると相当数になります。

 自宅にあるビッグ錠先生の本を並べてみました。

(ビッグ錠先生の本)
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 これだけではなく,実家にもビッグ錠先生の本がたくさんあります。

 今回は,こんなビッグ錠ファンの私が,ビッグ錠先生と深いかかわりのある料理やお店などを御紹介したいと思います。


石巻カレー全集3「食堂パレスの黄色いレトロカレー」

 宮城県石巻市に,石ノ森章太郎先生ゆかりの「石ノ森萬画館」があります。

 石巻市は東日本大震災で大きな被害を受けましたが,その震災以降に「石巻市を訪れた人たちに石巻らしいお土産を」と考案されたのが,人気の料理カレーと漫画をセットにした「石巻カレー全集」です。

 石巻のお店のカレーと「石ノ森萬画館」に御縁のある漫画家に描いてもらった漫画をセットにして売られているもので,現在全8巻(※)が発売されています。

※第1巻・うえやまとち,第2巻・土山しげる,第3巻・ビッグ錠,第4巻・倉田よしみ,第5巻・はやせ淳,第6巻・久住昌之,第7巻・井上きみどり,第8巻・麻宮騎亜

 私は東北旅行の際,仙台駅構内のお土産店で「石巻カレー全集3 食堂パレスの黄色いレトロカレー・ビッグ錠」を購入しました。

(石巻カレー全集3 食堂パレスの黄色いレトロカレー(箱))
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 ビッグ錠先生が描かれたカレーの漫画が食欲をそそります。

(石巻カレー全集3 食堂パレスの黄色いレトロカレー(漫画))
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 箱を開くと,「ビッグ錠先生とカレー」,「ビッグ錠先生と石巻」という題でビッグ錠先生のカレーと石巻にまつわるお話が漫画で紹介されていました。

 ちなみにビッグ錠先生は,「包丁人味平」の味平カレーやブラックカレーなど,カレーについても深く研究され,漫画にされていることでも有名です。

 レトルトを温め,ご飯と一緒にカレーを盛り付けました。

(食堂パレスの黄色いレトロカレー)
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 石巻市住吉町にある「食堂パレス」の「黄色いレトロカレー」です。

 確かにかなり黄色いカレーです。具は玉ねぎと豚肉です。

 小麦粉のルーのとろみがあり,香辛料が控え目な代わりに鰹節のダシが効いている和風のカレーとなっています。

 カレーうどん(そば)のカレーあんに似たカレーで,昔から愛される和のテイストのカレーを美味しくいただきました。


湘南台のArs Nova

 ビッグ錠ファンの私は,関東に旅行するたびに,いつか訪問したいと思うお店がありました。

 神奈川県藤沢市湘南台にある「Ars Nova(アルスノーバ)」というお店です。

 ビッグ錠先生は現在藤沢市にお住まいで,Ars Novaを「寄港地」にされているとの情報を得ていたからです。

 ビッグ錠先生に少しでも近づくことができたらという思いで,広島から新幹線,地下鉄ブルーライン,相鉄を利用して湘南台のお店を訪問しました。

(相鉄・湘南台駅)
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 11時過ぎにお店に到着しました。すると…

(「Ars Nova(アルスノーバ)」)
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 「CLOSED」。開店してない…。

 ショックでしたが仕方ないとあきらめ,湘南台駅に戻りました。

 でもあきらめきれず,せっかくここまで来たのだから,ほかにも何か手掛かりはないかと,駅構内の観光パンフレットやポスターを見て回りました。

 すると,ふと湘南台のタウンマップが目にとまりました。

 そして,その絵がビッグ錠さんの描かれたものだとすぐにわかりました。

 このタウンマップを湘南台訪問の記念にできないかと思い,再びArs Novaの前を通って「湘南台文化センター」まで戻り,市民窓口の方にお願いしてマップをいただくことができました。

 これでひと安心と,再び湘南台駅に戻ろうとArs Novaの前を通りました。

 すると…ドアが開けられ,「OPEN」となっていました。ランチタイムは11時30分スタートだったのです。

 目の前がパーッと明るくなりました。

 嬉しさ一杯で「寄港地」にお邪魔しました。

 お店の皆さんに広島から伺った旨をお伝えすると,驚いておられました。

 私はカウンターに案内していただいたのですが,席の真正面にビッグ錠先生の描かれた,このお店のマスターの似顔絵が飾ってありました。

(マスターの似顔絵(ビッグ錠))
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 マスターがカクテルをシェイクされています。
 絵の右下でArs Nova20周年に乾杯している人物がビッグ錠先生なのでしょう。

 ビッグ錠先生お気に入りのお店であることを実感しました。

 ランチタイムということで,私は「今日のおすすめ」の特製ハヤシライスを注文しました。

(特製ハヤシライス)
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 肉厚の牛肉と玉ねぎをサッと炒め,牛肉のジューシーさと玉ねぎのシャキシャキ感を残しつつ,トマト風味を生かしたデミグラスソースで仕上げられた美味しいハヤシライスでした。

 食後には,マスターがサイフォンで丁寧に淹れられたコーヒーをいただきました。

(コーヒー)
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 店内のお客さんの中にも,ビッグ錠先生のことをよく御存知の方がおられ,自然と会話が盛り上がりました。


マスターとビッグ錠先生からのサプライズ

 コーヒーをいただきながら,しばらくお店でくつろいでいたその時です。

 お店の外でしばらくお電話されていたマスターが私にスマートフォンを差し出され,「ビッグ錠さんですよ。どうぞ。」とお電話を代わっていただいたのです。

 私の熱意を汲み取っていただいたマスターからのサプライズに,心の準備ができてなかった私はびっくりしました。


私:「もしもし」

ビッグ錠先生:「あーどうも,ビッグ錠です。」

私:「本日は広島から湘南台へ参りまして,今Ars Novaさんでお世話になっています。」

ビッグ錠先生:「ありがとう。うちに来ればいいのに。」

私:「いえいえ。こうしてお話できただけでも大変光栄です。一生の思い出となりました。ありがとうございました。」


 実際はかなり舞い上がってしまい,会話はしどろもどろでした(笑)。

 夢じゃないかと思うような時間でした。

 粋なプレゼントをしていただいたマスターをはじめArs Novaの皆さんに深くお礼申し上げ,湘南台を後にしました。

 帰りの電車の中で,Ars Novaの皆さんとビッグ錠先生に温かいおもてなしを受けたことへの感謝の気持ちと,広島から訪問して本当に良かったという気持ちが入り混じり,しばらく興奮が冷めやらない状態が続きました。

 湘南台の皆様のやさしさや温かさに触れることができた,感動的な旅になりました。

 Ars Novaの皆さん,そして尊敬するビッグ錠先生,この度は本当にありがとうございました!


<関連リンク>
 「石ノ森萬画館」(宮城県石巻市中瀬2-7)
 「墨汁一滴」(石ノ森萬画館オンラインショップ・石巻カレー全集販売)

<参考文献>
 にちぶんMOOK「グルメ漫画家の隠れ家酒場」日本文芸社

<関連記事>
 次の記事の作成は,ビッグ錠「包丁人味平」(包丁試し編)で紹介されている包丁塚・包丁式を読んで学んだことがきっかけとなりました。
 「包丁塚と包丁供養
 「包丁式 -日本料理と包丁の関係-

2018年11月15日 (木)

聖マルティンの日とドイツのヴェックマン(パイプマン)

 毎年11月11日は聖マルティンの日です。

 ヨーロッパを中心に聖マルティンにちなんだ様々な行事が行われます。

 聖マルティンはキリスト教の聖人で,「凍てつく寒い夜,聖マルティンが着ていたマントを剣で2つに切り裂き,裸同然で寒さに震えていた乞食に分け与えた」という話で有名です。

 聖マルティンの日は食文化関連の本でもたびたび登場します。

 こうした本には,たいてい「(聖マルティンの日は,)収穫祭と一致し,迫り来る厳しい冬に備えて豚を大量に処理(屠殺)し,生肉を食べ,ハム・ソーセージ・ベーコンなどの保存食が作られてきた日」だと説明されています。

 私もその話しか知らなかったのですが,広島のカフェ「Cafe Igel あかいはりねずみ」で,聖マルティンの日にちなんだ面白いパンが販売されているのを見つけました。

(パンマン)
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 人の形をしたパンです。

 ドイツでは「ヴェックマン(Weckmann)」とか,「パイプマン(司教の杖を意味するパイプを持った姿のパンであることから)」などと呼ばれています。

 ただ,このパンは(パイプが日本で売られておらず,)パイプを持っていないため,「パイプマン」ではなく「パンマン」と呼ぶのだそうです(笑)。

 毎年11月11日に行われるドイツの聖マルティン祭には欠かせない食べ物のようです。

 さらに店主さんから,「ドイツではガチョウ料理やガチョウの玉子を食べる日でもある」というお話も伺いました。

 さかのぼれば,パンがキリストの肉であるという思想に基づいたパンなのでしょう。

 実際にこのパンをいただきましたが,あまりにもリアルなので,手や足,頭をちぎりながら食べるのことに少し抵抗を感じてしまいました(笑)。


<関連リンク>
 「Cafe Igel あかいはりねずみ」(広島市南区的場町1-7-2)

<参考文献>
 宮崎正勝「知っておきたい「食」の世界史」角川ソフィア文庫

2018年11月11日 (日)

パレスチナ料理の特徴と主な料理1 -ピタパン・パレスチナ オリーブオイル・フムス・セージティー-

イスラエルとパレスチナの歴史

 パレスチナは地中海東岸にある地域の名称で,アラブ人による自治政府が置かれています。

 隣接するイスラエルとパレスチナの関係は,中東問題としてよくニュースになりますが,なかなか理解が難しい地域でもあります。

 イスラエルとパレスチナの歴史を簡単にまとめると,

 イスラエル王国(ユダヤ教)→イスラム帝国(イスラム教)の侵入→聖地奪還に向けた十字軍(キリスト教)の遠征→アイユーブ朝・オスマン帝国(いずれもイスラム教)による支配→イギリスによる「二重外交」(※)によりアラブ人とユダヤ人が同じ地域で国家建設を巡って対立(パレスチナ問題)→イスラエルとパレスチナ(自治政府)の併存で現在に至る。

という複雑な歴史を経ています。

※第一次世界大戦中,イギリスは敵対国としていたオスマン帝国に対抗するため,パレスチナ地域のアラブ反乱軍に対し,アラブ国家建設の支援を約束(フサイン・マクマホン協定)した一方で,戦費捻出のためユダヤの金融資本を利用することを画策し,ユダヤ人に対し,パレスチナにユダヤ人国家を建設することも約束(バルフォア宣言)した。
 さらにイギリス,フランス,ロシアがオスマン帝国の領土分割を決めたサイクス=ピコ協定を含めてイギリスの「三枚舌外交」とも呼ばれる。


 簡単にまとめると言いながら,結局複雑な話になってしまいました。

 つまり,アラブ人とユダヤ人の対立がある中で,聖地エルサレムがあるキリスト教圏の人々も関係している地域なのです。

 そのため,食文化においても,アラブ料理を基調としつつも,こうした歴史的背景や,ヨーロッパ,アフリカ,アジアに近いという地理的条件から生まれた料理も多くみられます。


ピタパン・パレスチナ オリーブオイル・フムス・セージティー

 以前,当ブログで東京に世界各国の朝ごはんが味わえるお店があると御紹介しましたが(「ギリシャ料理の特徴と主な料理2 -ティロピタ・グリークサラダ・ギリシャヨーグルト・フルーツ・ガラトピタ-」参照),広島にも同様のお店があります。

 広島駅に近い広島市南区的場町にある「Cafe Igel あかいはりねずみ」というカフェです。

 東京まで行かなくても,私の住む広島市南区内で世界の朝ごはんが味わえるとは嬉しい話です。

 今週は珍しいパレスチナ料理が味わえるとのことだったので,ワクワクしながらお店を訪問しました。

 お店のモーニングは,パンとドリンクからなるレギュラーメニューと世界の料理が味わえる週替わりメニューがあったので,私はパレスチナ料理が味わえる週替わりメニューを注文しました。

(モーニングセット(パレスチナ料理))
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 メインプレートとセージティーのセットです。

 メインプレートには,右側にピタパン,その左横・皿中央にキュウリとトマトのサラダ,その左横にはブラックオリーブの実,その上にイタリアンパセリがのせられた白チーズ,そして皿の上側に赤いパプリカの粉末がかけられたフムスが盛り付けられています。

 ピタパンは,丸く平べったいパンで,インドのナンにも似ています。
 中東で広く食べられている代表的なパンで,そのまま食べるだけでなく,パンを2つに開き,好きな具をサンドして食べられます。

 野菜のサラダ(キュウリとトマト)や白チーズ(今回は乳牛でした)には,パレスチナのオリーブオイルがかけられていたのですが,このオリーブオイルがフルーティーで,野菜やチーズの味を美味しく引き立てていました。

 ブラックオリーブの実も地中海ならではの食材です。

 フムスはひよこ豆をマッシュポテトのようにペースト状にした料理で,調味には「タヒーニ」と呼ばれる白い練りゴマ,オリーブオイル,レモンの絞り汁,ガーリックが使われていました。
 フムスもピタパンと同様に中東のソウルフードとなっており,お店の方の話によると「日本の味噌汁,いや朝鮮半島のキムチと同じような,毎度の食事に欠かせない料理」なのだそうです。
 私はフムフムとうなずきながらフムスをいただきました。

 そしてドリンクはセージティーです。
 ハーブの一種セージが入った甘いホット紅茶です。
 私が一口飲んで「あっ,これはトルコのチャイと似ている」とつぶやいたところ,お店の方から「もともとトルコ(オスマン帝国)から伝わった飲み物なのですよ」と教えてただきました。
 これも,かつてオスマン帝国の支配を受けたことによる食文化の伝播だと言えそうです。


食文化から世界を理解する

 食事後,コーヒーをいただきながら,しばらく店主とお話しさせていただいたのですが,「世界各国の食を理解しようと思えば,その国の地理・歴史・文化・宗教をも理解する必要がある」という話で盛り上がりました。

 世界の料理を勉強するために世界各国を旅行されたようで,現地で得た生の情報や知識をフル活用し,ここ広島で世界の朝食をはじめ,パン,ドリンク,軽食などを提供されています。

 店主はドイツなどでパンを学ばれた経験があり,パン(粉もの)の研究にも力を注がれているため,パン(粉もの)を中心に世界の料理を組み立てることが出来るという強みもお持ちです。

 世界の料理を人に提供したり,紹介するためには,それだけ自分自身が理解しておかなければならないこともたくさん出てくるのですが,これを繰り返すことにより,自分自身の知識や世界観も広がることは間違いありません。

 食文化を通じた異文化理解はもっとも身近で理解しやすいアプローチであり,そうした観点からも,とても興味深い取組みをされているお店だと思います。


<関連リンク>
 「Cafe Igel あかいはりねずみ」(広島市南区的場町1-7-2)
 「Da bin ich! -わたしはここにいます-」(「Cafe Igel あかいはりねずみ」店主のブログ)

<参考文献>
 宮崎正勝「早わかり世界史」日本実業出版社

2018年11月 7日 (水)

愛媛県新居浜市 「東洋のマチュピチュ」別子銅山遺跡とマチュピチュカレー

「東洋のマチュピチュ」別子銅山遺跡

 ペルーのアンデス山脈にあるマチュピチュ遺跡。

 標高2,280mの高地にあるインカ帝国の天空都市の遺跡です。

 信じられないような高地に都市遺跡があることで有名ですが,実は日本にも「東洋のマチュピチュ」と称される観光地があります。

 愛媛県新居浜市にある別子銅山遺跡です。

 別子銅山は,標高750m前後の東平(とうなる)地区を拠点に,赤石山系の山中から海面下約1,000mまで広範囲に採鉱された銅山です。

 元禄3(1690)年に銅の露頭が発見された翌年から住友が採掘を開始し,昭和48(1973)年の閉山までの283年間で総出鉱量約3,000万トン,産銅量約65万トンを記録しました。


別子銅山と住友,新居浜市の郷土料理「いずみや」

 別子銅山は,現在の住友グループの基礎を築いた母なる銅山でもあります。

 東平には最盛期には5,000人余りの銅山関係者とその家族が住み,劇場や「私立住友別子尋常高等小学校」(教員は住友社員)も設置されてました。

 現在はレンガ造りの銅山関連施設や生活関連施設の面影を残すのみとなっていますが,その遺跡群は確かにペルーのマチュピチュを彷彿させるものがあります。

(東平から新居浜市街地・瀬戸内海を望む)
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 写真手前上方の遺跡が「貯鉱庫跡」,下方の遺跡が「索道停車場跡」,写真右上は新居浜市街地と瀬戸内海です。

 新居浜市内には「リーガロイヤルホテル新居浜」がありますが,都市型の大型ホテル「リーガロイヤルホテル」が新居浜市にあるのも,住友の企業城下町ならではと言えるでしょう。

 また,新居浜市には「いずみや」と呼ばれる郷土料理もあります。

 コノシロやアジなどの魚に「おから」を合わせる押し寿司で,そのルーツは江戸時代に住友家からもたらされた寿司飯の押し寿司にあります。

 当時貴重だった米に代わって「おから」を用いた押し寿司が新居浜の料理となったのです。

 住友家由来の料理ということで,料理名は住友家の屋号「泉屋」に由来しています。

 ちなみに現在の住友グループの「井桁マーク」もこの「いずみ」に由来したものです。


別子銅山遺跡と銅食器

 東平から山側を眺めました。

(東平から赤石山系を望む)
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 「索道停車場跡」から赤石山系を撮影した写真です。

 東平の奥にもさらに高い山々が連なっているのがわかります。


 続いて「小マンプ」(短いトンネル)内の鉱山運搬機器を見学しました。

(小マンプ内鉱山運搬機器展示場)
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 銅鉱石運搬車両や蓄電車など住友金属鉱山株式会社から新居浜市に寄贈された運搬機器・車両が展示されています。


 その後,「東平歴史資料館」を見学しました。

(銅食器などの銅製品)
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 銅食器は見た目の美しさや熱伝導率の良さが特長として挙げられます。

 そう言えば,フランス料理店の厨房でもキャスロール鍋などの銅製調理器具をよく見かけるように思います。


マチュピチュカレー

 「マイントピア別子・東平ゾーン」施設内のレストラン「もりの風」で食事をしました。

 特色のあるメニューの中から,私は最も別子銅山らしいと思った「マチュピチュカレー」を注文しました。

(マチュピチュカレー)
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 「SNS映え」,「インスタ映え」しそうな料理です(笑)。実際,周りのツーリング仲間からも注目されました。

 お店の方から,「両側のライスが別子銅山の山を,カレー中央の白い生クリームが山あいを流れる足谷川を表現しています。」と教えていただきました。

 ライスに刺さったレンコンやサツマイモは別子銅山の遺跡でしょうか。

 ライスの形が左右異なっており,起伏のある山々がうまく表現されていると思いました。

 ライスの山を少しずつ採掘する楽しみを味わいながら,美味しくいただきました。

 カレーライスの具を「インカのめざめ」にすると,より話題性のあるマチュピチュカレーに仕上がるかも知れませんね。


 別子銅山周辺は,飲食店・お土産店・鉱山観光・資料館・温泉など楽しめる施設が集まった魅力あふれる観光地です。

 四国の観光にぜひ御利用ください。


<関連リンク>
 「住友の歴史 別子銅山」(住友グループ広報委員会)
 新居浜の郷土料理「いずみや」(えひめ愛フード推進機構)
 「マイントピア別子

<参考文献>
 尾形希莉子・長谷川直子「地理女子が教えるご当地グルメの地理学」ベレ出版

2018年11月 3日 (土)

チンアナゴの耳かき・ちんあなごクッキー -広島県広島市-

 広島市西区観音新町のベイエリアにある「マリホ水族館」のグッズショップ「空海館」で購入したチンアナゴの耳かきです。

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 ヒョロッとしたチンアナゴと細長い耳かきの棒がうまく一体化していますね。

 チンアナゴは「マリホ水族館」で人気の魚で,グッズショップにもいろんなチンアナゴグッズが売られています。

 また,チンアナゴとよく似た縞模様のニシキアナゴのグッズも販売されています。

 さらに,食品のお土産として,チンアナゴのアイシングクッキーや,そのクッキーが添えられたソフトクリーム「チンアナゴソフト」も販売されています。

 クッキーを購入してみました。

(ちんあなごクッキー)
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 広島市安佐南区西原の西洋菓子処「バイエルン」で作られたチンアナゴ(写真左)とニシキアナゴ(写真右)のアイシングクッキーです。

 チンアナゴにニシキアナゴ,そして広島の名物アナゴ料理。

 広島はアナゴづくしです(笑)。


 「マリホ水族館」(広島市西区観音新町四丁目14-35)
 「西洋菓子処 バイエルン」(広島市安佐南区西原1-9-22)

2018年11月 1日 (木)

焼き鳥の串の耳かき -広島県広島市-

 職場の方からいただきました。

 広島市内の居酒屋で,お店の方が焼き鳥の串を削って作られた耳かきなのだそうです。

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 即興で作られたようですが,とてもうまく作られています。

 実際に耳掃除に使ってみましたが,市販の耳かきに比べて幅が広く,やさしい掻き心地で,普段使いとしても十分な仕上がりでした。

 この耳かきをいただいた時,まずはその串がにおわないか思わず嗅いでしまいました(笑)。

 きれいに洗浄されており,焼き鳥のにおいは残ってなかったのですが,いただいた相手に少し失礼なことをしたなと反省しています…。

 また1つ,私のおもしろ耳かきが増えました。

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