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2020年5月 9日 (土)

黄檗山萬福寺の普茶料理(前編) -中国から伝えられた精進料理「普茶料理」の概要-

煎茶道との出会い

 「お時間があれば,お茶を体験して行かれませんか。」

 広島県江田島市の歴史文化施設「学びの館」を散策していた時,職員の方から声をかけていただいた,この一言が煎茶道に出会うきっかけでした。

 作法どころか,茶道と煎茶道の違いも知らない私でしたが,面白そうなので,このお茶会に参加してみました。

 抹茶ではなく,お茶の葉に湯を注ぎ,中国の飲茶のような作法でいただくお茶の世界。

 固苦しさはなく,お茶の先生や同席した皆さんと会話を楽しみながら,休日の午後のひとときを過ごしました。


普茶料理が味わえる黄檗山萬福寺へ

 煎茶道は初めての世界でしたので,私はお茶の先生にいろんなことを質問し,教えていただきました。

 その際,普茶料理の話も出たので,以前から普茶料理に興味を持ち,いつか食べてみたいと思っていた私は,お茶の先生に「普茶料理にとても興味を持っている」ことを話しました。

 お茶の先生も,「私もいつか京都の黄檗山萬福寺で食べてみたいと思っています。ただ,この料理は3人以上じゃないと予約できないという制約があるため,今まで実現できませんでした。今回よかったら御一緒にいかがですか。」と誘っていただきました。

 初対面でありながら,すっかり皆さんと仲良くなり,これはよい経験をしたと思いつつ帰ろうとした時,お茶の先生から,「また何かあれば,この連絡先に連絡してください。」と連絡先を書いたメモをいただきました。

 帰宅後,一晩悩みました。

 食文化を学ぶ上で,特徴のある普茶料理はよく登場します。

 また,この料理は人数による制約があり,1人で行って食べられる訳ではないのです。

 けれど,わずか数時間お話ししただけの方のお誘い話を本気にし,お願いするのもどうかという気持ちがあり,揺れ動いたのです。

 悩んだ末,「ここで逃したら,もう普茶料理を食べる機会はないかも知れない」と思う気持ちが強かったため,悔いのないよう,先生に連絡をとってみることとしました。

 タイミングも大事だと思いました。

 先生にお電話すると,快く応じてくださり,お弟子さんにも声をかけてみるとのお返事をいただきました。

 こうして京都府宇治市にある黄檗山萬福寺で開催される「全国煎茶道大会」に参加し,普茶料理を食べに行くことが決まりました。

(萬福寺総門)
Photo

(萬福寺法堂)
Photo_20200504151801


普茶料理とは

 中国(明)から来日し,黄檗山萬福寺を開山した隠元禅師によってもたらされた中国風の精進料理です。

 「普茶」とは,「普(あまね)く大衆に茶を施す」という意味の禅の言葉に由来しています。

 法要や行事を終えた後,僧侶や携わった人々が一堂に会し,茶を飲みながら協議や談合をすることを「茶礼(されい)」と言いますが,この茶礼の後で,ねぎらいの意味を込めてふるまわれた食事が普茶料理なのです。

 大皿に盛られた料理を4人で取り分けて食べるのが基本で,この食作法は,「平等」という考え方に基づいています。

(普茶料理の図)
Photo_20200504151802
(武光 誠『食の進化から日本の歴史を読む方法』(『普茶料理抄』)から引用)

 みんなで同じ料理を分け合って食べる,これこそが普茶料理の最大の特徴であり,教えとするところでもあるのです。

 また,「大味必淡(たいみひったん)」という言葉もあります。

 これは,「すぐれたよい味わいは必ず淡白なものである」という意味で,禅門では五味(甘・酸・鹹(塩味)・苦・辛)に加えて淡味(たんみ)が重視されています。


中国料理に近い普茶料理

 普茶料理は,中国語の表現や調理技術,食事作法を大きく受け入れている料理だと言えます。

 献立・メニューのことを「菜単(ツァイタン)」と呼びますが,これはまさに中国語の表現と同じなのです。

(普茶料理パンフレット(黄檗山萬福寺))
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※画像をクリックすると拡大します。

 料理の種類は,「笋羹(シュンカン)」,「巻繊(ケンチャン)」,「雲片(ウンペン)」,「油じ(「じ」は食偏に「茲」,ユジ)」,「浸菜(シンツァイ)」,「飯子(ハンツウ)」,「寿免(スメ)」,「水果(スイゴ)」などと分類されますが,その呼び方は中国語またはそれに近いものとなっています。

 また,黄檗山萬福寺の修行僧の日常の食事も,昼食(「斎座」(さいざ))や夕食(「薬石」(やくせき))で出されるおかずのことを「点菜」(中国語では「注文」の意味)と呼んだり,ご飯や汁物を盛る木の桶のことを「行堂」(ヒンタン)と呼ぶなど,お寺の関係者以外には聞き慣れない表現が多く登場します。

(行堂)
Photo_4
(黄檗山萬福寺監修『萬福寺の普茶料理』から引用。一部加工)

 行堂(ヒンタン)です。
 「雲水」(うんすい)と書かれているものは,修行僧用です。

 また,中国料理は調理の際,油脂が多く用いられますが,普茶料理においても,ゴマ油を用いた揚げ物や炒め物が多く,こうした料理が日本料理の油脂利用に貢献したと言われています。

 食事作法で言えば,普茶料理は,長方形の座卓を数人で囲み,一品ずつ大皿の料理を取り合って食べるのですが,この方法は,中国式食事作法の基本だと言えます。


<参考文献>
 黄檗山萬福寺監修『萬福寺の普茶料理』学習研究社
 武光 誠『食の進化から日本の歴史を読む方法』河出書房新社

<関連記事>
 「黄檗山萬福寺の全国煎茶道大会 -隠元と煎茶道-
 「黄檗山萬福寺の普茶料理(後編) -普茶料理の紹介(笋羹・麻腐・浸菜・油じ・雲片・飯子・寿免・醃菜・水果)-

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コメント

学生時代、横浜の鶴見にある曹洞宗総本山総持寺の夏季接心に参加した事がありますが、
食事も座禅する場所で、箱膳で作法に則りいただきました^^
曹洞宗も道元禅師が中国から学んできた宗派ですが、食事の作法は純和風という印象です。
同じ禅宗でも宋と明では食事作法に変化が生じたのか?
大皿に盛り付けてみんなで取り分けて食べるのは、中国料理そのものですね^^

なーまん 様

なーまんさん,こんばんは。
いつもコメントいただき,ありがとうございます<(_ _)>

横浜の総本山総持寺で修行体験をなされたんですね。
私は石川・輪島の総持寺祖院の方へは行ったことがあるのですが,修行ではなく耳かき集めでした(笑)
https://kojikin.air-nifty.com/blog/2014/01/post-50a0.html

同じ禅宗でも,曹洞宗は座禅・箱膳・和風,黄檗宗は寄り添って座る・大皿取分け・中国風と対照的な食事作法になっていますね。
日本へ伝えられたお茶も,宋の時代は抹茶だったのに対し,明の時代は煎茶ですもんね。
これは,もちろん本国・中国自体の食文化の変化もあるでしょうし,日本での取り入れ方が一部だけだったのか,そっくりそのままだったのかによって,違いが生じたのではないかと思います。

私は普茶料理の作法・用語よりも,後の時代に同じ中国から伝わった麻雀の作法・用語の方がまだ自信があります(笑)

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