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2023年2月

2023年2月26日 (日)

広島の食文化の特徴について -広島市郷土資料館企画展「実は広島~こんなご縁がありました 食べもの編」から学ぶ-

広島市郷土資料館企画展「実は広島~こんなご縁がありました 食べもの編」

 広島市南区の広島市郷土資料館で,企画展「実は広島~こんなご縁がありました 食べもの編」(2022年12月10日~2023年2月26日)が開催されました。

(企画展「実は広島~こんなご縁がありました 食べもの編」チラシ(表面))
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 企画展「実は広島~こんなご縁がありました 食べもの編」チラシの一部を引用

 広島と身近な食べもののつながりをテーマにした企画展は,なかなか興味深いものがあります。

(企画展「実は広島~こんなご縁がありました 食べもの編」チラシ(裏面))
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 企画展「実は広島~こんなご縁がありました 食べもの編」チラシの一部を加工・引用

 「誰もが知っている,あのスナック菓子 ルーツは広島にあった!」

 「ジャムやマーマレードときいて思い出すあのブランド 創業以来ずっと広島を本拠にしている!」

 「お好み焼きに欠かせないあの食品 ほとんど広島で作られている!」

 「広島湾岸ではもうほぼ見ることができなくなったけれど,かつてはかなりの規模でつくられていた!」

 その謎を解くべく,広島市郷土資料館を訪問しました。

(広島市郷土資料館)
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 レンガ造りの建物です。

 戦前は「宇品陸軍糧秣支廠(うじなりくぐんりょうまつししょう)」の缶詰工場だった建物を改修し,郷土資料館として活用されています。

 「糧秣」の「糧」は兵士の食料(食糧),「秣」は軍馬のエサという意味で,糧秣支廠ではこれらを食べ物を調達・製造し,軍隊に補給していました。

 広島市郷土資料館は,もともと食べ物と深いご縁があると言えます。


宇品陸軍糧秣支廠とカルビー株式会社

 スナック菓子の大手企業「カルビー株式会社」は,現在東京に本社がありますが,発祥の地は広島です。

 広島県廿日市市には大きなカルビーの工場があり,馬鈴薯運搬船,その名も「ポテト丸」という船が北海道・十勝から広島港へ原料のジャガイモを運んできています。

 創業者の松尾孝さんは,当時未利用だった米ぬかの中から胚芽を取り出して製粉し,健康食品を作る研究を始めますが,その中で胚芽にはビタミンB1が多く含まれていること,カルシウムを加えればさらに良い健康食品が作れることがわかりました。

 戦後,宇品陸軍糧秣支廠で製粉業を営んでいた松岡政一さんと新会社を設立し,イモ菓子やパン,飴の製造をはじめ,のちにキャラメルの製造販売で繫盛することとなりました。

 1949年には「松尾糧食工業株式会社」を立ち上げます。(カルビー株式会社の創立)

 その後,1955年にカルシウムの「カル」,ビタミンB1の「ビー」を合わせた「カルビー」という社名が誕生しました。

(カルビーキャラメル)
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 広島市郷土資料館企画展展示資料の一部

 カルビーのミルクキャラメルとバラキャラには,おまけでカードも付いていたようです。

 やがてキャラメルの販売が低迷し,今度は米の代わりに小麦を使った「あられ」を作り,「かっぱあられ」として販売したところ,かっぱキャラクターの人気も手伝って,一気に人気商品となります。

(カルビー「かっぱあられ」と「かっぱ」シリーズ)
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広島市郷土資料館企画展展示資料の一部

 「黄桜」のかっぱと雰囲気が似ています。

 この「かっぱあられ」のシリーズとして誕生したのが,今も人気のスナック菓子「かっぱえびせん」です。

 カルビー株式会社は広島発祥の企業で,かつては宇品陸軍糧秣支廠の食肉処理場跡地に本社があったのです。


広島の缶詰業とアヲハタ株式会社

 明治に入ると,缶詰の製造技術を学んだ日本人が全国各地で缶詰製造を試みるようになります。


 広島でもそうした動きが起こり,広島は缶詰の食材(中国山地の牛,瀬戸内海の牡蠣,野菜,果実,山の幸(栗・タケノコ・松茸)など)が安価に集積される街であったことから,缶詰業が盛んになります。

(缶詰ラベル(大衆の友・ボイルド松茸・富国煮))
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 広島市郷土資料館企画展展示資料の一部

 「大衆の友」(まめと牛肉の煮物),「ボイルド松茸」,「富国煮」(牛レバーの醤油煮)の缶詰ラベルです。

 「大衆の友」のラベルには「これは まめと牛肉の煮合わせですが づいぶんおいしう御座いますね」という会話が記載されています。

 左から読むのに慣れてない私はつい「友の衆大」,「ドルイボ茸松」などと読んでしまいます(笑)

 広島では特に牛肉の缶詰が多く製造されました。

(缶詰ラベル(ふき・べいか・びわ))
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 広島市郷土資料館企画展展示資料の一部

 「ふき」,「べいか」(瀬戸内海で採れるイカ),「びわ」の缶詰ラベルです。

 私はとっさに「きぬ」,「かいべ」,「わび」と読んでしまいましたが…(笑)

 このように,当時は安価な(今は高価な)広島の食材が缶詰にされ,国内外で販売されたのです。

 こうした缶詰業の発展を一気に高めたのが,戦争による需要の拡大です。

 食品を長期に保存できる缶詰は,軍隊の携帯食として重宝されました。

 戦中,陸軍の第五師団,宇品陸軍糧秣支廠,海軍の呉鎮守府を擁した広島では,缶詰の需要が急速に伸びていったのです。

(空缶・糖度計・防衛食容器)
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 広島市郷土資料館企画展展示資料の一部

 防衛食容器は,戦中,空き缶が不足したことを受けての磁器製の容器です。

 紙製の容器まで作られたようです。

(缶詰工場(肉詰め作業))
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 広島市郷土資料館「陸軍の三廠~宇品線沿線の軍需施設~」p4 の一部を加工・引用

 缶詰工場で女性工員が肉詰めをされている様子です。手作業なのが印象的です。

(缶詰工場(箱詰め作業))
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 広島市郷土資料館「陸軍の三廠~宇品線沿線の軍需施設~」p4 の一部を加工・引用

 こちらは尋常缶詰の箱詰め作業の様子です。

 通常は高さ11.4cmの尋常缶詰が,戦時には容量の少ない高さ5.1cmの缶詰が使われたようです。

 広島市郷土資料館のすぐ近くに,当時の缶詰工場大煙突の基礎が保存されています。

(缶詰工場大煙突の基礎)
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 戦時中は,携帯に優れ,長期保存できることから,軍隊の携行食として缶詰や乾パンが活躍したようです。

(乾パン)
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 現在は災害対策食としても活躍する乾パンです。

 職場でカンパンの話をしていたら「カンパンマン」だと言われました(笑)

 広島の瀬戸内海地域では,みかんやレモンなど柑橘の栽培が盛んです。

 広島県竹原市忠海町でみかんの缶詰を製造し,全国展開されたのが「株式会社旗道園」,現在の「アヲハタ株式会社」です。

(アヲハタ印(ブルーフラッグ))
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 広島市郷土資料館企画展展示資料の一部

 アヲハタのシンボルマークは,イギリスの大学対抗ボートレースの応援旗に由来するといわれています。

(昔の「アヲハタ」ママレードの広告)
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 広島市郷土資料館企画展展示資料の一部

 昔の「アヲハタ」ママレードの広告です。

 朝のパンに,学校のお弁当に,午後のお茶に,とかしておいしい飲み物に…ママレードがいろんなシーンで活躍したことがわかります。

(アヲハタ缶詰再現品)
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 広島市郷土資料館企画展展示資料の一部

 みかん,マンダリンオレンジ,びわ,マスカット,洋梨,黄桃,イチジク,みつ豆,ビーフシチューと,様々な缶詰が販売されています。

 かつては缶詰が主力商品でしたが,現在ではびん詰のジャム・マーマレードが主力商品となっています。

 アヲハタ株式会社の前身となる株式会社旗道園を立ち上げた中島董一郎(なかしま とういちろう)は,留学先のイギリスやアメリカでマーマレードとマヨネーズに出会い,日本での商品化を目指しました。

 その後,彼はマヨネーズを製造する会社として「食品工業株式会社」を設立し,「キューピーマヨネーズ」というブランド名で販売します。

(発売初期のキューピーマヨネーズと発売当時の広告)
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 広島市郷土資料館企画展展示資料の一部

 現在のアヲハタ株式会社とキューピー株式会社には,このようなつながりがあるのです。


イカと広島

 広島のお好み焼には,イカ天(イカ天かす)が入れられます。

 イカ天は,スルメイカをローストし,薄く伸ばして油で揚げた珍味で,スナック菓子やお好み焼のトッピングとして幅広く愛用されています。

(スルメをのばす道具)
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 広島市郷土資料館企画展展示品の一部

(シリンダー・姿フライの金型・姿フライの材料とせんべい)
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 広島市郷土資料館企画展展示品の一部

 イカをプレスするシリンダー,イカの姿に成型する金型,姿フライの材料とせんべいの展示です。

 このイカ天(イカの姿フライ)の発祥地は広島で,全国で流通するイカ天の大多数が呉市や尾道市を中心とした広島県内のメーカーで製造されています。

 広島県のイカの水揚げ量は全国比でわずか0.1%ほどしかないにもかかわらず,イカ加工品の製造量は全国トップクラスとは,これいかに?

 広島とスルメイカのかかわりは,江戸時代の広島藩主・浅野斉賢(なりかた)の娘と,のちの対馬藩主・宗義和(よしなり)との縁組がきっかけで,広島と対馬の間で船による交易が行われるようになったことにさかのぼります。

 この際,広島は「漁師が多種多様な瀬戸内の水産資源を相手に,様々な漁法を習得していたにもかかわらず,漁村・漁船の数に比して漁場が狭かった」,一方の対馬は「周りに豊かな漁場がありながら漁業があまり盛んではなかった」ことから,対馬で広島の漁師がイカ漁などを行うようになり,スルメにして中国へ輸出されるようにもなりました。

 こうした歴史背景から,広島県でのイカ加工品の製造が増えていったのではないかと推測されています。

 一方で,広島は「昆布の佃煮」の生産量も全国トップです。

 広島でスルメイカや昆布の加工品の生産が多い理由として,広島が「西廻海運(北前船)」の寄港地だったことに由来するという説もあります。

 乾燥させたスルメや昆布は,軽くて持ち運びに便利で,傷みにくいというメリットがあることから,北前船の積み荷となり,各地で交易の商品となりました。

 こうした対馬や北前船との交流が,広島のイカ天や昆布加工品の生産に大きく関係していることは間違いありません。

(イカの姿フライ・イカ天の展示)
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 広島市郷土資料館企画展展示品の一部

 館内にイカの姿フライ・イカ天がずらりと展示されていました。

 「ああ,食べたくなってきた…」

(展示品の注意書き)
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 「当館では販売はしておりません。食べたくなったら,販売店へどうぞ。」

 はい,わかりました。

 後日,広島市内のスーパーマーケットへ行くと,たくさんのイカ天商品が販売されており,その圧倒的な商品数・陳列スペースに驚きました。


広島と海苔

 海苔の産地と言えば有明海沿岸が有名ですが,江戸時代後期から明治時代にかけては,江戸湾(下総・品川・大森など)での海苔養殖が盛んで,広島湾も一大生産地でした。

(明治24(1891)年全国の海苔生産順位)
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 明治24(1891)年には,全国で広島が海苔の生産第1位となっています。

(海苔の養殖に使われた道具)
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 広島市郷土資料館蔵

 戦後,工業化に伴い広島湾の埋め立てが進み,広島の海苔養殖は昭和31(1956)年をピークに減少していきますが,味付け海苔を中心とした海苔加工会社は広島に数多くあり,全国に出荷されています。

 最近では,広島から海苔の魅力を広く伝える活動もなされています。

 「広島青苔会(ひろしまあおごけかい)」発行の「わくわく海苔ノート」もその1つです。

(わくわく海苔ノート)
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 イメージキャラクターは「のり姫さま」です。

 「もしかしてノートの色は板海苔と同じ黒?」とノートを開いてみました。

(わくわく海苔ノート(内容))
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 さすがにノートは白い紙でした(笑)

 ノートの下部に「海苔の豆知識」が紹介されたノートです。

 広島には,贈答用,日常用,お土産用と様々な海苔商品があります。


まとめ

 明治以降の広島の食文化には次のような歴史的背景や特徴が大きくかかわっていると言えます。

①貧困で耕地・漁場が狭く,海外を含む県外へと進出・移住せざるを得なかった。

②穏やかな広島湾は,牡蠣や海苔の養殖が盛んになる一方,海軍の拠点ともなった。

③日清・日露戦争で宇品港が海外進出の拠点となって以来,広島は「軍都」として戦争の影響を強く受け,食文化においても,軍需品・捕虜がもたらした食文化・戦後(被爆後)の食糧難・軍用施設を背景に発展したものが多い。

④戦争の影響で製造業が栄え,食品加工産業が発展した。

⑤軍隊の食事がベースとなっているため,ボリュームがある食べ物が多い。

 食の具体例として,①はイカや広島菜,②は牡蠣や海苔,③は缶詰,肉じゃが,バウムクーヘン,ハム・ソーセージ,お好み焼,スナック菓子,④は缶詰やイカ天,⑤はお好み焼やメロンパンなどが該当します。

 こうした観点から広島のご当地グルメ,お土産コーナー,アンテナショップを巡ると,新たな発見があると思います。

<関連サイト>
 「広島市郷土資料館」(広島市南区宇品御幸二丁目6-20)
 「カルビー株式会社」(東京都千代田区丸の内1-8-3)
 「アヲハタ株式会社」(広島県竹原市忠海中町一丁目1-25)
 「広島青苔会」(広島海苔株式会社内事務局)

<関連記事>
 「のりのりそば -広島の生海苔と新潟の布海苔(ふのり)-
 「「ワルのりスナック」から広島弁を学ぶ

<参考文献>
 「陸軍の三廠~宇品線沿線の軍需施設~」広島市郷土資料館
 「廣島缶詰物語」広島市郷土資料館
 シャオヘイ「~お好み焼ラバーのための新教科書~熱狂のお好み焼」ザメディアジョン

2023年2月19日 (日)

広島市植物公園「バレンタインフェスティバル2023」 -広島市植物公園のカカオとチョコレート講演会-

広島市植物公園のバレンタインフェスティバル

 広島市植物公園で3年ぶりにリアルのバレンタインイベントが開催されました。

(「バレンタインフェスティバル2023」チラシ)
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 新型コロナウイルス感染症拡大の影響で,ここ何年か中止を余儀なくされたため,実際に開催された喜びはひとしおでした。

 「またあの楽しい先生(佐藤清隆 広島大学名誉教授)にお会いできる」とワクワクしながら,会場の広島市植物公園を訪問しました。

(広島市植物公園)
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 広島市植物公園です。左奥の建物が大温室です。

 この大温室では,全国でも珍しいカカオが栽培されています。

 そのカカオの木にカカオの実がなっているそうなので,大温室へ向かいました。

 途中,バレンタインデーにちなんだ絵画が展示されていました。

(アルフォンス・ミュシャ「黄道十二宮」)
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 アルフォンス・ミュシャの「黄道十二宮」です。

 私はロートレックやミュシャの絵(ポスター)が好きで,2022年11月には,大阪中之島美術館で開催された展示会「ロートレックとミュシャ パリ時代の10年」を見に行ったのですが,確かにバレンタインデーのイメージによく合っています。


広島市植物公園大温室のカカオ

 大温室に着き,園内でカカオを探しました。

(カカオ)
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 カカオの木がありました。

(カカオの果実)
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 近づいてみると,確かに緑色のカカオの実がなっていました。

 今回,カカオの実が6つでき,今年の5月~6月頃から順次収穫できる見込みだそうです。

(紹介文とカカオの模型)
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 「果実は幹に直接ぶら下がり,果実を割ってみると白いパルプに包まれた種子が行儀よく並んでる」

 「この種子を発酵させ,炒って砕いたものがチョコレートやココアの原料」

 「またカカオの油は体温に近い温度で溶けるので医薬品にも使われている」

 カカオの油が医薬品にも使われているとは驚きです。

(カカオの種類)
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 カカオの種類を説明した看板もありました。

 「フォラステロ種,トリニタリオ種,クリオロ種」

 フォラステロ種は世界で最も多く栽培されている品種,逆にクリオロ種は世界の生産量の1%程度しか栽培されていない希少品種,トリニタリオ種はフォラステロ種とクリオロ種のハイブリッド(いいとこ取り)です。

 「カカオだけ観察できたら十分」という気持ちで展示施設を後にしました。

 そのため,新種のラン「(デンドロビウム)キシダフミオ」を見逃してしまいました。

 岸田首相,次回はぜひバナナとかカカオとか,食べ物に命名してください。
 広島ゆかりの食べ物・飲み物として取材し,記事にしますから(笑)


絵本の朗読とチョコレート作り体験

 カカオを観察した後,展示資料館2階講堂へ行き,バレンタインフェスティバル関連イベント「絵本の朗読とチョコレート作り体験」に参加しました。

 チョコレートの専門家・佐藤清隆先生(広島大学名誉教授)が書かれた絵本「ひと粒のチョコレートに」(福音館書店)の朗読とチョコレート作り体験です。

 親子連れの参加者が多く,定員100名でしたが,受付から10分程度で定員いっぱいとなりました。

 会場で席に座って開始を待っていると,佐藤先生から「おおっ,お久しぶり」と声をかけていただきました。

 私もそれにお応えし,再会を喜びました。

 チョコレートを意識した茶色や赤色の服装で,勢いのある熱いトークで講演される佐藤先生のお姿は,拝見するだけで楽しくなります。

 みんなの前で少し大げさに話をされるところは,私とそっくりです(笑)

 パワーポイントを活用しながら絵本が朗読され,要所要所で,絵本に登場するカカオやチョコレートについて解説していただきました。

 次にチョコレート作り体験として,参加者全員にローストされたカカオ豆が用意されました。

(カカオ豆)
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 こちらがローストしたカカオ豆です。

 高級なベネズエラ産の豆だそうです。

 固い殻(外皮)に包まれており,この殻を割って中の実(胚乳・カカオニブ)を取り出しました。

(カカオ豆の皮・カカオニブ・カカオ豆)
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 写真左上がカカオの殻(皮)で,外皮の「カカオシェル」と薄皮の「カカオハスク」があります。

 写真中央がカカオの胚乳で「カカオニブ」と呼ばれるものです。

 写真右上が殻を割る前のカカオ豆です。

 佐藤先生が「カカオニブの中に小さく細長い棒(胚芽)があるので取り出してください」とおっしゃったので,カカオニブを細かく砕きながら探したのですが,どれが胚芽なのかよくわかりませんでした。

 やむなく佐藤先生を引き留め,どれが胚芽なのか探してもらうと,すぐに「これです」と取り出してもらえました。

(カカオの胚芽)
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 写真中央手前の赤丸で囲ったものがカカオの胚芽(ジャーム)です。

 5mm前後の大きさで,小さい茶柱のような形をしています。

(カカオの胚芽(2本))
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 もう1つのカカオ豆からは,自力で胚芽を見つけることができました。

 胚芽は次の木を作る元になるものなので,胚芽だけを食べても美味しくないとのことでした。

 続いて取り出したカカオニブの実食となりましたが,その際,佐藤先生から「胚芽は取り除くように」とお話がありました。

 「そんなにまずいものなのか」と私は胚芽も食べてみましたが,多少ジャリジャリする程度で,カカオニブと一緒に焙煎されていることもあり,カカオニブの風味とそんなに変わらないように思いました。

 しかしながら,佐藤先生レベルになると,チョコレートの微妙な食感で,この胚芽が取り除かれているチョコレートかどうかが識別できるのだそうです。

 続いて,カカオニブをすりつぶしてドロドロの液状にし,それに砂糖などを加えた「チョコレートの原料」が平たい金属トレーの上に流し込まれました。

 そして,そのトレーを机に叩きつけて液体チョコレートの中の空気を抜く「タッピング」と呼ばれる作業が実演されました。

 このタッピング作業の際,机に金属製のトレーを叩きつけると,「バシャン,バシャン」とかなり大きな音が会場内に響き渡りました。

 実際のチョコレート工場でもタッピングの際は大きな音がするらしく,工場内で働く方々は耳栓をして作業されているとのことです。

 このタッピングも数名の参加者(子ども)が体験しました。

 その後,タッピングを終えたトレーが前の席から後ろの席へ順に回され,その様子を間近で見ることができました。

(トレーでタッピングしたチョコレート)
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 タッピングは,チョコレートを薄く延ばすための作業でもあったのですが,時間の関係で厚い板チョコレートになりました。

 冷めて固まったチョコレートを一口大に割る作業も,数名の参加者(子ども)が体験しました。

(板チョコレートを割る様子)
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 こうしてお土産のチョコレートが完成しました。

(お土産のチョコレート)
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 ソロモン諸島のカカオを70%使ったチョコレートです。

 出来たてよりも,1日置いて馴染ませた方がおいしいとのお話だったので,後日いただきました。

 わずかに甘さを感じる,ほろ苦いダークチョコレートでした。

 後からふわっとさわやかな酸味も感じました。

 チョコレートと一緒に,フラワーバレンタインということで,広島市植物公園の方からバラの花をお土産にいただきました。

(フラワーバレンタイン・バラ)
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 フラワーバレンタインもおしゃれですね。


今回の講演会で新たに学んだこと

 今回の講演会で私が新たに学んだことをまとめます。

・カカオニブにハチミツを混ぜて食べるとチョコレートに近い味になる

・カカオの油脂は,赤ちゃんカカオのお乳

・カカオの油脂の成分は,冷やすと整列して固まる

・カカオ農園ではバナナも一緒に栽培され,バナナの日陰でカカオが栽培される

・カカオ豆は,バナナの葉で包むか木の箱に入れて発酵させる

・カカオの実1個にカカオ豆が約40個あり,板チョコレートが1枚作れる

・カカオニブを2~3日すりつぶしてカカオマス(※)が作られる
 ※すりつぶされたドロドロ状のもの。液体チョコレート

・ブルーム(チョコレートが白く固まった状態)は,花が咲くという意味

・ココアバターの結晶は1型から6型まで6種類あり,その中で最適な結晶を作る作業をテンパリングという

・メキシコではカカオとトウモロコシで作ったドリンクが飲まれている

・メキシコのカカオドリンクはコップ1杯で約600キロカロリーあり,現地の方はこれを朝2杯飲んで昼まで働く

・メキシコのカカオドリンクやモレソースに唐辛子を混ぜる理由はビタミンCを補うため

・カカオは栄養豊富だが,唯一ビタミンCが不足している

・冬の最低気温が16度以下だとカカオは育たない(日本の露地栽培では無理)

・石川県加賀市は,温泉の排熱を利用したカカオ栽培・チョコレート作りに挑戦されている

・油は臭いを吸収するので,チョコレートは冷蔵庫に入れない方がよい


まとめ

 2023年2月18日のTBSテレビ「情報7daysニュースキャスター」で,佐藤先生が「現代のチョコレート製法の基礎を作った科学者」として紹介されました。

 ココアバターの結晶が1型から6型まで6種類ある中,4型から下だと指で触るだけでチョコレートが溶けてしまい,逆に6型だと固すぎて口の中でチョコレートが溶けないため,5型だけが商品チョコレートとして適しているのだそうです。

 その5型にするには「BOB」と呼ばれるパウダー状の油脂が適していると紹介されました。

 また,株式会社 明治との共同研究や,佐藤先生が技術支援された島根県出雲市「La Chocolaterie Nanairo(ラ ショコラトリ ナナイロ)」が「世界の美味しいチョコレート10選」に選ばれたことなども紹介されました。

 最後にスタジオの安住紳一郎アナが「チョコレート,食べたくなりましたね」と三谷幸喜さんにおっしゃってましたが,これこそ佐藤先生の一番望んでおられることなので,クスっと笑えました。


 講演会終了後,佐藤先生と少しお話しました。

 再会を約束して最後に握手したのですが,佐藤先生の手は(私の冷たい手と違って)温かく,まさにチョコレート作りに適した手でした(笑)


<関連サイト>
 「広島市植物公園」(広島市佐伯区倉重三丁目495番地)
 「La Chocolaterie Nanairo」(島根県出雲市斐川町坂田1934)

<関連記事>
 「カカオ豆とチョコレート
 「チョコレートの新しい潮流2 -ハイカカオと機能性チョコレート,発酵の重要性-
 「チョコレートの魅力 -ショコラミルの実演とオランジェット作り体験-
 「島根県出雲市のビーントゥバーチョコレート -La Chocolaterie Nanairo(ラ ショコラトリ ナナイロ)-
 このほか「食文化関連記事一覧表・索引」の「食文化事例研究」にある「チョコレートの研究」を御参照ください。

2023年2月12日 (日)

日本のバウムクーヘン発祥の地・似島 -似島とカール・ユーハイム,似島バウムクーヘン-

 バウムクーヘンで有名な「ユーハイム」の創業者,カール・ユーハイムは,日本軍の捕虜として現在の広島市南区似島(にのしま)の捕虜収容所に連行されたドイツ人で,彼の焼き上げたバウムクーヘンを広島県物産陳列館(現在の原爆ドーム)でお披露目したことにより,日本で初めてバウムクーヘンが知られることとなりました。

 このお披露目をしたのが1919年3月4日のことで,これを記念して毎年3月4日は「バウムクーヘンの日」とされています。

 今回は,日本のバウムクーヘンとカール・ユーハイムについて,似島のお話を中心に御紹介したいと思います。


広島県物産陳列館で開催されたドイツ技術工芸品展覧会とカール・ユーハイム

 似島捕虜収容所で暮らしていたドイツ人カール・ユーハイムは,厨房でドイツのお菓子を作り,仲間に振舞っていたようです。

(似島捕虜収容所とカール・ユーハイム)
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 「南区七大伝説 菓子伝説(バウムクーヘン上陸秘話)」南区魅力発見委員会から一部引用

 ドイツ人捕虜の方々が日本の捕虜収容所で母国の甘いお菓子が食べられることに感動し,発せられた言葉が「ブンダバー(素晴らしい)」だったのでしょう。

 当時の日本が国際社会に仲間入りするため,捕虜を人道的に扱っていたことも,似島でバウムクーヘンが作られた大きな要因となっています。

(広島県物産陳列館(ドイツ技術工芸品展覧会とカール・ユーハイム))
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 「南区七大伝説 菓子伝説(バウムクーヘン上陸秘話)」南区魅力発見委員会から一部引用

 そして大正8(1919)年3月4日,日独親善のため,広島県物産陳列館で開かれたドイツ技術工芸品展覧会の場で,カール・ユーハイムが日本人に初めてバウムクーヘンを披露したのです。

(バウムクーヘン,似島から全国へ)
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 「南区七大伝説 菓子伝説(バウムクーヘン上陸秘話)」南区魅力発見委員会から一部引用

 会場は連日押すな押すなの大盛況となり,この展覧会をきっかけにバウムクーヘンが広島から全国へ広まりました。


日本のバウムクーヘン発祥の地・似島

 日本のバウムクーヘン発祥の地・似島を訪問しました。

(元宇品(広島港)から眺めた似島・安芸小富士)
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 似島は,広島(宇品)港から南に約3kmの場所にある島です。

 広島(宇品)港からフェリーで似島へ渡りました。

 「似島臨海少年自然の家」に到着すると,グラウンド入口に興味深い掲示板がありました。

(掲示板(菓子伝説の地へようこそ))
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 「菓子伝説の地へようこそ」
 「注目を集めるのが,第一次世界大戦のときドイツ兵の捕虜収容所があったことからドイツとの文化交流が行われたという歴史です」
 「ドイツ銘菓バウムクーヘンが日本に初めて伝わったのが似島だといわれています」

 日本のバウムクーヘンの聖地を訪れた実感がわきました。

(似島臨海少年自然の家・グラウンド)
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 この似島臨海少年自然の家は,かつてはドイツ軍俘虜(捕虜)収容所が存在した場所にあります。

 「ドイツと日本のサッカー国際親善試合が,この広いグラウンドで開催されたのでは」
 「この地でカール・ユーハイムがせっせとバウムクーヘンを焼いていたのでは」
と想像を膨らませながら散策しました。

 その後,この似島臨海少年自然の家を起点に,似島のシンボルとなっている山・安芸小富士を登りました。

 出発前に地元の方に登山所要時間を伺ったところ,約40分とのお話でした。

 「小さな山のようだし,余裕を持った時間でおっしゃったのだろう」と気楽な気持ちで山を登りましたが…実際には意外と距離も坂道もあり,山頂まで本当に40分かかりました。

 2月でしたが,汗をかきながら山を登りました。

(安芸小富士・山頂からの展望(広島市街方面))
Photo_20230212092201
 しんどかった分,山頂から眺める景色は最高でした。

 その眺めは,ドローンか飛行機で上空から眺めたような感じでした。

(安芸小富士・山頂からの展望(似島港・家下))
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 こちらは似島の中心地・似島港のある「家下(やじた)」地区の様子です。

(安芸小富士・山頂からの展望(峠島と牡蠣いかだ))
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 こちらの写真は,似島に近い峠島(とうげしま)と牡蠣いかだの様子です。

 峠島をぐるっと囲うように牡蠣いかだが配置されているのが面白いです。

(安芸小富士・山頂からの展望(引き波))
Photo_20230212082101

 波がなく湖のような海は,瀬戸内海ならではの景色です。

 「引き波(航行する船の後にできる白い波)」が美しいラインを描いていました。

 山頂で昼食をとり,しばらく景色を満喫した後,下山しました。

 下山には30分もかかりませんでした。

 下り坂で同じ道を歩いて距離感を把握できている分,楽でした。


似島バウムクーヘン

 再び似島港(家下地区)へ戻りました。

 戻りのフェリーを待つ間,家下地区を散策しました。

(バウムクーヘン案内板(似島合同庁舎))
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 似島港に近い似島合同庁舎で,バウムクーヘン案内板を見つけました。

 この記事でも最初に御紹介した「南区七大伝説 菓子伝説(バウムクーヘン上陸秘話)」が紹介されています。

 右下のサッカーボールに乗ったキャラクターは「ばーむん」です。

 ばーむんの好きなことは,ずばり「サッカーボールに乗ること」。

 このキャラクターにも,似島のバウムクーヘンとサッカー国際親善試合が反映されています。

 似島港のフェリー待合所で,似島のお土産が紹介されていました。

(お土産案内(似島バウムクーヘン))
Photo_20230212093201

 「バウムクーヘン発祥の地 似島」
 「似島でお土産が買えるのはココだけ!」

 この待合所に近い「ウエルカム似島」で似島のお土産・バウムクーヘンが販売されているようなので,行ってみました。

(ウエルカム似島)
Photo_20230212093301

 ウエルカム似島は,似島の観光案内所です。

 入口で似島限定のお土産「似島バウムクーヘン」が販売されていました。

(似島バウムクーヘン販売の様子)
Photo_20230212093501

 商品を手に取り,店内で購入しようとしたところ…

(似島バウムクーヘン販売の様子(拡大))
Photo_20230212093601

 「ドイツ人捕虜が作った似島バウムクーヘン」
 「代金は左の料金箱へお願いいたします。」

 なんと無人販売でした。

 「計算機もご用意しております。ご自由にご利用ください。」

 セルフで計算し,その代金を隣の透明なアクリル製の箱へ入れて購入するようです。

 千円札1枚と百円玉3枚を箱に入れ,似島バウムクーヘンを1袋購入しました。

 自宅に持ち帰り,改めて似島バウムクーヘンをじっくり眺めました。

 「ドイツ人捕虜が作った似島バウムクーヘン」とありますが,これは「ドイツ人捕虜が作った製法で作った似島バウムクーヘン」という意味なのでしょう。

 当時(1919年前後)のドイツ人捕虜が作ったものなら,とっくに賞味期限が到来してますから(笑)

 このほか,包装紙にカール・ユーハイムやドイツ技術工芸品展覧会の紹介文やイラストがありました。

(カール・ユーハイムの紹介文)
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 「似島バウムクーヘン」包装紙から一部引用

 「第一次世界大戦で日本軍は青島市(中国)に駐留するドイツ軍を攻撃しました」

 「投降したドイツ軍は3906人でしたが,日本軍は4000名の大台に乗せるべく,人数合わせのために翌年になって在留民間人を捕虜に加えたと言われています」

 「この中に非戦闘員だったカール・ユーハイムが含まれていました」

 「カールは大阪俘虜収容所へ移送されましたが,その後インフルエンザ予防のため,広島の似島検疫所へ移送されました」

 「カールはバウムクーヘンなど菓子作りの担当になりました」

 「カールはバウムクーヘンを焼くための堅い樫の薪や,当時はなかなか手に入らなかったバターなど材料集めに苦労したそうですが,バウムクーヘンを焼き上げることに成功します」

 「広島県物産陳列館(現・原爆ドーム)で開催されたドイツ作品展示会にて製造販売を行います」

 「これが日本で初めて作られたバウムクーヘンです」

 カール・ユーハイムは人数合わせで捕虜になったのですね…。

 それでもめげず,バウムクーヘンを焼いて捕虜を励まし,日本に広めるビジネスチャンスをつかんだのは御立派です。

(広島県物産陳列館(ドイツ技術工芸品展覧会資料))
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 「似島バウムクーヘン」包装紙から一部引用

 こちらは広島県物産陳列館のイラストで,展示品が紹介されています。

(ドイツ兵のイラスト(似島独逸俘虜技術工芸品展覧会目録))
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 「似島バウムクーヘン」包装紙から一部引用

 これはドイツ兵のイラストが描かれた展覧会の目録の一部です。

 ひととおり包装紙を観察した後,包装紙から中身を取り出しました。

(似島バウムクーヘン(箱詰め))
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 このようにバウムクーヘンが箱詰めされていました。

 それではバウムクーヘンを取り出してみましょう。

(似島バウムクーヘン(ホール))
Photo_20230212100201

 ハードタイプのバウムクーヘンです。

 表面が砂糖でコーティング(シュガーコーティング)されています。

(似島バウムクーヘン)
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 バウムクーヘンを包丁ですくい取るようにカットしました。

 しっかりと焼かれたバウムクーヘンで,表面はシュガーコーティングも手伝ってカリッと,中は生地がみっしりと詰まっていました。

 バター風味豊かで,しっかりとした弾力のある,伝統的製法で作られたバウムクーヘンでした。

(似島桟橋とフェリー)
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 似島訪問で,日本のバウムクーヘンの成り立ちも含め,明治から昭和にかけての「軍都広島」の歴史を肌で感じることができました。

 戦争は決してあってはならないものですが,そんな環境におかれても,バウムクーヘンやサッカーを通じて人と人との交流がなされ,新たな文化が生み出されたことに,国境を超えた人間本来の強さ・やさしさ・たくましさを感じました。

 これぞまさに「ブンダバー(素晴らしい)!」


<関連サイト>
 「ユーハイムの歴史」(株式会社ユーハイム)
 「広島市似島臨海少年自然の家」(広島市南区似島町字東大谷182番地)
 「ウエルカム似島」(広島市南区似島町家下27番地)

<関連記事>
 「ドイツ・ウィーン菓子の特徴と主な菓子1 -シュトロイゼルクーヘン・レープクーヘン・バウムクーヘン-
 「「バウムクーヘン博覧会 2017」 -広島からはじまる日本のバウムクーヘンの歴史-
 「日本のバウムクーヘン100周年イベント -2019広島みなとフェスタ・バウムクーヘン博覧会 2019-
 「バウムクーヘン博覧会 2021 -AI焼き立てバウムクーヘン・全国バウムクーヘン食べ比べ・バウムフリット・切り売りバウムクーヘン・詰め合わせセット-
 「バウムクーヘン博覧会 2021 -ファットリア・ダ・コジモのガトーピレネー-
 「バウムクーヘン博覧会2022 -ユーハイムクランツ・THEO・バウムクーヘンBAR47・バウムフリット・ファイナルクーヘン総選挙・究極のバウムクーヘン-
 「ひろしま南区スイーツフェア -南区3名山(似島(安芸小富士)・黄金山・比治山)と代表花(ミモザ・桜・広島椿)のスイーツ-

<参考文献>
 広島市『南区七大伝説 菓子伝説(バウムクーヘン上陸秘話)』南区魅力発見委員会

2023年2月 5日 (日)

小田巻蒸し(おだまきむし)-小田巻蒸しの由来と「道頓堀今井」の小田巻むし-

「小田巻蒸し」について

 今回は寒い季節にぴったりの料理「小田巻蒸し(おだまきむし)」を御紹介します。

 小田巻蒸しは,簡単に言えば「うどん入り茶碗蒸し」です。

 大阪・船場(せんば)が発祥とされています。

 「漫画版 朝日新聞 記憶の食」でも,寒い冬の夜に受験勉強をする娘のために,お母さんが夜食に「小田巻蒸し」を作って食べさせるシーンがあります。
 ※長崎のお話なので,長崎弁での会話となっています。

(記憶の食「小田巻蒸し」小田巻蒸しの夜食)
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 (朝日新聞社・フジヤマヒロノブ「漫画版 朝日新聞 記憶の食」少年画報社 p46の一部を引用)

娘:「今晩は寒か…(ハァーッ,ハァーッ)」
母:「京子」
娘:「なに?」
母:「これ(小田巻蒸し)食べんね?」

(記憶の食「小田巻蒸し」小田巻蒸しの作り方)
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 (朝日新聞社・フジヤマヒロノブ「漫画版 朝日新聞 記憶の食」少年画報社 p47の一部を引用)

娘:「これなんね!? 大きな茶碗蒸し?」
母:「小田巻蒸しというんだよ」
娘:「小田巻蒸し?」
母:「鶏肉にニンジン」,「シイタケと青ねぎをきざんで」,「うどんの入った丼に生地を流し込んで蒸すの」

 茶碗蒸しだけでも嬉しいのに,中にうどんまで入っているとは,寒い季節にぴったりの料理です。


「小田巻蒸し」と「苧環(おだまき)」

 「小田巻蒸し」の「小田巻」は「苧環(おだまき)」の当て字だと言われています。

 「苧環」は紡いだ麻糸を丸く巻いたもので,かつてはその巻き糸から織物「倭文(しつ)」が作られました。

 これに関して「伊勢物語」に次のような古歌があります。

 「いにしへの しづのおだまき 繰りかへし 昔を今になすよしもがな」

 現代語訳では「倭文の苧環(しづのおだまき・糸巻き)のように,もう一度(楽しかった昔に)時を巻き戻すことができたら」という意味になります。

 また,その古歌を踏まえて静御前(しずかごぜん)は,

 「しづやしづ しづのおだまき 繰りかへし 昔を今になすよしもがな」

 という歌を詠んでいますが,これは現代語訳で「源義経が私を「しづ(静)」と呼んでくれたようにもう一度(楽しかった昔に)時を巻き戻すことができたら」という意味が込められています。

 このように「おだまき」はグルグル巻かれた糸巻きのことで,歌の世界では,その「おだまき」に昔の世界までも巻き戻してほしいという願いが込められたようです。

 「小田巻(蒸し)」の場合は,この「倭文の苧環(しづのおだまき)」のように,丼のうどんがグルグル巻きに見えたことに由来するのでしょう。

 かつては大阪を中心に多くのお店で出されていた「小田巻蒸し」。

 いつか味わってみたい,それが無理なら自分で作ってみたいという思いが,おだまきのように繰り返すのでした。


小田巻蒸し

 大阪市中央区道頓堀にやってきました。

 道頓堀筋を歩いていると,昔の道頓堀を彷彿とさせる,何とも味わい深い小路がありました。

(浮世小路)
Photo_20230122103401

 「一寸法師」の物語も,ここから始まったようです。

 「今晩は寒か…」と思いつつ,ふと隣のお店の案内板を見ると…。

(小田巻むしの案内)
Photo_20230122104301

 「小田巻むし!」

 今月(11月)のおすすめ品として「小田巻むし」の案内がありました。

 「昭和30年頃までは,この季節になると浪速の町のあちこちのうどん屋さんの店先では「小田巻むし」が入った大きなセイロが湯気をシュンシュンと上げていたそうです。「小田巻むし」は簡単に言うとうどんの入った茶碗むしです。蒸し上がるのに15分程かかりますが,何かとせわしない時代に一杯やりながら,ゆっくりと小田巻むしを待つのもおつなものでは?」

 なるほど。

 やっと小田巻蒸しに出会えました。この感動を私も歌で一句。

 「これやこれ めしのおだまき あったがな なにわの味やで 知らんけど」

 私が通りすがりのお店に入ることは珍しいのですが,「小田巻むし」をむしすることはできず,巻き込まれるようにお店に入りました。

(道頓堀今井(店舗))
Photo_20230122105401

 のれんをくぐり…

 私:「邪魔すんで~」
 店員:「邪魔すんやったら帰ってや~」
 私:「あいよ~って,なんでやねんな!」

 ということはなく(笑),実際はとても親切で丁寧な応対・サービスをしていただけるお店でした。

 道頓堀は人が多くとても賑やかな街ですが,店内は落ち着いた雰囲気で,ゆっくり過ごすことができました。

 「小田巻むし(お寿司付き)」を注文し,お茶を一杯やりながらゆっくり待ちました。

 しばらくして,私の席に小田巻むしが運ばれてきました。

(小田巻むし)
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 見た目は大きな茶碗蒸しです。

 具は,茶碗蒸しだと中に入っていますが,この小田巻むしは見栄えよく上側に盛り付けられています。

(小田巻むしと鯛笹まきずし)
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 鯛の切り身と山椒の葉をのせた笹まきずしとセットでいただきました。

 茶碗蒸しを崩すのがもったいないと思いつつ,箸で中のうどんを取り出しました。

(小田巻むしのうどん)
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 太めのもっちりとした,熱々のうどんでした。

 「うん,これは確かに温まる。寒い季節にぴったりの料理だ」と思いました。

(小田巻むしの具とうどん)
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 こうしてみると,中心の具がぐるっと一回転するように盛られ,中のうどんも糸のようにまとめられているので,確かに糸巻き(おだまき)のように見えます。

 具は鶏肉,サワラの切り身,アナゴ,かまぼこ,椎茸,ぎんなん,みつば,柚子の皮で,1つ1つが大きくて食べ応えがありました。

 そして旨味と香りが凝縮されただし汁もたっぷり入っていました。

 心も体も温まる美味しいうどん料理でした。


<関連サイト>
 「道頓堀今井」(大阪市中央区道頓堀一丁目7-22)
 「道頓堀筋・浮世小路」(道頓堀商店会)

<参考文献>
 朝日新聞社・フジヤマヒロノブ「漫画版 朝日新聞 記憶の食」少年画報社
 古川のり子「昔ばなしの謎 あの世とこの世の神話学」角川ソフィア文庫

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