法隆寺の柿の耳かきです。
法隆寺前のお土産屋さんで購入しました。
正岡子規が詠んだ俳句「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」にちなんだ耳かきです。
法隆寺と言えば,ボランティアガイドの方にお世話になったことを思い出します。
法隆寺境内を一緒に散策しながら,いろんなお話を伺いました。
最後に,境内にあった「多羅葉(たらよう)」という葉っぱを拾って文字を書かれ,これがはがきの始まりとなったのだと教えてくださいました。
私はこうした観光客へのおもてなしに感動し,後日,そのボランティアガイドさんと一緒に撮った写真をのせたお礼のはがきを書いてお送りしました。
ボランティアガイドさん,お会いした時,あまり時間がないとお伝えしたのは,実はあの後,お土産屋さんでご当地耳かきを探す時間が必要だったからです(笑)
おかげさまでとてもよい思い出になりました\(^o^)/
戦艦大和(YAMATO MUSEUM)の耳かきです。
広島県呉市にある「大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)」のオリジナルグッズです。
呉市はかつては日本海軍の鎮守府,戦後は海上自衛隊の地方総監部が設置され,海軍・海上自衛隊の拠点として栄えてきた街です。
呉市へ行くと,係留されている護衛艦や潜水艦など様々な艦艇を見ることができます。
このたび(2018年7月)の西日本豪雨により,呉市も大きな被害を受け,物資の供給もままならない状況となりました。
そんな中,物資の輸送や入浴支援などで活躍した艦船の1つが,呉に配備されている輸送艦「しもきた」です。
私は仕事の関係で,被災地の呉へ燃料(ガソリン等)を輸送するために広島港(宇品外貿ふ頭)へ入港してきた輸送艦「しもきた」を間近で見る機会がありました。
とても大きく,被災地の人々を助け,恵みをもたらしてくれる頼もしい艦船に見えました。
私は,この耳かきにある戦艦大和のイラストを眺めるたびに,今回広島湾に航行してきた輸送艦「しもきた」の雄姿を重ね合せてしまいます。
それだけ立派に見えました。
被災地の復旧にはまだ時間がかかると思いますが,みんなで力を合わせて元気なまちを取り戻していきたいです。
当ブログの読者の方から,耳かきの本があるとの情報をいただきました。
これは興味深いと思い,ネットで中古本を購入してみました。
上野玲「耳かきがしたい」(ジャイブ)という本です。
(上野玲「耳かきがしたい」(ジャイブ))
耳かきをするのが大好きな人を「ミミカキスト」と定義し,ミミカキストのためのバイブルとして書かれた本です。
耳かきの歴史,耳かきのコツ,耳かきの名店,中国の耳かき技術の現地取材,ニューヨークのティファニーでの耳かき探し旅,はたまた「耳かきをするとよい子に育つ説」まで…耳かきのごとく深く掘り下げた数々の話が紹介されています。
巻頭にはカラー写真で「日本全国耳かきコレクション」の紹介もあり,私が持ってないご当地耳かきもたくさん紹介されていて,私の収集熱がより一層刺激されました。
その一例を御紹介します。
(「日本全国耳かきコレクション」関東編)
(上野玲「耳かきがしたい」ジャイブから引用)
(「日本全国耳かきコレクション」九州編)
(上野玲「耳かきがしたい」ジャイブから引用)
私が持っている耳かきもちらほら見受けられます。
でも,持ってないのもあって,くやしいです(笑)。
この本の中に,日本最古の現存する耳かきが紹介されています。
明治44年に現在の京都市伏見区の「稲荷山経塚(いなりやまきょうづか)」から出土した金銅製の簪(かんざし)です。
(稲荷山経塚の簪)
(国立博物館所蔵 上野玲「耳かきがしたい」ジャイブから引用)
写真上部の端が耳かき状になっていることがわかります。
平安末期から鎌倉初期のもののようです。
女性たちが髪を結い,装飾品として簪を差すのがおしゃれだったようで,その簪の先に実用的な耳かきをつけ,耳をかいたり,頭の地肌をかくことに使われたようです。
この話を知って,ふと思い出した耳かきがあります。
日本刀の笄(こうがい)の耳かきです。(「日本刀の笄(こうがい)の耳かき -山口県山口市-」参照)
日本刀の鐔(つば)の穴に差す笄は,男性の髪を手入れするだけでなく,耳かきとしても使われました。
この話も含めると,日本の女性は簪を使い,男性は笄を使って耳かきをしていたと考えられます。
これは日本耳かき史(文化史)の研究に値する重要な事実ではないかと思います。
<参考文献>
上野玲「耳かきがしたい」ジャイブ
<関連リンク>
「蜃気楼の向こう側」(今回の本を御紹介いただいた「サウスジャンプ(つなまよ)」さんのブログです。本・音楽・御本人のイラストなどを楽しく,興味深く紹介されています。)
幕末に欧米列強に対抗するための軍事力強化の一環として,鉄製大砲などを鋳造するための金属溶解炉として築造されたのが韮山反射炉です。
韮山代官だった江川英龍(坦庵)が責任者となり,韮山反射炉の築造という一大プロジェクトが進められました。
ちなみに彼は兵糧食として日本で初めてパンを焼いた人物でもあり,パン業界では「パン祖」として有名な人物です。
韮山反射炉は,2015年7月に世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」に登録されました。
この耳かきは韮山反射炉に隣接する「反射炉物産館」で売られていたものですが,まさか韮山反射炉そのままの耳かきがあるとは思ってもいなかったので,見つけた時はとても嬉しかったです。
こうした直球勝負のオリジナル耳かきこそ,ご当地耳かきとして価値の高い一品だと言えるでしょう。
さらに欲を言えば,韮山反射炉PRキャラクター「てつざえもん」の耳かきにも期待したいところです(笑)。
祝 ご当地耳かき掲載200本!
岡崎公園内の観光みやげ店で購入しました。
刀のつばに「神龍」と刻まれています。
「神龍」が岡崎城や徳川家康と関係があるのか,お店の方に聞いたり,ネットで検索してみましたが,特に関係はないようです。
「神龍」という言葉や日本刀からイメージされる「東アジア」,「日本」を売りにした,外国人観光客がメインターゲットのお土産品だと思います。
歴食JAPANサミットで紹介された日本刀の笄(こうがい)です。
笄は主に髪を手入れするために使われましたが,付け根が耳かきの形になっていることからもわかるとおり,これで本当に耳掃除もされていたようです。
刀の鐔(つば)の穴(笄櫃孔,こうがいひつこう)に差せるようになっています。
この笄は,もちろん私のコレクションではありませんが,耳かきであると知り,珍しいので掲載しました。
甲斐国の武将 武田信玄が軍旗に用いたことで有名な「風林火山」が書かれた槍の耳かきです。
裏面には,菱形の家紋「武田菱」のシールが貼られています。
全長が24cmもあり,お土産コーナーでもひと際目立つ耳かきです。
金閣寺が耳かきに比して大きめに作られている分,細部まで表現されており,左手前には池に張り出して作られた釣殿まであります。
これで十分なのですが,この金ぴか耳かきシリーズは,なぜかド派手な(ピンクや緑)色の鈴が付けられているのも特徴の1つとなっています。
観光みやげ店が多い京都・新京極通で購入しました。
金色の耳かき棒に金色のミニ飾りがついた耳かきはほかにもみられますが,この金閣寺の耳かきがその趣旨に一番合っているように思います。
いっそのこと,全ての色を銀にした「銀閣寺」の耳かきも作って販売されたら,相乗効果が期待できて良いと思うのですが。
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